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【 聖書の真ナビ 】コミュの申命記

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        【 聖書の真ナビ (学び)】 さて、ところで聖書の真ナビ(学び)に入りましょう!今日は旧約聖 書の第五番目の本である「申命記」です。申命記の歌は、下記の通りで す。いつもの鉄道唱歌のメロディーで歌ってみてくださいね。 ・ 《申命記》 「モーセの説教・申命記 み国の民の祝福を祈って語ったお言葉を 心を尽くして守りましょう 」  では、前回の民数記の復習をしながら、申命記のナビゲーション(道 案内)をしてみましょう。民数記について理解のある方は、【申命記の 解説】に飛んでも構いません。 【民数記の解説】 民数記という名前は、この書の中で人口調査が2回も行われているこ とから、そう呼ばれるようになりました。元々のヘブライ語の名前は 「荒野にて」です。それは、この書の中の事件のすべては荒野に於ける 出来事だからです。 すなわち、出エジプト記した民は紅海を渡り、シナイ半島の先にある シナイ山に行き、十戒を戴いたりしながら、約一年のあいだ山の裾野に 住んでいました。ここまでの約一年間の記録が出エジプト記とレビ記に 書いてある訳です。民数記は、そのあとの38年間に渡る荒野の放 浪の旅について記録しています。 【要約】 民数記は大きく2つに大別することが出来ます。1 11日間の旅=1〜10章(シナイ山からカ ディシュバルネアまで)  シナイ山を出発した日から、11日間かかって約束の地の南で ヨ  ルダン川の東岸にあるカディシュ・バルネアまで来たのが、前半   の旅です。(申命記1章2節参照) 「ホレブから、セイル山を経てカデシュ・バルネアに至るのには十 一日かかる。」                             (申命記 1章2節)2 38年間の荒野をさまよった旅=11章〜36章  後半の旅は、せっかくカナンの地の入口まで来たのに、カナンの   地へ斥候に出た者たちの不信仰な報告によって民全体が影響を受   けて恐怖心にかられ、逆戻りしながら、結局は38年も荒野をさ   迷い40年目に入ることになるのです。(申命記1章 3節を参照) 「第四十年の第十一月の一日にモーセは、主がイスラエル人のため に彼に命じら  れたことを、ことごとく彼らに告げた。」(申命記 1章3 節)   この不信仰の罪に対して神は怒り、信仰的な報告をしたヨシュア   とカレブ以外のすべての《出エジプトした時に生きていた民は全   員》は、約束の地に入ることを許されませんでした。あの偉大な  指 導者モーセでさえも民の前で、「神を聖なる者としなかった。」  と 言われ、ネボ山頂から約束の地を眼下に眺めながら、入ること  を許 可してもらえず、無念の思いの中で死んで行かなければなら  ないの でした。 【申命記の解説】1 書名に関して  申命記という書名は、始めてこの書を読もうとする人に対して、読 む前から「いかにも難しく堅苦しい本なんだろうなー!」というイメー ジを与えてしまうが、この書名は、漢訳聖書からの転用で付けられた名 前である。もともとのユダヤ人たちは、《これは……のことばである》 とか、もっと簡単に、《ことば》と呼んでいた。  「申」が「申す」を意味することから、申命記は、大指導者モーセが 《神の命令》について民衆に《申し述べた》本である。 つまり、モー セの説教集なのである。  ただし、英語の聖書では、「第2の律法」という名前で呼ばれ ているらしいが、それは、2,000年以上前に聖書がヘブル語から ギリシャ語訳に聖書が訳された「70人訳聖書」の申命記17 章18節にある「この律法の写し」を意味するヘブル語から、そう 呼ばれることになったのである。 2 申命記の中心的内容に関して イスラエル民族は、神への不信仰の故に11日間で行ける距離を 40年間の長きにわたって荒野をさまようことになってしまった。その旅 の終わろうとする時、出エジプトした時に生きていた大人は全員死に絶 えてしまい、《出エジプト記する時の神の偉大な救いの御業》を見たこ ともなく、《シナイ山で神の声を聞いたこともない》新しい子供たちの 世代に生まれ変わっていたのである。 だからモーセは、ようやくたどり着いた約束の地を目の前にしつつ、 改めてもう一度、神の民として守るべき規律《十戒の戒め》を、細部に わたって現実問題に適用しつつ説教し、神の前に忠実であることを約束 させようとしたのである。  別の言い方をすれば、神とイスラエルは契約を結んだ仲であった。つ まり神は今まで、その約束に従ってイスラエル民族を守り導いて来られ たのであるが、その契約を結んだ大人たちは死に絶え、今は神の救いを 見たこともない新しい民となっていたのである。だから神は、カナン入 国を前に、もう一度、彼らの父たちと結んでいた《契約を思い起こさ せ》、モーセを用いて契約を更新しようとされたのである。  だから、申命記は、神と民との合意による《契約更新の文書》と言う ことも出来るのである。すなわち、今までも、そしてこれからも、イス ラエルが守られるのも滅びるのも、祝福されるのも呪われるのも、この 神との合意による契約を忠実に守るかどうかにかかっているのである。 神の民を守るものは、自分たちの《努力》とか《自己防衛力》とか、 《軍備拡張、軍隊増強》などではなく、ひとえに神の言葉を忠実に守る かどうかであり、神が立てた偉大な指導者モーセの説教を《神の言葉と して聞けるかどうか》、その《信仰》にかかっているのである。ですか ら、モーセは、何度も何度も《信仰に立って行動するように》勧告して いるのである。  申命記は、民数記の終りの部分で始まっている《モーセの働き》につ いての報告を継続し完結させている。それはイスラエルの民をカナンで の生活に備える為のものであった。民数記では、《行政管理の面》での 準備が示されているのに対し、申命記では《霊的な心の備え》が示され ている。 3 契約の特徴 神との契約として《律法を守る》と言っても、単に《束縛や拘束》と して受け止めるべきものではない。形式的な守り方ではなく正しく、つ まり、心から神の愛と配慮を覚えながら感謝して律法を守るなら《重 荷》とはならず、《自分たちを裁くものともならず》むしろ、神と親し い関係の中に《生かされるという特権の保証》なのである。  また、旧約時代における《神と人との契約》で重要なことは、それが 《同等な立場での契約》ではないという点である。この神との契約は、 《交渉による合意》に基づく契約ではない。契約を定めるのも、それを 与えるのも、《一方的に神》なのである。神の民は主権者である神に よって与えられた条件を、全面的に受け入れなければならない。それは 従う者、従わせる者の関係を前提としている。 4 申命記の中のキリスト(隠れた神のメッセージ) 今までの創世記、出エジプト記、レビ記、民数記の中では、イエス・ キリストは、雛型(模型)として現れていた。また、寓意(たとえ)的 に示されていたが、この申命記では、明白に示されている。申命記18章15節と18節に、 「あなたの神、主は、あなたのうちから、あなたの同胞の中から、私 のようなひとりの預言者をあなたのために起こされる。彼に聞き従わな ければならない。」                           (申命記 18章15節)「 わたしは彼らの同胞のうちから、彼らのためにあなたのよ うなひとりの預言者を起こそう。わたしは彼の口にわたしのことばを授 けよう。彼は、わたしが命じることをみな、彼らに告げる。」(申命記 18章18節)  と、決して抽象的でなく、具体的に、やがてこの世に来られる《救い 主イエス・キリスト》が預言されているのが本書の特徴である。 つまり、モーセは指導者であったばかりでなく、預言者でもあったの で、やがてこの世においでになる救い主イエス・キリストの出現 を申命記の中でハッキリと宣言しているのである。 そういう意味で、申命記は、創世記3章15節に 「わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫と の間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のか かとにかみつく。」                          (創世記 3章15節) と、あるように、イエス・キリストのことを 1 人間の子孫から産まれる御方として(女の子孫との間に) 2 悪魔に敵対する「敵意」として(敵意を置く。) 3 悪魔に致命傷を与える御方として(彼は、おまえの頭を踏み砕き) 4 悪魔は、イエス・キリストに傷を負わせる(おまえは、彼 のかかと    にかみつく。)  と、4つの点において抽象的に預言していた。しかし、申命記では明 らかにモーセのように神と顔と顔を合わせて語り合うことが出来る 1 特別に選ばれた預言者「私のようなひとりの預言者」であり、2 神の言葉を直接授けられる「わたしは彼の口にわたしのことばを授 け    よう。」 と書かれており、より具体的な表現になっている。このように、聖書の 本の数が進むにつれて、いよいよ救い主イエスについて明らかになって くるのです。 詩篇では、「イエスが十字架でどんな言葉を叫ばれるか?」 イザヤでは、「救い主は、処女から産まれる。」       「救い主は、エッサイの子孫から産まれる。」       「救い主は、赤ちゃんとしてくる。」 ミカ書では、「救い主は、ベツレヘムの町で産まれる。」  というように、これからいよいよ暫時的に救い主の詳細が明らかに預 言されていくのである。 5 申命記の中の特筆すべき記事 (1)この書の強調点の一つは、神はこの世に一人しかおられ ない。   という主張である。  「聞きなさい。イスラエル。主は私たちの神。主はただひと りである。」                             (申命 記 6:4 ) (2)この書の強調点の一つは、この世の主である神は、その 主張や   計画や御業においても常に首尾一貫したお方であるという こと   にある。 (3)この書の強調点の一つは、「神は愛である」ということ にある。   成功や祝福ばかりでなく、失敗や苦しめられることでさえ、彼    らが神の民として確立されるためのものであったことを、この    申命記は私たちに語りかけてくる。 6 申命記を読むときのアウトライン・モーセの第1の説教━━歴史的序論 1章6節〜 4章43節 (1)40年の歴史━━歴史における神(1: 6‐3:29) (2)律法への従順の勧告(4:1‐40) (3)逃れの町について(4:41‐43)・モーセの第2の説教━━律法 4章44〜26章 19節 ・序論(4:44‐49) ・戒めの基本(5:1‐11:32) ・戒めの各論(12:1‐26:15) ・結論(26:16‐19)・モーセの第3の説教━━祝福とのろい 27章1節〜 29章1節 ・契約の更新(27:1‐26) ・祝福とのろい(28:1‐29:1)・モーセの最後の説教 29章2節〜30章20節 ・契約への従順の勧め(29:2‐29) ・決断への勧め(30:1‐20)・契約の継続 31章1節〜34章12節 ・律法の宣言とヨシュアの任命(31:1‐29) ・モーセの歌(31:30‐32:44) ・モーセの死について(32:45‐52) ・モーセの祝福(33:1‐29) ・モーセの死とヨシュア(34:1‐9)・結び  34章10節〜12節  このアウトラインは、読む人によって聖書の視点や論点などの読み方 が違うので、当然、区分が違うことがよくあるので、あくまでも皆さん が読むときの参考にしてください。いつか、皆さんなりのアウトライン を見つけれるようになったら教えてください。そこまで読みこなせるよ うになったら嬉しいです。 付録(おまけ) 《創世記〜民数記》          《申命記》 1人の経験についての記述     霊的な意義 2外面的な事実          内面的な精神 3神の方法の経験         神の愛の啓示 4イスラエルの歴史の経過     イスラエルの歴史の哲学 5神のみわざ           神の原則

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