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生活保護者の集いコミュのおらが春 夢再び 見守るしめ縄

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2009年大晦日(おお・みそ・か)、都庁やホテル、50階以上のビルが並ぶ摩天楼のはざまに、約400人の人だかりができている。東京・新宿中央公園。皆待ちきれない表情だ。視線の先にある台には、白飯にみそ汁をかけた簡単な食事が並べられている。


 午後7時過ぎ、路上生活者への炊き出しが始まった。最初の1杯を受け取ると、すぐに列の最後尾に走る。食べながら2杯目、3杯目を待つ。用意された700食は、わずか20分でなくなった。


 路上生活者の支援団体「新宿連絡会」が、年末年始の炊き出しを始めて今回で16回目になる。笠井和明代表(46)は「少ない年に比べると200食ほど多い。不景気の影響でしょう」。


 寒空の中の男たちを見守るように、会場には手作りの20本のしめ縄が飾られた。その下で、スタッフの寺田正幸さん(48)が忙しそうに働く。「つらくても、がんばって生きていればいいこともある」。そんな気持ちを込めて食事を準備した。


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 数年前までは寺田さん自身も路上生活者だった。当時から炊き出しのことは知っていたが、「恥ずかしい」と列に並ぶことができなかった。


 ふるさとは東京・新島。21歳で上京し、新宿の製本会社に勤めたが、4年後に社長の病気で廃業。その後、運送会社に10年勤めたものの、今度は業績不振で倒産した。40歳を超え、警備員などの日払いアルバイトでしのいだが生活は苦しく、アパートの家賃6万5千円を払うことすら難しくなった。03年ごろ、アパートを出てネットカフェやサウナで寝泊まりするようになると、路上生活は「遠い世界」ではなくなった。
 公園で1人、段ボールにくるまっての年越し。寒さと空腹、そして途方もない孤独感に襲われた。何度も自殺が頭をよぎった。ただ、その気力すらなく、死ねなかった。


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 生活が変わったのが05年。行政のあっせんで清掃などの仕事に就いた。その縁で、連絡会のスタッフに加わった。生活保護者向けの料理やパソコン教室の手伝い、時には心のケアのための話し相手となる。そんな中で、路上生活者を「農業研修生」として受け入れている千曲市の宮本暢(とおる)さん(82)と知り合った。


 会社の元経営者や学校長まで務めた人……。時代に、そして社会にほんろうされた人たちに、宮本さんたちはコメやリンゴ作りを教える。技術というよりは、自信を持つことで、再度、生きがいを見いだして欲しいからだ。


 7年前、宮本さんが始めた当初、周囲からは「どうしてそんなことを」との声もあった。それでも「人間はお互い信頼し、助け合ってこそ生きていける」。だから止めようと思ったことはない。「今年は俺(おれ)の年 出会いは人の心に種をまく」とのメッセージを手渡したこともあった。


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 宮本さんたちは、わら細工による地域おこしに取り組んでいる。炊き出し会場に掲げられたしめ縄も、寺田さんや宮本さんたちが12月中旬に千曲市で作ったものだ。寺田さんはしめ縄を見ながら、宮本さんが話していた言葉を思い出していた。「みんなでこうやってにぎやかに話していると災いも忘れられる。孤独になるのが一番いけないよ」


 ほんのわずかに歯車が狂うだけで、人生が大きく変わってしまう。出口の見えない不況は、誰にでも、その機会が訪れる時代をもたらした。自身も「どん底」を経験した寺田さんは「ほんの少しのきっかけで立ち直れることもある。連絡会や、宮本さんたちのように、それを支えてくれる人もいる」。


 寺田さんは再び夢を見るようになった。昨年、宮本さんたちに頼み、農業研修にそば作りを加えてもらった。


 将来、立ち食いそば屋を開き、そこを拠点にした就労支援ができないか――。


 日付が変わり、新しい年を迎えた。「健康に年が越せて感謝。今年もいい年になりますように」。そう願いながら乾杯し、近くの神社に初もうでに出かけた。
(長谷川美怜)

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