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好きです『北海道』コミュの★網走〜北見エリア★

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◎ 網走・佐呂間・北見周辺

  有名な網走刑務所があることで独特の存在感をもつ網走と、濤沸湖からサロマ湖に至る湖沼群が織りなす大空間が特徴のエリア。小清水原生花園や能取湖の珊瑚草、ワッカの竜宮街道といった北海道を代表する風景が展開。その周辺にも温根湯温泉をはじめ小さな見所が点在している。

◎ 歩き方
 ・ 鉄 道
   この地域の玄関口は網走駅。札幌・旭川方面からのJR石北本線と釧路・川湯からのJR釧網本線の接続駅でもある。網走の東南、浜小清水方面へは釧網本線が連絡し、夏のシーズンに観光客を集める原生花園駅(夏期のみの臨時駅)に停車する。またサロマ湖や湧別方面へは石北本線の遠軽駅が近い。北見駅は十勝から伸びる北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線と石北本線の接続駅だ。

 ・ バ ス
   網走を起点に小清水と、常呂・佐呂間・中湧別方面に網走バスが走る。遠軽〜湧別間は北海道北見バスが接続している。いずれも過疎路線なのでバスを乗り継いでの旅はかなり苦しい。冬期は網走駅発の流氷をめぐる定期観光バス「流氷バス(網走バス)」が走っているのでこれを利用するのもよい。

 ・ レンタカー
   このエリアは見所が離れていて、交通の便もあまりよくないので、レンタカーは有効な交通手段となる。網走駅と北見駅にはJR北海道レンタリースの営業所をはじめ、大手レンタカー会社の営業所がある。

※ プラニングのヒント

  原生花園がお花畑になる7月前後が最大の観光シーズン。7月の第一日曜日には小清水原生花園祭り、最終土曜日には網走でオロチョンの火祭りも開かれる。5月下旬には上湧別のチューリップが見事な花を咲かせ、6月下旬には常呂のハイジの丘がマーガレットで真っ白になる。また9月になると、このエリアは花の歳時記が手放せない。一転して真冬の2〜3月上旬に能取岬で開かれるのっとりランド網走は、スノーモービルから雪合戦まで冬の遊びを集めたイベント。2月上旬には網走でオホーツク流氷祭りが開かれ、1月22日〜3月31日の間流氷観光砕氷船オーロラが毎日運行される。

※ ドライブアドバイス

  海岸線に連なる湖と内陸部にある大小の盆地で構成された地域で、網走と北見という比較的大きな町を中心に見所が散在している。道路は亀甲状に通っているので多様なルートで廻ることができるエリア。国道は整備されているが、一般道に入るとダートコースもまだ残っている。また小さな岬は冬期閉鎖することも多い。

◎ 網 走

  オホーツク沿岸で最大の町、網走は水産業を中心にして発展した漁業都市だ。昭和40年(1965)の映画「網走番外地」シリーズから刑務所のある町としても有名になった。現在も刑務所は存続し、網走川を渡ってそのレンガ造りの正門まで立ち入ることができる。この刑務所の建物を移築したのが天都山山麓の博物館網走監獄。刑務所の博物館という珍しい施設だが観光バスも訪れる網走最大の見所になっている。この点登山は網走市街から知床や網走湖を一望できる市内髄一の展望地。山頂にはオホーツク流氷館や、北方民族博物館がある。網走港から網走川に沿って延びる市街地への中心部はこれといったポイントはないが、その走り川の河口には先史時代に大きな意味を持つモヨロ貝塚が保存されている。また、網走湖は周囲40kmの海跡湖で、湖に突き出した呼人半島は探鳥遊歩道もある野鳥の多い所。湖畔の大曲には鉄道の廃線跡を利用した延長42kmのオホーツクサイクリングロードの起点がある。

◎ 網走の交通

  網走バス網を持っており、網走駅と各観光地を結んでいる。網走市内の観光地は、ほぼ路線バスで廻れるが、定期観光バス「能取美岬コース」は市内の見所プラス能取岬をセットしたコースでおすすめ。また、冬期間はこれに濤沸湖の白鳥を加えた流氷館港砕氷船のりばで乗降できる「流氷バス」も便利だ。タクシーは網走駅に常駐。浜小清水方面へは釧網本線で、夏のシーズンのみ原生花園駅に臨時停車する。

◎ 網走の宿

  市街中心はほとんどがビジネス系のホテルや旅館。観光向けには網走湖温泉と二つ岩の旅館がいい。公共の宿は簡易保険保養センターが網走湖の南に、ユースホステルが網走、北浜、小清水にある。

● 網走刑務所(本物の刑務所前は重厚な門が世界を分ける)

  今も残る現役の網走刑務所は網走駅の西方、網走川に沿って広がっている。観光客は赤いレンガ造りの正門まで近づくことができ、ほとんどの人はここで記念写真を撮っていく。だが、よく考えてみると刑務所の観光名所というのも不思議だ。確かに遠くまで来たという到達証明にはこの上もない説得力がこのレンガの門にはある。網走刑務所は明治23年(1890)に北海道の道路開削のため、本州各地の監獄から重犯罪受刑者を移送収容する目的で設置された網走囚徒外役所がその前進である。レンガの門は、大正11年(1922)建築のフランス式デザインで、刑務所内の土を焼いたという150万個のレンガで作られた。現在ここは2〜3年という比較的軽い刑の受刑者を収容する刑務所で、農場刑務所の性格を持つという。高い塀の向こうには監視台も見える。正門反対側には受刑者が作ったキャビックという刑務作業製品の展示販売所があり、幸福をもたらすといわれる名物のニポポ人形(木彫りの人形)が売られている。また、網走駅前には、このニポポ人形をモチーフにした電話ボックスもある。ちなみに、現在北海道で最も重い受刑者を収容するのは、旭川刑務所とか。

● 博物館網走監獄(北海道を作った囚人達の歴史を再現する)
  網走の名物を全国に知らしめたのが明治23年(1890)に設けられた網走監獄。ここで、実際に使われてきた明治45年(1912)からの獄舎、放射状五翼平屋舎房を中心に、庁舎やレンガ造り独居房、浴場、教●堂など様々な建物を、網走湖東岸の天都山中腹に移築、明治の姿そのままに復元したのがこの博物館網走監獄だ。実際に使われていた監獄を博物館として公開しているのは、日本ではここが唯一単なる囚人の収容施設というより、彼らによって開拓された北海道の歴史資料館ともいうべき施設で、行刑の仕組みや過酷な自然の中での囚人達の労働の様子などをストレートに再現している。受刑者の記録や資料を集めた行刑資料館には、見るだに恐ろしげな、足枷、両手両足錠、鎖、鉄丸などの他に、現在でも使われている補縄、手錠、鎮静衣、防声衣の4種類も展示されている。ちなみに、6回も脱獄を企てた西川寅吉という男は脱獄途中で釘を踏み抜いたまま三里も逃げ、”五寸釘の寅吉”の異名を取り、出所後は自分をネタに全国を巡業したとのこと。そのとき宛てられた寅吉の写真が泥棒除けに珍重されたという話は傑作だ。歴史を秘めた放射状五翼平屋房の第24房は、吉村昭の小説「破獄」のモデルになった男の独房で、昭和19年(1944)、灯火管制下に関節をはずして小さな窓をすり抜け、屋根のガラスを破り逃げおおせたという驚異の脱獄現場である。また通路を挟んだ反対側の第57房は、戦前の左翼の大物活動家、徳田球一の独房で、まさにドラマの舞台となった建物である。しかし、このクラシックな施設も本の十数年前の昭和59年(1984)まで使われていたというのだから驚くばかりだ。1993年には、裁判所法廷も復元されてないようもさらに充実した。あれこれめぐって1時間はたっぷり見学できる博物館だ。

※ 囚人達の過酷な労働力によって開かれた道

  明治維新で時代が大きく変わり、混乱の中で数多くの政治犯や犯罪者が発生し、全国の刑務所では収容しきれない時期があった。そのとき北方からのロシアに備えるために、急きょ、開拓中だった北海道に囚人達を労働力として送り込む一石二鳥の計画が実行された。明治10年(1877)ごろ、北海道の監獄は4000人程度の収容力しかなかったが、8000人もの囚人が送られたという。彼らは急務とされた道路開削にかり出され、遠隔極寒の山中で外役所や休泊所という粗末な仮小屋に収用されながら過酷な労働を強いられた。現在の国道39号の旭川〜網走間はまさに囚人道路と呼ばれた所。1200人の囚人が二人ずつ鎖でつながれ、160kmの工事をわずか7ヶ月で完了。212人の犠牲者を出したということから、その過酷さが伺える。このような囚人の外役労働は「囚人が餓死すれば監獄員が軽減される」という恐るべき非人道的な発想に基づいており、明治27年(1894)に廃止されたが、今度はタコと呼ばれる拘禁労働者毎年2万人も集められ、ほとんど無報酬で酷使された。現場では栄養失調や病気などが蔓延し、これに対し役所や警察も取り締まることはなかったという。北海道の鉄道や港湾・道路・ダム建設などもタコ部屋の強制労働に加えられ、廃線まで続くことになる。このような事実はほとんど記録に残されなかったが、北海道の各地には今でも生き埋めや、逃亡者の火あぶりなどの話が伝えられている。昭和45年(1970)、JR石北本線縄文トンネルの改修工事中に、壁の中から立ったままの人骨が発見され、100名以上が犠牲になったといわれる●工事で人柱が実際にあったことが確認された。北海道の近代にあった、忘れてはならない悲しい歴史である。

● オホーツク流氷館(網走のてっぺんに登って流氷に触れる)
  網走市街の背後、標高207mの天都山山頂に立つ流氷がテーマの観光施設。館内は五つの展示室で構成されており、真夏でも流氷体験ができるという第2展示室には、実際にオホーツク海から採取したという流氷が運び込まれている。ここはマイナス17度に保たれた冷凍庫のような部屋に、大きな氷魂がゴロゴロと転がっている。入り口では防寒服も貸し出しているので、寒がりの人は借りていくといい。また、第5展示室では、流氷観光砕氷船オーロラ号の操舵が疑似体験できるシュミレーションが人気を集めている。さらに、第4展示室にある世界初という三面マルチビジョンでの能取岬の流氷や空中撮影の映像もなかなか迫力がある。無料で上がれる屋上は、網走湖や能取湖をはじめ斜里岳から知床連山までをぐるりと見渡せる絶好の展望台になっている。時間がなければここに上がるだけでも十分堪能できる。

● 北方民族博物館(北の民族のドラマと生活を実感するミュージアム)
  アイヌも含めて、まだわからないことが多い北方の諸民族の言語や文化を紹介する規模の大きな博物館。その対象となる民族は、極北地域のグリーンランドのイヌイットからスカンジナビアのサミ(ラップ人)、北米インディアンにまで及んでいる。館内の世界地図は北極を中心にして、諸民族が空間的に連続していることを示し、それを前提にして文化的な繋がりを探ろうとする極めてまじめな民族博物館になっている。展示は大がかりで、イヌイットの堅穴住居の実物大カットモデルを見ると、北海道各地に残されている堅穴遺跡が実際にはどのようにの使われていたかが想像できる。衣食住にテーマが分かれ、例えば「衣」のコーナではアザラシの腸で作った腸製衣やサケやチョウザメの皮の魚皮衣、ヒノキの皮で作った樹皮衣など、農耕民族の文化から見ると珍しい北方民族の知恵が分かりやすく展示されている。特に、7〜8世紀にアムール川流域やサハリンから南下した謎の民族が、この北海道周辺に達してモロコ貝塚を残し、13世紀ごろこつ然と姿を消した「オホーツク文化」をテーマにした展示が興味深い。建物も羽を広げたようなロビーには北方資料のライブラリー情報資料普及室もあり自由に利用できる。

● 北方少数民俗資料館(ジャッカドフニ)(網走にあるもう一つの北方民俗資料館)
  大曲にある北方少数民族ウィルタの資料館。昭和59年(1984)に亡くなった、Dゲンダーヌさんの個人資料館として開館し、今は姉の北川アイ子さんが引き継いでいる。たった一室だけの小さな資料館だが、今でもサハリンに住んでいるウィルタ民族の衣服や毛皮、楽器、文様など様々な生活道具が多数展示されている。いずれも手書きの説明がなされ、すべて手に取ってみることができる。ウィルタとは「トナカイを飼う人たち」という意味。かつてはアムール川流域に住んでいたとされる少数民族で、現在もごくわずかしかいないといわれる。ここは、第二次世界大戦でサハリンと日本に分かれて住むことを余儀なくされたウィルタの人々が、自らの文化を伝えるために設けた資料館だ。ジャッカドフニとはウィルタ語で「大切なものを収める家」の意味。個人旅行者しか来ない所だけに、あまり知られていないが、少数民族の文化や歴史をゆっくりと考えることができる。

● モヨロ貝塚(どこかに消えたモヨロ人の貝塚を見る)
  8〜13世紀頃、どこからやってきてオホーツク文化を創り上げ、その後姿を消した謎の先住民族モヨロ人の貝塚である。網走川の河口の北岸に、国指定史跡でもある貝塚の断面を観察できる網走市郷土博物館のモヨロ貝塚館が建っている。この貝塚のカキ、ホッキ、ホタテなどの貝殻層からは今までに三十体以上もの人骨が発見され、それらはみな頭にオホーツク式時の●をかぶらせられて埋葬されたという。骨格は日本人ともアイヌ人とも異なる特徴を備え、おそらく漁労に長けた海の民族と推定されている。今後、サハリンや沿岸州での考古学調査が期待される興味の尽きないオホーツク文化の遺跡である。ちなみに、貝塚の周辺はホタテの加工場が集まり、こちらでも貝殻を山のように積み上げている。今も昔も人の営みには大差がないようで面白い。

● オホーツク水族館(北海のオールスターを集めた潮風の水族館)
  網走と能取岬の中間、二つ岩海岸にある水族館。その名前の通り寒流の海の生物を集めている。特に目立つ点は、海獣が多いことで、屋外の檻にはまるまると太った巨体を岩の上にのせるトドや、騒々しく餌を催促するゴマアザラシ、ボールと戯れるラッコなどを見られる。建物はかなり古く最近流行のモダンな水族館とは比ぶべくもないが、迷路のような展示室に次々と現れる北の海の個性的な役者達を堪能したい。流氷の下で羽をはばたかせて泳ぐクリオネや、ものすごい顔をしたオオカミ魚などの珍魚怪魚、どこか機械的な動きのズワイガニや水ダコといったおなじみのメンバーの様子も面白い。

● 小清水原生花園(海辺の花園を一里歩いて展望台へ)
  JR釧網本線の浜小清水〜北浜間、オホーツク海と濤沸湖に挟まれた細長い砂丘地帯から連なる約12kmにも及ぶ原生花園。釧網本線に沿って、車窓から6月中旬のセンダイハギにはじまり8月下旬のハマナスまで約40種類の植物が次々に花をつける様子が楽しめる。砂丘の中間にはJRの臨時停車駅、原生花園駅があり、ここから斜里よりの浜小清水駅までの3.8kmに遊歩道が設けられている。砂丘の道はアップダウンを繰り返しながら続き、時折濤沸湖や海もかいま見えて気分がいい。浜小清水駅近くの丘にはピラミッドのようなフレトイ展望台があり、それほどの高さはないが今まで歩いてきた砂丘や知床連山までぐるりと展望できる。展望台の下には四季のマルチスライド映写もあるが、これは有料。有名な原生花園だけに、夏休み中はかなりの人手がある。このため持ち込まれたタネで雑草が繁茂し、近年は花の数が少なくなったとの声もある。ちなみに、シーズンオフはほとんど観光客の姿もないがフレトイ展望台からの秋の夕景は見事。

※ 寄り道

  JR釧網本線の網走〜知床斜里間には古い無人駅舎を利用したレストランが集まっている。その中でも個性的なのが大正13年(1924)建築の藻琴駅にあるトロッコ。店の内外には昔の雑多な鉄道用品が置かれ鉄道ファンには魅力的な空間を作る。その隣の北浜駅は”海に最も近い駅”としても有名で、ホームの下はすぐ砂浜となっている。この北浜駅舎にあるのが停車場。旧型客車の座席を利用した店内は古いカフェの雰囲気を出している。ここは予約でフランス料理もだす本格派。網走市街中心部にあり、近海の魚介類を使った定食などが手頃な値段で味わえるのがカジカ。特に季節の魚介7〜9種がご飯を覆うオホーツク丼が人気だ。

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