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特攻隊員の話をしようコミュの奇跡の遺品返還 小川清少尉

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トピ「特攻に関係のある日−今日は何の日」で まどかさんが紹介してくれた 小川清さんのトピが無いようだったので調べてみました

小川 清 (大正11年(1922年)10月23日生まれ 昭和20年(1945年)5月11日 没
第二次世界大戦中における日本海軍航空隊のパイロット。群馬県碓氷郡八幡村(現高崎市)藤塚出身。小川錦次郎の四男(5兄弟の末子)。最終階級は海軍少尉(死後海軍大尉に2階級特進)

昭和20年5月11日 菊水6号作戦発令。神風特別攻撃隊第7昭和隊として、鹿屋基地を午前6時40分に飛び立ち沖縄南西諸島沖東方122kmで午前10時9分、「ワレ突入ス」との無線の後、友軍機(安則盛三中尉搭乗であると思われるが確証はない)に続いて米空母バンカーヒルに500kg爆弾を投下後、体当たり特攻をして戦死。バンカーヒルは炎上し死者は396名、負傷者264名を出した
(これによりバンカーヒルは戦線を離脱)

小川氏の遺品
バンカーヒル乗組員のロバート・ショック(2000年11月7日没)は、被害後のバンカーヒルの処理をしていて、燃えずに残っていた小川機を発見し遺品を持ち帰って大切に保管していた。これを形見として受け取った孫が遺品を遺族に返還したいと会社の上司の通訳業の妻(日本人)を介して2001年3月27日にサンフランシスコで遺族に返還した。実兄は2000年4月に他界していたので、義理娘母子に返還された。
遺品は、名前が書かれた布片、戦友からの短歌が書かれた手紙、戦友達と写った写真2枚、懐中時計、落下傘の留め金・製造票、日本の紙幣、軍票。


最後の便り

海軍大尉 小川 清 

父母上様

お父さんお母さん。清も立派な特別攻撃隊員として出撃する事になりました。思えば二十有余年の間、父母のお手の中に育った事を考えると、感謝の念で一杯です。全く自分程幸福な生活を過ごした者は外に無いと信じ、このご恩を君と父に返す覚悟です。


あの悠々たる白雲の間を越えて、坦々たる気持ちで私は出撃して征きます。生と死と何れの考えも浮かびません。人は一度死するもの、悠久の大儀に生きる光栄の日は今を残してありません。
父母様もこの私の為に喜んで下さい。

殊に母上様にはご健康に注意されお暮らし下さる様、なお又、皆々様のご繁栄を祈ります。清は靖國神社に居ると共に、何時も何時も父母上様の周囲で幸福を祈りつつ暮らしております。

清は微笑んで征きます。出撃の日も、そして永遠に。

↑「ウィキペディア 」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%B7%9D%E6%B8%85

http://www.geocities.co.jp/kamikazes_site/tokko_episode/ogawa_syoi.htm

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