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特攻隊員の話をしようコミュの第二十三振武隊 前田啓 大尉

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陸軍特別攻撃隊 第二十三振武隊 前田啓 大尉 北海道室蘭市

昭和二十年四月三日 出撃戦死 二十三歳


遺書

 父母様、啓ハ大命ヲ拝シ征ク事ニナリマシタ。
 二十有余年ノ今日ニ至ル迄厚キ御愛情ヲ受ケ、何一ツ孝行モ出来ズ御心配バカリカケ申シ訳御ザイマセン。厚ク御礼申シ上ゲマス。
 啓ハ大君ノ御為太平洋ノ防波壁トナリ死ニマス。
 武人ノ名誉之ニ過グルハナシ。元気旺盛ニシテ意気天ヲ衝ク有様ナリ。御安心下サイ。
 今日ノ誉レ啓ゴトキ小臣、軀ニ余ル光栄ナリト存ジマス。我ガ屍ハ敵艦ニアリテ消ユルトモ、魂ハ遠古天知ニ止マリテ皇国ノ礎ヲ護ラム。
 軍人タリ股衡肱トシテ大君ノ御為散レルコソ日本国ニ生享ケタル甲斐アルト言ヘヨウ。
 而シテ身命ヲ大君ニ捧グルハ日本臣民ノ大義大道ナリ。又軍人ノ本分ナリ。
 一、軍人ハ忠節ヲ尽スヲ本分トスベシ
 君ニ忠ナリ親ニ孝ナリノ両論コレノ道義ニ邁進シ、死ヲ以テ山ヨリ高ク海ヨリ深シノ君親大恩ノ万分ノ一ナリト報イ奉ル決心ナリ。
 最後ニ父上様御一同ノ御壮健ナラン事ヲ御祈リ申シ上ゲマス。
 猶、特ニ自分ノ墓ハ不用デアリマス。亡母ノ御墓ノ側ニ静カニ寝カセテ下サイ。サヨウナラ。
 天皇陛下 万歳
 振武隊 万歳
  若桜屍ヲ空ニサラストモ
    何惜シカロウ大君ノタメ
昭和二十年三月二十五日
       陸軍特別攻撃隊
        振武隊陸軍少尉 前田 啓

 
俺が死んだら 
 何人泣くべ
        北海道
            前田 (花押)


遺族への手紙

知覧高等女学校 教諭 帖佐 潤子(現・清藤 潤子)

北海道室蘭市(前田啓大尉遺族)
前田善三郎様宛

 突然御便り差上げる不躾を御許し下さいませ。私は鹿児島県の知覧高等女学校の教員でございます。
 沖縄が危うくなって参りました今日、本土の最南端のこの地が基地となりまして、私共生徒をつれて特攻の方々の御世話に参って居たのでございますが、その折前田少尉殿も三月二十八日この地に御着陸なさり、四月三日晴れの御征途に御つきになりました。出発前日の夜、久し振りで最後の蒲団の上に寝せて頂こうかなとてあばら屋に御泊り下さいました。ここの基地は、野戦そのもので、安全で空襲よけの三角兵舎の実に粗末な所なのです。私共神様のお泊りくださるとの事、何のおもてなしも出来ませんでしたが、真心で御満足願う事でした。
 あんなに朗らかな豪快な方はいらっしゃいますまい。あゝ明日は死して護国の神となる方かしらと思うと、誠に感無量のものがありました。
 色々御話ししているうちにお父様お母様の御話しもなさいました。もう最後だという時、父を呼んだが何も知らぬ父を見て、だんだん老いゆく父を見て、自分は特攻隊でゆくのだという事はどうしても言う事が出来なかった。風呂に入って背をこすって上げ乍ら、やせた肩を見ては口に出して云えるものではなかった。然し今頃は遺品が帰ってくるから、それと悟っていてくれるだろう等云って御写真等拝見さして頂きました。又部下思いで、俺は嫁等貰おうとはしなかったが、部下の者には一週間ずつの暇をあたえて嫁探しに帰らせたよ等、面白い中にも情のこもった事をおっしゃる方でした。
 夜お休みになる前、おれのばあさんいゝ人でな。災難よけの豆をくれたんだよ。これを毎晩寝る前に一つづつ食べて寝るんだ、おいしいぞとて飛行服の内ポケットから状袋に三分の一位入った豆を取り出し、私にも三個下さいました。
 一つ一つの御話しを聞いて居りますと、ほんとに神様の御心に自分も仲間入りさせて頂ける位な有難い感じがしました。
 明日はやるぞ、午後六時頃だ、一機一艦轟沈だ。轟沈させた途端はドンピシャリ太平洋の鱶の餌だ。明後日頃の魚は少し人間臭いぞ等淡々たるものでした。六時が来たら線香でも灯して下さいと云って出てゆかれましたが、ほんとになんと御答えの言葉も見つかりませんでした。
 この様な有様で病気でゆけない二十三振武隊(谷山正夫少尉殿の隊です)の戦友を出発直前迄労り乍ら離陸なさいました。きっときっと大きな功をたてゝ下さった事でございましょう。飛行機の調子はよし、自信満々だといっていらっしゃいましたから。
 御出発前の御様子、もっとうまく書けたらよろしいのですが、下手な筆で恐縮でございます。
 御父母様共御老体御自愛のほど御祈り申し上げます。
                           かしこ

 四月二十日
 
前田少尉殿の御両親様                  帖佐 潤子

 追伸
 
日付の通り二十日に書きましたが、基地がわかるといけないから手紙等出さぬ様にとの憲兵隊の注意で今日四月三十日になりました。ごめん下さいませ。


前田大尉は、自分と同郷の北海道ということで特別な思い入れがあります。

「俺が死んだら 何人泣くべ」

彼のことを知り、涙を流した日本人はたくさん、たくさん、居ると思います。

有難うございました。  

コメント(3)

>Katsuya@Free Tibetさん、御紹介有難う御座います。

前田大尉殿、本当に沢山の日本人が涙しております。

貴方様が、お父様にどうしても「特攻でゆくのだ」と言えなかったお気持ちが、この最後のお言葉になっているのでしょうか。私の勝手な憶測です。お父様に言えなかったと言う事は家族も知らないままだったでしょう。もしかしたら、お父様は気付いていたかもしれませんね。それが親子の心と心の繋がりのように思えました。そんな事を考え、また涙が込み上げます。

本当に有難う御座いました。
「俺が死んだら 何人泣くべ」

現代の自分たちにも言えることですよね
生きている時にどれだけの事をしていたか、現代に生きる自分たちは戦時中の人たちと違い、死と向かい合って日々を送ると言う事には気薄で、どういう死に方をしたかと言う考えはありませんが、やはり人間として生を受けて生まれてきた以上、人に惜しまれるような人間になりたいものです
それにはやはり「いかに生きてきたか」を大事にしていきたいと思います

特攻隊員の方たちのような崇高な気持ちにまでは成れないと思いますが、何か1つでも学んで行きたいと思うばかりです
昨日4月3日は前田啓大尉殿のご命日でした
謹んでご冥福をお祈り申し上げます…

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