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松平探検隊コミュの岡崎(大草)松平氏

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14松平氏にも18松平氏にも
のってなかったので。

元祖岡崎城城主です。

コメント(5)

元祖岡崎城城主・西郷家並びに大草松平家菩提寺。
(元大草城跡(推定))

愛知県額田郡幸田町。
お寺の人にもらった
資料によると
西郷弾正つぎ頼公は
室町幕府足利義政の頃、
仁木左京太夫義長の三河国目代として大草に住し、
康正元年に岡崎に進出し、
岡崎城を築いた。

そして、表の立て看板によれば
岡崎城主二代西郷頼嗣の時に
松平信光に攻められ、
松平信光の五男光重を
娘婿に迎え、西郷頼嗣は
大草に隠居した。
ここに大草(岡崎)松平家がはじまる。
大草(岡崎)松平家
初代 松平光重(松平信光五男、西郷頼嗣娘婿)
二代 親貞
三代 信貞(西郷頼嗣の子、親貞に子供がなかったのであとをつぐ。
当時の松平惣領家・安城松平清康に背き、山中城にて攻めとられる。
岡崎城を清康に譲り、
娘於波留を清康に嫁がせ大草に隠退)
四代 昌久(三河一向一揆で一揆方として戦う)
五代 三光
六代 正親(清康、広忠、家康の三代に仕え、永禄三年棒山(或いは丸根)砦攻めのさい、さきがけして討死)
七代 康安(家康の嫡子信康に仕える。のち武田勢との戦いには石川数正などに属し足軽として活躍する。
家康没後、将軍秀忠から加増され6000石を与えられる。)
八代 正朝
九代 正永(嗣子なく断絶)
七代康安が足軽になっているのは
信康に仕えていたため
信康が切腹させられ主がなくなったことにより、
地位も失ってしまったのでしょう。

家康没後まで取り立てられることがなかったのは
やはり家康と信康には対立があったのでしょうか?
参考資料は正楽寺でもらったコピー用紙。
このトピックの内容はたぶんネット初公開の
情報ではないかな?

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