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The days of -GUDON-コミュの〜Over The Thailand‘99〜

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タイ到着後6日目にして、やっと計画を練る。それぞれ行きたいところを並べてみる

。社「ワシャ、アユタヤの山田長政のトコとクメール遺跡」
三ちゃん「僕も遺跡と、時間があれば南の島でノンビリですね」
H「カンチャナブリとチェンマイ」C「ナコーンパノム(チェリーの田舎)」

東西南北・・・見事なくらいまでバラバラだ(涙


話し合い数時間の後、俺の意見と社長の意見を折半して、まずアユタヤ経由でチェンマイを目指す事に。

その後、イサーンと呼ばれるタイ東北部に入り、チェリーの田舎ナコーンパノムを目指す。
そして一旦バンコクに帰ってから、時間があればカンチャナブリか南を目指す事で合意。

まず最初にアユタヤへ移動する際に、せっかくだから「船で行こう」というアイデアを社長が提案。
さっそくロビーで調べてもらったが、そういうツアーはないとのこと。

アユタヤはバンコクからそう遠くないので、日帰り客が多く、行きはバスで帰りがボートあるいは豪華クルーズ1泊2日というのならあったが、我々はアユタヤからさらに北のチェンマイへ移動しなくてはならない。

鉄道を使えば安上がりだが、社長はどうしてもボートで行きたいらしい。
「せっかくここまで来たんじゃから、ここでしか出来ん事をやろうや」
なかなかパンク的な発言だ。そういう発言に極端に弱いワシ。

社「電話して聞いてみれば?」


昨日のあの小汚い船着場のドコにどう連絡すればいいのか皆目見当もつかない。
それにアジアの基本は自力で手配することだ。誰かに頼めばお金だけでなく時間も手間も倍かかる。「直接行って交渉したほうが手っ取り早いですって、絶対」
炎天下、動きまわるのは辛いが(まして病人だ)幸い、チェリーもいるので、そうボラれることもないだろうし。

お腹の具合を心配しつつ、昨日の船着場へ。

行きのタクシーの中で予算を相談。
社「どれくらいなら、やってくれそう?」
H「超豪華クルーズが7000バーツだそうですから、3000出せば十分でしょう。豪華ってわけじゃないし、例のバスで行って帰りがボートってのが大体2000前後ですし、ワシら片道だけですからね。いちおう貸切なんでそれくらいじゃないですか?」

社「ちなみに列車はなんぼ?」
H「1等の特急で148バーツ、440円です。3等で快速なら150円です」
社「150円?1500円のマチガイじゃろ?」
H「ここ、タイですから。鈍行だと45円です」
社「・・・列車にするかね?」

やっと自分の発言のアナーキーさに気付いた頃、タクシーは船着場に到着。


ワッと集まってくる客引きの群れ。

その中でも一番声と態度がデカかった森公美子の身体に大屋政子の顔をトッピングしたカンジのオバちゃんが「アンタ達は黙ってな!この日本人はアタシがカモるからね!」とでも言ったのだろう、他の客引き達は次の獲物を求めて、人混みの中に消えていった。

大屋「ボート、チョット見るだけね!OKヨ!」

マズイ!このババァ日本語が使える!

インドで徹底的にヤラレたパターンだ!海外の観光地でカタコト日本語使えるヤツで「善人」には未だに会ったことがない。そうなると、このオバちゃん相当の手練とみた。
笑顔が時代劇に出てくる越後屋さんっぽいし。そのうち悪代官も出てくるだろう!

H「社長!ちょっとマズイっす!」
社「なんで?見るだけなんじゃから大丈夫よ。ハッピーさん、心配しすぎ!」
・・・スデに術中にハマッてる。しかもあのババァ、さっきからずっと社長のオーストリッチのセカンドバック見てるんですけど・・・。

タイの大屋政子はメモに何やら書いてワシに渡した。
見てみると「1day 75 00bath」
1泊2日全食付きの豪華クルーズよりさらに500バーツも高い。オーストリッチが威力を発揮している証拠だ。

これがもしも俺だけだったら4000バーツくらいからの交渉になってるだろうなァなどと思いつつ7500を線で消して、3000と書いてババァに渡す。
またまたァ、お兄ちゃん冗談ゆうてからに〜、もォ!といった風なシナをつくる大屋政子。ぜんっぜん、カワユクないぞ!


また紙を渡してきたら今度は7000バーツ。たった500しか落としてない!

じゃぁナニカ?このボートが超豪華クルーザーに見えないのはワシはメンタマの変わりにキ○タマでも入ってるとでも云いたい訳か?

「メダーイ!サーム・バーン・バーツ!」(ダメだ!3000バーツだ!)

・・・20分後、5000バーツと書かれた紙を怒ったようにワシに投げつけ、プイッと横を向いて腕組みするババァ!もちろんポーズだとは解っていたが、暑さで苛立っているので「社長!諦めましょう!列車で行きましょう!」この調子では3000まで落すのにあと3日はかかる。めんどいし。


俺ら4人組の関係をうすうす察知し始めた彼女は、俺に見切りをつけて直接社長に直談判を始める。

さすがは商売人だ。

社「????ハッピーさん、何をイイよるんかね、このおばさん?」

H「チェリーに聞いたほうが・・・って言うより任せた方がいいと思いますが」

実はこのタイの大屋政子はチェリーを日本人だと思っていたらしく、チェリーが流暢にタイ語を喋りはじめたので、アワ食ったらしい。


ものの5分もしないうちに3500バーツに落ちた。


最後は「何でタイ人なのに日本人助けるのか?お前は国賊か?」
「日本人、タイ人関係ない!土地に不案内をいい事に、平気でふっかけるアンタこそ罰当たり!」という罵り合いまで発展してたらしい。

このあとさらに事態はややこしくなる(社長がややこしくする)のだが、それを書いていたら、多分1週間経ってもまだバンコクから抜け出せなくなりそうなので、割愛。

結局、帰りのタクシーに乗り込もうとした時、おそらく大屋政子の部下みたいなのがやってきて「あのオバサンの前では言いにくかったけど・・・最初の3000でOKだよ」


何だったんだろう?ワシの汗みどろな20分は?だから嫌いなんじゃ、観光地は!←自分で「直接行きましょう」って言ったことは、スデに頭の中に無いな、ウン。

コメント(11)

写真1:ここに大屋政子はいる
写真2:屋台
写真3:果物屋
船着場からの帰りがけにチェリーのお姉さんの家に寄る。その時、タクシーのタイヤが破裂しそうな程膨らんでいる事を社長が発見!ドライバー君はその場でタイヤ交換を始めたが、地盤が緩いのと外国人3人に見つめられていささか慌てたせいか、タイヤが外れると同時に、ジャッキが逃げ始めた。慌てて車を支える社長、はずしたタイヤを車体の下に咬ませる三ちゃん、そしてジャッキをジワッとゆるめるワシ、汗をかきながらただボーっと立っているドライバー君の見事な連係プレーで無事交換終了!当然、皆してドライバー君にチップをねだる。
さァて、これでバンコクをイヤでも動かなければならなくなった。今日中に下痢を止める決意をイソイデ固める。社長もここへきて、やや下り気味らしい。以後「下りの便」とか「ゆるい」とか「ゲリラ」「ゲーリー・クーパー」という類のコトバは禁句となる。もっともゲーリークーパーなんて往年の名優の名前が会話に出てきたことは、45年生きてきて2・3度しかないが。

〜走れ チャオプラヤ・エキスプレス!〜
夕べ食ったドリアンの所為で、いくら歯を磨いても口がウ○コ臭い。腹の調子もまだ万全ではない。そんな俺の気分を表すかのように、珍しく空は曇り空。上流にはさらに黒い雲が広がっている。H「OK!Here we go!」スピードボートは水面を石切の小石のように飛び跳ねながら約80km上流の古都、アユタヤ(現地ではアユチャー)を目指す。途中小雨がパラツキだす。はっきり言おう!寒すぎる。日本に帰ったら「いや〜、タイは寒くって」と言って回ることにする。途中の景色をカメラで撮りまくったが、レンズキャップをしたままなのに気がついたのは、アユタヤ到着後だ。
寒さと下痢の恐怖と戦いながら、3時間後無事アユタヤ着。着いた時にはすっかり、苦労の末イスカンダルに着いた古代進の心境になりきっていたが、そこで待っていたのはナターシャでもスターシャでもなく、トゥクトゥクのオヤジ達だった。とりあえず駅へ行って、今夜の特急を予約。社長が言いにくそうに「わしゃ〜、年じゃけェ1等車がええのォ」別に貧乏旅にこだわっている訳ではないから、ま、OKにしときましょ。そのまま、日本人町へ。いつの間にか天気もすっかり回復。観光日和だ。
歴史が苦手な人のために、ちょっぴり解説しよう。1350年頃から約400年間、この町を首都としたのがアユタヤ王朝である。日本で言うと南北朝〜江戸時代中期まで栄えた王朝だ。最後はビルマ軍に攻め滅ぼされるが、その恨みを晴らすのが次の王となるタークシン将軍。そしてさらにその将軍を処刑して現在のチャークリー王朝になるのだ。映画「王様と私」のモデルは現王朝4代目のラーマ4世。あの映画は今でもタイでは上映禁止である。なぜなら国辱映画だからだ。ま、これがいわゆる革命・クーデターってやつだな。
日本でも最高権力者は次々と変わっているが、天皇家自体は変わったことが無い。あえて言うなら天皇家を滅ぼしかけた蘇我氏や藤原仲麻呂「親皇」を名乗った平将門か「国王」を名乗った足利義満が、実際に「やっちゃった揺れるハート」みたいなモンである。ちなみに尾張のうつけ殿はさらにタチが悪い。総見寺って寺建てて本尊は自身。神になろうとしてたんだからなァ。さすが第六天魔王を自称するだけはあるな。
で、話をアユタヤに戻そう。江戸時代の始め頃、1人の日本の商人がこの国へ来ました。今で言う商社マンだ。男の名前は山田長政。「ハ〜イ!気軽に山ちゃんって呼んでね!」と言ったかどうかは知らないが、この時代「静ちゃん」がいなかったために影が薄くなかった山ちゃんは、すっかり自分がアユタヤに何をしに来ているのかも忘れ、象に乗って大暴れ!瞬く間に日本人町の頭領に収まり「南蛮狂走連合:クレイジー・エレファント」の初代総長として活躍。その後上部団体の「亜遊汰耶連合会」の跡目相続争いで、南部へ左遷され毒殺されたが、日本人の狂暴さにびびった連中によって日本人町もことごとく焼き払われた。
1500人くらいいたらしい日本人は、根絶やしにされたんだろうな〜。

平和な青空の下、過去にそんなコトがあったとは予想もつかないのどかな風景の中、旅人の汗を川風が乾かしてゆく・・・はじめてまともな旅行紀っぽい終わり方ができた。
写真1:慌て者ドライバー
写真2:日本人町跡
写真3:たいへんわかりやすい屋台
ガイドブックに注意しろと書かれてあった両替詐欺師が早速お出ましだ。マジシャン泣かせの心理トリックで俺も知らなければきっと引っ掛かってたに違いない。それでなくても暑さで思考能力50%以下だからね。お読みの皆さんにも是非追体験をしていただこう。円とバーツの関係は公式レートなら1B=¥3、闇なら¥3.5である。バーツに3をかければ円になると思ってくれればイイ。
片言の日本語で「コノ オカネハ ホンモノ?」とか言いながら、手の平に日本の500円硬貨や50円硬貨を広げて子供が近づいてくる。「本物だよ」と答えると、1000円分の硬貨を差し出し「エクスチェンジ バーツ」と言う。当然メンドイので「ダメ!」すると大人の売り子が近づいて「バンク コイン エクスチェンジ ノー。 オカネ ツカエナイ カワイソウ」紙幣は交換できるが、コインはダメなのだ。だからこの子供にとって、日本の硬貨は無価値に等しい。それならせめて使えるバーツに交換してあげたくなるのが人情ってモンだ。どうみたって裕福そうな身なりはしてないし、しかもココは信心深い仏教の国。男は1度出家して得度しないと1人前と認められないくらいだ。善徳の1つも積むつもりで、レートはいくらかと聞いたら「1円3バーツ。1000円ダカラ3000 バーツ」大概はここですでに引っ掛かる。おわかり?レートが逆だよ〜ん!「No!3円1バーツ」と言うと、その子は「ソウソウ、3エン1バーツ、10バーツ30エン、100バーツ300エン、ダカラ1000エン3000バーツデショ?」そうだね〜、ゴメンね〜、オジさん数字弱いから、カン違いしてたよ〜。頼むからそんな目で見ないでおくれ〜。1000円くらいお安い御用だよ。今日は一家でご馳走を食べな・・・
・・・
・・・
・・・
・・・
・・・3000バーツあったらタニヤで「豪遊」できるんですが、何か?

子供を使って同情を引く → 1対3の交換比率を逆にする。バレたら無邪気な笑顔でゴマカス → 途中で貨幣単位を入れ替える巧みな言葉の罠!罠!罠に落ちそ〜う! Kissは目にして〜 by 誰だっけ?

日本人町の記念館で働いてる日本のオジさんに、いろいろ説明を受ける。社「こちらは長いんですか?」オ「5年目ですね」社「ホ〜、じゃもうタイ語はペラペラですか?」オ「いえ、喋れません。タイ語を使う日本人なんて、ロクな者じゃありませんから・・・」確かに正論!でもねオジさん、アンタ400年位前にタイ語が話せたはずの1日本人のおかげでメシ食ってますよ。
そのオジサンの生真面目さにカンドーした俺は、80?くらいの山ちゃんの銅像を見ながら、ちょっとイジワルな感想を言ってみた。「昔の日本人は平均150?無かったって聞いてますけど、コノ人、とりわけ低かったんですね〜」案の定「いえ、それ銅像ですから」多分、一生友達になれないタイプだ。
その後、お決まりお任せコースでグルッと周ってもらい、トゥクトゥク・ドライバー達のたまり場「オアシス・木陰」へ案内される。10人くらいのドライバーと自家製ドブロクをしこたま飲んで、楽しいひと時。
実はワシらにはタイに来た目的のもう一つに、できれば何かビジネスを見つけようっていうのがあった。だからバンコクのなんちゃら公園に「赤いアロワナ」探しに行ったのだ。酔いが回りきる前にリサーチを開始。
社「あんたら〜、月にどのくらい稼ぐの?」ド「5〜7000バーツ」結構な稼ぎと思うかもしれないが、そこからトゥクトゥクのリース料を引かれると、やはり手元には4〜5000くらいしか残らない。社「ワシらビジネスしたい。何が儲かる?」日本のタクシードライバーは結構情報を持っている。その土地の有力者や飲み屋のママ達からの「酔った客同士の会話」があっという間に無線で繋がるからだ。しかしココの連中は・・・いいのか?ドライバー諸君、アンタラ白昼からヘベレケだぞ!多分、ビジネス情報、カケラも知らないだろう。
写真1:身長80cmの山ちゃん
写真2:ちょっと郊外
写真3:木にとりこまれた仏頭
俺なぞ知っているのに騙されかけた(笑
その後、川沿いのレストランへ移動。なぜかトゥクトゥク・ドライバーの奥さんと子供達、弟ファミリーまで来ていた。タイの怖ろしい食事ルールを伝授しよう。タイ人と一緒にメシ食ったら、払いはコッチ持ちだ。よほど仲が良くない限り、ワリカンはない。
食事代は一番金持ってるヤツが払うのが、タイ人同士でも通例だ。だからといって許可無く、いろんなヤツを集めるのもどうかと思うが・・・。その代り、コッチが本当に金が無い時、もちろん奢ってくれる。借りはキッチリ返す!そんな国民性だ。いってみれば、昔の日本の「村のコミュニティ」が存在している社会である。
バンコクは今や東京とあまり変わらぬ様相を呈しているが、ちょっと郊外へいけば、まるきり昭和40年代の日本の片田舎がそこにある。だから俺はいつも「ただいま〜」って言いながら田舎に行く。何食わされるかわからんけど、精一杯のおもてなし受けながら、ナンダかわからん酒を飲む。2メートルくらいの壺に貯めてある雨水で割った酒には、木の葉くらいは浮いてるさ。ヘンな虫も入ってるかも。でもグビグビ呑む。つまみは常にワカラナイ代物。でもガシガシ食う。村人が集まってきて、俺の歓迎パーティしてくれる。村長だかなんかそんな長老の横に座って、皆が注目する中「辛い(ペッ)」「美味い(アローイ)」を繰り返して、ハイになっていく。俺も日本の歌、ライブする。愚鈍は知らないだろうから、「昴」を唄う。←みんな知っている。どっちかというと俺より詳しい。
俺はあっちで名前を聞かれたら「カラバオ」って言ってる。皆、うなずいて拍手!カラバオっていうのはタイの有名な歌手なんだが、長いボロ布頭に巻いて、グラサンでハード・フォークやってるらしい。風体が似てるそうだ。ある人にそう言われてから、その後名乗るたびにウケてたので気に入ってる(でも、カラバオ本人は実は日本人が嫌いだそうな。あっはっは!ざま〜みやがれ!)
チャオプラヤー川から吹いてくる風が肌に心地よい。ジャングルの地平線の向うに沈んでゆく夕日を見ていると、昨日まで下痢だったコトも忘れビールもついつい進みがちだ。
19:45、トゥクトゥクドライバー一家に見送られて、次の街チェンマイへと列車は走る。
汽車は〜闇を抜けて、光の海へ〜、夢が散らばる、無限の宇宙さ〜。気分はすっかりささきいさお。1人世界の車窓からごっこを楽しんでいたら社長が腹が減ったので食堂車へ行ってみようと言い出した。夜の10時は回っていたので閉まっているはずだが、とりあえず覗いてみる事に。2等客車は白人系の旅行者でイッパイでハンモックを吊ったり、カードゲームに興じたりと賑やかだ。三等はインドほどではないものの、やはりごったがえしており、ACがないので熱気ムンムン。皆、ぐったりして座席にへばりついている。チェンマイまでは約13時間の旅なので、1等で正解だったな〜と思いながら、食堂車へ。真っ暗で人の気配がない。H「やっぱダメですよ」社「世話ない〜ね。よ〜い、誰かおらん?ハロー!ハロー!」
しばらくするとボーイのような少年(当たり前か)がやってきて何か言ってる。多分営業時間は終わった、みたいなことだろう。社「ハッピーさん、ビールぐらい飲めんか聞いてみて」出た、得意のワガママ攻撃。3分くらい身振り手振りと「コー・ビア・シン」を繰り返してたら、今度は車掌と思しき男と料理係みたいなオバちゃんが出てきた。社「1本飲んだら帰るけェ、こまいこと言いさんナ!ハヨ、持って来い!ってハッピーさん言ってやって」無理すぎです・・・。このオヤジ達は帰る気がない、という雰囲気を察したのかオバちゃんが少年に耳打ちすると、少年はビール2本とグラスを2つもってやってきた。社「アンタラーも飲みさん。オニーチャン、あとグラス3つとビール3本。つまみもテキトーにみつくろってな・・・」
その後2時間、深夜超特急の食堂車でのドンちゃん騒ぎはこうして幕が上がった。
本来、全面禁煙のはずだが、車掌も酔っ払って「OK!」とナイスな笑顔!車掌を指差しながら社「ハッピーさん、こんな〜テルボーに似とろう?」H「ホンマじゃ。おいさん、こんなとこで生きとったんね」とっくの昔に死んだ暴れん坊の名前をつけて社「久しぶりじゃの〜、兄貴〜。まァ飲みさん!」どこまでファンキーな人なんだ。CREAZY FUCK’N JAPANESEを乗せたタイ国鉄スーパーエクスプレス999は一路チェンマイを目指して驀進中!
写真1:そこは線路だよ!
写真2:そこも線路だよ!
写真3:だから線路だってば・・・
旅の話ばかりでもアレなんで、たまにはちょっとミニ知識。これであなたもタイ語通。
「ちゃいまっか?」「ちゃいまんね〜」関西弁ではない!リッパなタイ語の会話だ。意味も驚く程似ている。「そうでしょう?」「そうですね」コノ会話は結構頻繁に耳にするし、イントネーションも同じ感じなので、思わずココドコ?ってキョロキョロしてしまう。それから「トイレはどこですか?」っていうのも関西弁だ。「ほ〜んなン、ゆ〜てない!」イントネーションそのまんま!
日本語がタイ語化してしまった「あのね」もある。意味は・・・「可愛い」何故かは知らんが。若い女の子達がファンシーグッズを選びながら「あのネ〜、あのネ〜」って言いあってる図は、ちょっと笑える。
ちなみに、タイの若い人たちのファッションは原宿と変わりがない。日本のファッション雑誌は3日以内にパ繰られて、書店に並ぶ。マンガも一緒だ。ただマンガはコピーする為に右左が逆になる為、やたら左利きの主人公が多い。テレビをつければゴールデンタイムにはドラえもん、クレヨンしんちゃん、一休さんなどがめじろ押し。「イキュ〜ウ!」っとヘンなイントネーションで呼びかける新右衛門さん、とても妙。
それからあっちのラーメンにはもやしが入ってないが、トッピングを頼めば入れてくれるシステムなので、丼指差しながら「もやし!」といってはダメダメよ。自分のラーメンに「尼さんの陰毛」を入れろって騒ぐ変態日本人に認定されるからね。その店の前を通るたび、コソコソと指差されながら・・・そうです「尼さんの陰毛入りラーメンをねだる変態男」はこのワシです。
あなたのお名前は何?も簡単だ。(クン)チュー・アライ。荒井 注君をヒックリ返せばイイ。タダ単に「チュー(名前)」だけ言う人もいるのでホンマに「チュー」しないように。それから「チンチン?」って言われても出さないように!「本当ですか」って意味だからね。えっ?こんなところで?マジ?ってヘンな期待をしないように。アライは実は憶えるととても便利。「何」って意味なので、ニー(これは)アライで「これは何ですか?」になる。同じ様にタウライも憶えておくと便利だ。数量を尋ねるコトバで「いくつ」にあたる。ニータウライなら「これはいくら?」だしアーユ(年齢)タウライで「おいくつですか?」
それからキレイなオネーさんを口説く時「クン(あなた)キレイ」といえば、あなたは今夜ホホをヒリヒリさせながら一人寂しい夜を過ごす事だろう。キレイ=ブス!同じコトバを繰り返すと強調の意味になるから「クン、ホンマにキレー・キレー」とやると「オメーはとんでもねェドブスだな!」
クン・スーアイ(美しい)ナーラック(可愛い)が妥当。語尾にマークをつければ強調される。サヌック・マーク=とても楽しい
いつぞや社長が朝っぱらから問題発言をしたのを書いたが、あれもコーが「下さい」って言う事を覚えるにはいいきっかけだった。コーニーで「これくれ」だしコーナ(ン)で「それくれ」。ちなみにヒー=オ○ンコ。朝から頼むべきものではない。〜じゃない!って否定したい時はコトバの前にマイかメをつければ大体通じる。例えば「OK!」が「ダーイ」ダメなら「メダーイ」、解るが「カウチャイ」解らなければ「マイ・カウチャイ」だ。「マイ・サバーイ」なら元気がない、調子が悪い、ってコトになる。
マイは語尾につけると疑問文になる。サヌック・マイ=楽しい?
タイ人に限らず東南アジア系の人達は「メシ食った?(キン・カーオ・マイ)」という意味の挨拶をする。これは食事に誘っているわけではなく、今満足している?話しかけても大丈夫?って感じかな。腹減ってると気が立っているから、今は大丈夫?って変化らしい。始めは知らずに「朝は食った。昼はまだ」って当たり前な、でもトンチンカンな受け答えしてたけど。タイ「大丈夫?」H「昼はまだ・・・」タイ「???」
ちなみにオジサン1番最初に憶えたのはもちろん「サワディーカッ(こんにちは)インディ・タイ・ダイ・ルーチャック(はじめまして)」次が「コー・ビア・シン(シンハ・ビール下さい)」3つめが「パイ・ロンレーム・ドゥ・アイ・カン(一緒にホテルへ行きましょう)」そして「アオカン・タンクン(とっても書けない・・・)」やっぱり、タイ語話せる日本人、ロクでもないわ!
さ〜て、チェンマイ美人!待ってろよ!
写真1:プラットホームもやっぱり屋台
写真2:列車が来たって絶対屋台
写真3:川べりのビールは格別!

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