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生活保護者の集いコミュの<共に生きたい>(2)自殺から救う 迷える人の行き場に

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◆自営のホテルで保護人をサポート 佐藤洋司さん
 「ジャージーを着て、眠そうにしていたから、自殺に来た人と思われた」

 昨年六月下旬の早朝、群馬県嬬恋村でホテルを営む佐藤洋司(37)は、断崖(だんがい)の絶景で知られる福井県坂井市の東尋坊にいた。

 自殺が多発する景勝地で、その防止活動に取り組むNPO法人「心に響く文集・編集局」代表の茂(しげ)幸雄(65)に会うためだった。

 茂は福井県警三国署(現・坂井西署)の副署長時代、管轄の東尋坊で自殺防止対策がほとんど取られていない状況に疑問を抱き、自主的に巡回を始めた。退官後の二〇〇四年、同法人をつくり、観光客向けの茶屋を兼ねた相談所を開設した。

 佐藤は数年前から、茂の活動に関心を持っていた。景気低迷で失業者も増えている。「生きるのが大変な時代。いつ自分たちがその立場になるか分からない。自分のところなら住み込みで働ける。役に立てるんじゃないか」と思い立ち、事務所を訪ねた。

 茂は外出中で、佐藤の風体をみたスタッフは、自殺するか迷って来た人と思いこんだ。二日前に佐藤が送った訪問予告のファクスは見落とされていたのだ。茂が戻り、佐藤が訪問の目的を切り出すと、スタッフは勘違いに驚き、茂はすぐに「保護している人の面倒をお願いできますか」と頼んできた。佐藤の申し出は渡りに船だった。

 茂たちは、年間四十人余りを保護しているが、行き場がない人の場合、同法人会員らが受け入れている。自殺しようとした人を救っても、住居の確保など生活再建を支える公的制度が整備されていないからだ。

 佐藤は家族を説得し、一週間後、三十代の女性を従業員として受け入れた。大きな一歩だった。茂は「保護してからがとても大切。佐藤さんの温かい人柄を感じ、即断でお願いした」と振り返る。

 《一九九八年、自殺者が年間三万人を超えた=グラフ。その前年、山一証券など大型の経営破綻(はたん)が続発、金融危機の影響が深刻化していた》

 佐藤が二十四歳のころ、中学の同級生や別の同級生の姉、一年下の後輩が自殺した。その年、嬬恋村では自殺が相次ぎ「連鎖反応のようで、村全体が異様な雰囲気だった」。

 そのころ、長野県上田市にあった母校の高校の恩師からバレー部の監督を頼まれ、引き受けた。佐藤を頼って、部員や他校の不良グループの生徒、その親まで深刻な相談を持ち掛けてくるようになった。嬬恋村の自宅から上田市まで車で約四十分。「金属バットを振り回すとか、子どもが事件を起こすのは夜中。時間に関係なく飛んでいった」

 経営するホテルでも、県外から何のあてもなく同村に来た十八歳の少年らを雇い、借金トラブルを解決したこともあった。仕事と子どもを支えるボランティアに忙殺されて睡眠不足が続き、居眠り運転で自損事故を起こした。家族の心配もあり、三十歳のころボランティアを休止した。

 だから、茂を訪ねる前、家族に話すと「また悪い癖が出たと言われた」。佐藤の母親(68)は「言いだしたら、言っても聞かない」と苦笑する。

 ホテルは繁忙期に学生アルバイトやパートを雇う家族経営。佐藤の信条は「うちに来たら、誰でも家族」。受け入れた女性にも同じように接した。女性が十年近く連絡を取っていなかった母親にも佐藤が電話した。「女性はいやがっていたけど、電話に出たら涙、涙だった」。九月末、女性を実家へ送り出した。

 十一月下旬、茂から、その女性が再び東尋坊近くで保護されたと連絡を受けた。「ショックだった。自分がこんなに頑張っているのに何で伝わらないんだろうと…」

 それでも立ち止まるわけにはいかない。少しでも支えになればと、知り合いの農家からもらった野菜を茂に届けた。人口が減り、耕作放棄地も目につく嬬恋村だが「キャベツの収穫とか、仕事は結構ある」。佐藤は、自殺に傾いた人を地元で受け入れてもらえないかと考えている。

 「うちで働いた後に『洋司君の紹介なら』と雇ってくれる人はいると思う。うちを生きる力を持つきっかけにしてほしい。生きる場所をみつけられた、それでいい」 =敬称略

  (飯田克志)

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