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盛岡てくりコミュの盛岡の本屋さん 9 大通り〜盛岡駅界隈

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今度は大通りを北上しよう。中の橋を渡ってサンビルまで。80年代の半ばに、サンビルの二階はフロア全体が「東山堂」の支店だった。

●東山堂サンビル2F店/大通り

今はなくなっているが、当時は、盛岡市内の本屋さんで、売場面積がもっとも広かった。が、広い割に人文書も専門書もいまいちの印象がある。いつの間にかなくなっていたが、現在、サンビルの二階は何になっているのだろうか? サンビルの二階といえば、小さい頃は食堂に連れて行ってもらうのが楽しみだった。ところでデパートの屋上が遊園地だったのはどこだったのか? サンビルには屋上はなかったと思う。そういえば、イイヅカというデパートがあった。屋上もあったような気がする。大通りと映画館通りの交差点辺りだったか…。屋上があったのは、旧川徳だったか。肴町の川徳はその後、エンドーチェーンになって、その後、中三になって、一昨年爆発事故が起きて、…現在は……。

さて、今度は映画館通りの本屋さん。映画館通りを右に曲がって、中央通りと交差する手前、映画館のピカデリーの隣に「カネボウ書店」という小さな本屋さんがあった。

●映画館通りの書店カネボウ書店 /映画館通り

この本屋さんも今はなくなっているが、結構、最近まで存在していたような気がする。それこそ六畳の広さで、エロ本とマンガしかなかったが、木製の本棚と同じく木製の平台が重厚で、店構えに趣があった。

大通りに戻る前に、映画館通りを逆走して、現在のカワトクデパートに行こう。80年代の前半に、カワトクの3階には「第一書店」の支店があった。

●第一書店川徳3F店/菜園

大通りの本店よりも美術書や人文書が充実していた。サンビルの東山堂はあまり役に立たなかったが、こっちの第一書店は随分と利用した記憶がある。本棚を眺めるだけでも楽しくて、訪れるといつもぐるぐる回っていた。その後、ここの本屋さんは、「丸善」になったと聞いたが、私は訪れたことがない。去年か一昨年、帰省した時には、川徳の丸善は文房具のみで6階かどこかにあったと思うが、今年のゴールデンウィークに覗いた時には、文具の丸善はなくなり、代わりに本屋さんは「東山堂」、文具は「ロフト」が入っていた。第一書店は、どこに行ったのだろうか? 全店、消滅してしまったのだろうか?

さて、大通りに戻ろう。

●第一書店/大通り一丁目

現在のさわや本店のほぼ向かいに「第一書店」があった。一階が単行本、文庫、新書、マンガ、雑誌と文房具も少し売っていた。二階が、人文書と美術書、学習参考書。そして、喫茶店があった。決して大きくはないが、十分な品揃えの本屋さんだった。十分な品揃え、というのは、無駄な本が少ない、という意味だ。高校時代、単行本は、この第一書店と向かいのさわやで、ほとんどを買っていたように思う。

第一書店の三階には、「第一画廊」という画廊があった。企画展のみの画廊で、時にはウォーホールのシルクスクリーンなどを観ることが出来た。この画廊は後に、中の橋の近くに移転してきたテレビ岩手のビルの一階に移転するが、今でもあるのかは不明だ。

画廊と言えば、大通りの入り口のビルの上に「クリスタル画廊」があった。こちらは、同じ企画画廊でも小品が中心だった。そのほかに盛岡で画廊といえば、上の橋の「ギャラリー彩園子」がある。こちらは主に貸し画廊で、現代美術に特化していた。クリスタル画廊はなくなってしまったようだが、彩園子は今でも続いている。

第一書店の向かいには「さわや書店」の本店が今でも健在だ。この本屋さんに関しては、「盛岡の本屋さん」と題したこのトピックスの一番最初に書いたが、最近になって覗いたら、文庫の棚などは、出版社別ではなく、アイウエオ順の著者別になっていたので、本を探すときにかなりのストレスを感じた。現在、私が訪れている東京の本屋さんのすべては、出版社別になっているので、普段は○○文庫のあの辺り、みたいな見当をつけて、本探しをしているので、非常に見づらかったのだ。

さて、さわや書店を出て、盛岡駅の方へ大通りを下る。大通りの入り口あたりの右側に、短期間だけ、東山堂の支店があった。

●東山堂支店/大通り二丁目

売場面積は、さわや本店の一階の半分くらい。可もなく不可もなく、特徴のない本屋さんだった。80年代の半ばのことだ。すぐになくなったような気がする。

大通りを出て、海運橋に向かうと、○○の辺り、左側に「斗が沢書店」があった。

●斗が沢書店/開運橋通り

たいして大きくもなく、かといって極端に小さくもなく、サイズとしては前九年にあった好文堂と同じくらいの店舗だった。雑誌とエロ本とマンガと実用書の本屋さんだった。桜木小学校の向こう側に、斗が沢医院という病院があったので、親戚かなと勝手に想像していた。随分昔からあった本屋さんだ。つい最近、というか2000年代まであったような気がする。

ここを出て、海運橋の手前の、昔はミドリヤと言った三角形の敷地に建ったビルの地下一階に、やっぱり東山堂の支店が入っていたことがある。

●東山堂書店支店/開運橋通り

1980年代の半ば、東山堂の支店はいつもそうだが、特に特徴のない店が多い。ここもその一つだった。短期間で撤退したような気がする。現在は、建物もない気がする。

そのまま海運橋を渡って、盛岡駅に入る。駅ビルがステーションデパートだった頃には、地下一階に「久保庄書店」の支店があったことは以前に書いた。駅に隣接するフェザンの三階にあったのが、「誠山房書店」だ。

●誠山房書店/フェザン3F

フェザンのオープンと同時に出現。売場が三角形だった。そんなに大きくはない本屋さんだったが、必要な本は揃っていた気がする。この本屋さんの名前は知らなかったが、コメントをいただいた方から、上田の岩銀向かいにあった誠山房と同じ経営だと教えていただいた。今もありそうだと思ったが、とっくになくなっているらしい。そういえば、数年前から、駅の1F、フェザンの反対側に、さわやの支店が出来ていた。これは現在も続いている。

さて、盛岡駅を出て、駅前通りを北上する。駅の反対側は飲食店などが並んでいる。再開発前のこのあたりは、いかがわしい雰囲気の雑多な地域だった。道というよりは路地のような曲がりくねった細道が続き、廃品回収業の家や民家の一階の壁をぶち抜いて作った自転車置き場、商人宿、四畳半とか三畳程度の広さの飲み屋が並び、一見するとパチンコの景品所みたいな何屋だか判別がつかないような店、みんなバラックのような建物ばかりだった印象がある。台風で北上川が増水すると、道路にあふれ出したのは、しかしあれは駅よりは新田町よりだったか…。

旭橋と夕顔瀬橋の間、旭橋寄りに、おばあちゃんがやっている陳列スペースに半分も商品が並んでいない変な本屋さんがあった。

●やよい書店/駅前北通り

最初の記憶では木造の平家か二階家で、入り口は二畳の幅。ガラスの入った木枠の引き戸で、両脇に本棚。本棚なのにマンガ週刊誌が平置きされていた。店の真ん中に大きな平台があり、その上の雑誌が平積みになっていた。平台の向こうは畳敷きの上がり框で、店番のおばあちゃんが座布団の上に座っていた。店内は客が歩ける範囲は入り口の辺りだけで、二畳分もなかったと思う。奥の畳の間は、店番をするおばあちゃんの居間だったような…。再開発に伴って、ビルになったものの、一階はおばあちゃんの本屋さんのままだった。おばあちゃんは高齢で、時には、二つ折りにした座布団を枕にして横になっていることもあった。エロ本雑誌とマンガ雑誌しか、扱ってなかった気がする。いつの間にかなくなっていた。

コメント(15)

 どれもこれも懐かしい匂いのする話ですね。

 本屋のはなしから脱線しますが上記の記事のいくつかで思い出した事から書かせて頂きます。

 サンビルの屋上にも遊園地みたいなものがあった時期があったと思います。昭和40年代前半くらいでしたが、単に屋上にコイン遊具があるといったレベルですぐになくなった記憶があります。
 当時の写真がアルバムにあったと思うので次回の帰省の折に確かめたいと思います。

 それ以外では大通りのミスタードーナツの東側にあった丸正デパートの屋上にも同様の物があったと記憶しています。こちらは少なくとも昭和50年頃まではあったと記憶していますが現在では建物自体が変わってしまいました。

 イイズカも懐かしいですね。学生時代は古本市の時くらいしか覗きに行きませんでしたが(昭和50年代後半)

 盛岡のデパートで屋上遊園地らしい体裁だったのは肴町時代の川徳くらいでしょうか。
 隣接する光フェアービル(のちのエンドー中央店)では屋上ショーを毎週やっていましたがこれは見た事がありません。光フェアービルの「ジュネス」時代には屋上はビアガーデンだったと思いましたが。

 話は元に戻りますが、文庫本の著者名別の並びは私もストレスを感じます。おそらくジュンク堂あたりの影響ではないかと思いますが出版社で辺りを付ける習性のある身にはまごつかされます。

 長文乱文失礼しました(汗)
>いんべさん

丸正デパート! ありましたね! 昔は、屋上に遊戯マシーンが置いてあったビルが、結構あったんですね。

旧川徳の建物と、エンドーチェーンの建物と、私の記憶の中ではごっちゃになっていますね。

私は高校三年を盛岡で過し、今は関東のため、とても懐かしく読んでいます。

あの時代が走馬灯のように、思い出されて、うれしいです。
>mumuさん
コメントありがとうございます。高校三年間というのは、何年くらい前のことでしょうか?
庭師さん

1980年始めですね。

川徳が菜園に、フェザンが出来たばかり、東北新幹線が開業直前あたりです。

さわや、第一書店のどちらかに自転車を停め、本屋さんの中で友人と待ち合わせし、県立図書館でダラダラし、パブロで苦いコーヒーを飲み、また自転車で帰るというのが、半ドンの土曜日の過し方でしたね。

あの時の盛岡の風、景色、ゆったりした時間の流れが、私の人生にあったと思えば、貴重な宝です。

てくりを定期購読したのは、二年ほど前からです。

その宝を忘れないようにと、拝読しています。
>mumuさん

私は1980年の春に高校を卒業して、盛岡を離れていますから、ちょうど入れ違いですね。パブログループ、懐かしいですね。現在は、イタリアンのチェーン店になっているようです。
>>[7]
五年ぶりの書き込み! ありがとうございます。
大歓迎です。

この五年間で、盛岡もかなり変わったと思います。
先月法事で帰省しました。
盛岡駅の1階が員商店街になっていて、じゃじゃめんの白龍(ぱいろん)が出店していました。
街中は、飲食店ばかりになっていましたね。
パブロは、グループじゃなくなっているのですね。
材木町の余市も、その場で飲み食いするお店ばかりになっていて、驚きました。
>>[9]
先月、リニューアルですか? 出来たばかりなんですね。
パブロは、破産ですか…。私が高校の頃、同級生がバイトしてました…。
あ、夜市、ですね。字が間違っていました。すいません。
>>[12]
いまさらすいません、「8」のコメント、「員商店街」じゃなくて、「飲食店街」の間違いです。
しかし、パブロでバイトしていましたか!
私の同級生がバイトしていたのは、1970年代の末ですから、もう40年くらい前のことです。
その頃、私は、長田町から桜木小学校辺りにかけて、夕刊配達をして小遣いを稼いでいました。
しかし、こいうハナシは、尽きませんね。
>>[14]
昭和58〜59年頃は、私は大学生だったので、 *ほのまま*さん は、私より少し年下ですね。
夕顔瀬町ですか、私は材木町とか梨木町なので、ご近所でしたね。
最近の盛岡は、道路がひろくなって、虫食い駐車場ばかりで、なんだかどこもかしこも、郊外って感じです。

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