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北川民次コミュの画家・北川民次を巡る旅

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画家・北川民次を巡る旅
今、すっかりお腹の大きくなった妊娠8ヶ月のゆうと名古屋市栄にいる。名古屋には今は亡き巨匠画家・北川民次の足跡を追ってやって来たのである。

北川民次さんは1894年生まれ、僕の生まれ故郷が同じ金谷町出身。100年近くしてその田舎町で僕が生まれたのだが、彼の残した絵画や壁画は現在も尚、僕に強く訴え続けている。
彼は20歳でアメリカに渡り、ニューヨークで絵画を学び、その後無一文でメキシコへ渡ったのだそうだ。メキシコでは、フリーダ・カーロの旦那でも知られるディエゴ・リベラ率いる壁画運動に参加してメキシコ・ルネサンスの風を一身に浴びたという。その後、画材もない状況からメキシコで児童美術教育を始めたというのだからもはや頭が上がらない。絵に描いたような破天荒な人生を送った男が描いた絵は、ユーモラスで反骨精神が貫かれていて故郷を感じさせる力強さがある。

最近になって知ったのだが、彼は1989年の僕の誕生日の日に亡くなっている。僕はその頃15歳、中学3年生だったと思う。こんな偉業を成された方と僕を、そんなちっぽけなことや同郷であるということで簡単に関連つけてしまうのは勝手であり失礼極まりないことだが、ともあれ北川さんの絵には「受け継いでいく」意志を芽生えさせる力強さが今も尚、宿っている。

5月1日。
イメージフォーラムフェスティバルのAプログラムを観る。会場には映像作家の大内伸吾くんがいた。ゆうや大内君の友達の佐々木薫さんと会って8mmフィルムカメラをお借りして、名古屋行きの高速バスに飛び乗った。鈴木志郎康さんの「極私的なる多摩王の感傷」を観れなかったのが、名残惜しい。(やりたいことが沢山あって困る時もある。)夜10時に名古屋着。立ち寄った手羽先屋は古今亭志ん朝さんが来たことがあるらしく、彼の写真が貼ってあった。

5月2日。
名古屋市美術館に行く。ジョルジュ・ルオー展に出向き、彼の描くキリストに燃え盛る炎を感じる。玉座にふんぞり返って座るキリスト教の総監の前に現れた本物のキリストの絵が印象に残った。ふんぞり返った総監には目の前の本物のキリストが見えないようだったが、キリストは総監を静かにじっと見つめている。総監は、キリストを演じようとした気の狂った役者のようだった。
その後、常設されている北川民次さんの絵を観る。瀬戸物で知られる瀬戸町は北川さんがメキシコから帰ってから腰を下ろされた町であるが、この土の町を描いた版画「瀬戸十景」や土にまみれる瀬戸物職人たちの絵画などが展示されている。この作品群には北川民次さんが瀬戸町で生きる時間を共有した風景や人物が描かれている。僕が北川さんの作品を語るのはお門違いを承知の上で言ってしまうが、小手先だけでは通用しない北川民次さんの作品の魅力がここにあるのだと思う。北川さんの過ごした豊かな日々、破天荒な人生は、説明もなくダイレクトに作品に剥き出ている。人物や風景の中に北川さんの生が宿っている。
 「中学生のいる風景」という副題のある瀬戸風景の絵には、僕は中学生を見つけられなかった。ゆうに、
「『中学生がいる風景』なのに中学生がいない。」
と言うと、ゆうがじっくりと見た後、
「ほら、ここ。」
と指を指した。見ると、隅っこに風景に溶け込みすぎたかのような中学生がいた。
「いた。」
あたかも原っぱの草に同化したバッタのような中学生が、隅っこでうつむいた。思春期のある風景をさらりと描いてしまうクールさに、僕らは声を出して笑わずにはいられなかった。

5月3日。
 朝、早起きをして(7時半起床)、いよいよ瀬戸に向かう。名古屋市から瀬戸線に乗り50分、その終着駅が北川民次さんのアトリエがある「尾張瀬戸」だ。8mmフィルムをカメラに装填して電車に揺られる。瀬戸着。地元の陶芸家・加藤えいごさんの運動の一環で、5月3,4日と北川民次さんのアトリエを開放している。このアトリエ開放は年に二回、5月と11月に毎年行われているという。その度に「機関紙バッタ」(フリーペーパー)を発行されていて、今回で24冊目になるという。
 ゆうと瀬戸を撮影散歩しながらアトリエに向かった。どことなく生まれ故郷の金谷町に似ている。そう言えば僕は20歳前に、金谷町の陶芸家の元で土を作るバイトを少しだけやらせてもらったことがあったっけ。
 アトリエに近づくうちに、民次さんのある日々にぐんと近くなった気がした。散歩していただろうアトリエ近所の小道では子猫と会って、遊んだ。それから小道を抜けた先に、木造平屋の北川民次のアトリエがあった。
 年配の瀬戸の衆らが多かった。メキシカン珈琲をいただきながら、このアトリエ開放の発足人の加藤えいごさんと話した。氏は僕にテキーラを勧めてくれたので、いただいた。
 アトリエは屋内に陽光が入り込んでくるように改造されていた。その陽光が白いキャンバスに反射していた。太陽の下で描き続けた北川さんが改築したのだろうと思った。太陽と壁、のアトリエであった。

5月4日。
朝、朝日新聞を読んでいると、泊まっているホテルのある深川神社の宮司さんが憲法9条を守る運動をしているのだという記事が載っていた。それを昨日から話している神社のお爺さんに言ったら、「それは私のことですよ」とおっしゃったので、驚いた。
「すっかり有名人になってしまいましたね。ともあれ僕みたいのが動くと注目もされるから、憲法9条を考えるきっかけになってくれりゃあいい。」
とおっしゃっていた。

バスに乗って、赤津に行く。山の中にある陶芸の町。北川さんの陶芸作品なども展示されている。メキシコ人の昼寝を描いた皿、哺乳する母の版画、お馴染みのバッタの数々などを見る。日々描かれたのであろう北川さんの描くバッタには「日記」を感じる。

田舎散歩の後、バスに乗り、再びアトリエに向かう。メキシカン珈琲をいただきながら、「機関紙バッタ」を読み耽る。とても面白い読み物だと思い、その都度を加藤さんに告げる。アトリエ開放も含めて、今後も続けていってほしいものだと思い、1000円募金した。珈琲も沢山頂いたから1000円では足りないと思ったが、旅費が底をつきかけているので仕方が無かった。
機関紙バッタで、北川さんが「ポルノ」について語っていた。それは僕の今後の課題を提示してくれた気がした。駅に向かう
中、ポルノとヌードについて考えを巡らした。

隣の駅「瀬戸市役所前」に行き、図書館に向かう。そこには、北川民次・作の壁画が現存しているのだ。
この3日間、陽光の下で大きなお腹を揺らしながら歩きっぱなしのゆうを少し遠くで見たら、母としての威厳を感じた。民次さんの作品に触れて、彼女は今、何を感じているのだろう?と思った。
壁画は、北川民次さんが下絵を描き、それをもとに瀬戸の陶芸家がタイルを焼き、建築家が埋め込んでいくという作業で完成したようだ。タイルが瀬戸物というのが特色で、その独特の色合いが印象に残る。壁画は、毎日、陽光を浴びて、雨を浴びる。この図書館に通う人は、この壁画を日常的にイメージして通っている。このイメージに向かって歩き、この壁の中で本を開けるのだ。
夕焼けを浴びる壁画を前に立ち、この壁画は懐かしい知性の故郷へと、ここまで連れて行ってくれたのだと思った。

明日はかみや美術館に行く。民次を巡る旅は明日も続く。

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