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禁酒コミュの断酒2ヶ月たちました・・前まではコンナ感じ!!

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「酒のきれめが、宴のキレメ 飲んだら飲まれろ!脱ぎ捨てろ」 
   
色々なお酒が世界中にあり、宗教で禁止されている様な国には行きたくはない!といつも思っている。それは、私が勝手に思っている最低限のインターナショナルスタンダードであるからで、酒が飲めない所には歪みがありどこか全面的宗教に頼るところがあったり、厳粛な面もあるのだが、文化的には無理が出てる気がする。
少し余裕があればいいのだが人間は弱く学ぶ事も沢山ありで・・もつと酒でも飲んで楽しくやろうじゃないかあっ!!!

そして、日本はと言うと酒の博覧会で、酒に対して寛容それともビジネスなのか世界中の酒が飲める。又変な場所だ。私的には嬉しい限りなのだが。
また、一番大事なことは、その酒を包む環境法律。
私は忘れもしないオーム事件の渦中大好きな酒のトラブルで原宿署の牢屋に2週間入った事があり、一生忘れがたい34歳の誕生日。
気がつくとテレビの刑事物でよく見る鉄格子に空き巣どろぼーで捕まってる先輩に留置所のしきたりを教わっている自分、7番と番号で呼ばれ接見を石鹸と勘違いする。
不安で年下の空き巣狙いにこの先どうなるのだろうとネガティブな質問をを問いかけては励まされ、出所したら空き巣狙いで捕まった同僚を家に招いて一杯酌み交わしてもいいなーとまで思っていた。
考えてみればどこの誰が空き巣狙いで何度も捕まってる頼りがいのあるこんな牢屋のしきたりに詳しい人を家に招きいれるのだろう?当然ながら私の出所まえに連絡先を聞かれたのだが神宮前に住んでるとだけしか教えなかった。
もともと私の誕生日の前祝いで仲間が3月31日に宴会を組んでくれていた。最初は代々木上原のおでんや おかめ 日本酒で乾杯していつものごとく盛り上がりおでんが空中に舞ったりで、おでんやのおやじさんにいやな顔されながらも場所を恵比寿に移し2次会、3次会と記憶を失いながらいつもめいわく掛けてる寿司屋のがんちゃん所に場所を移したらしい。
このあたりの記憶はまったくなくあとで検事の方が私の足どりをたどった時に聞かされた、そして12時を過ぎ私の誕生日である4月1日34歳を祝ってもらった事すら思い出せずにいる。なんとも危なっかしい話なのだがこの頃は何軒もはしごするのが慣わしになっていて一晩で5から6軒の飲み屋をハイテンションでヒンシュクをかいながら飲み歩いていた。

いつも記憶がとんでいて次の日には「ごめんねー何かやらかしちゃった?」と二日酔いの朦朧としてる頭で友達に確認していた。
私の友人いわく当時私の酔いのパターンがあったらしくとりあえず酒は水の様に早いピッチで飲むというのは今も私の基本であるのだが、第1次は酒で遊びだす。口の中に含んでダーッと口から垂れ流す。
赤ワインであろうが、白いシャッを着てようがおかまいなしで痴呆の様に垂れ流すらしい。お店の人は慌てて布巾を持ってくるのだが何度も繰り返してるうちにヒンシュクをかい始める。そしてグラスをこぼしたりボトルを倒したりそのあたりで、お客様!!となってくる。
そして追い出されなかったら第2次隣にいる人や他のお客に絡みだす。こいつ酔っ払ってるなーというのは、第1次現象を横目で見ていたり、胸元に赤ワインのしみがあったりで隣の方は警戒態勢に入ってると思われるのだがちょっと優しい方がいると本能的に嗅ぎ分けてその方中心に話しかけ始める。
そしてその方がおおらかで酔っ払いの私を受け止めてくれるともっとテンションが上がりお酒を勧めだす。
その仲間の人達にも勧める。もちろんそちらの伝票はこっちが払いますよーと盛り上がって後でやたら高い領収書が財布に入っていたのはざらにあったりした。

カウンターに座ってる10人分のすべてを私が払いますと調子に乗って婚約者と携帯が繋がっていたとは気づかずに言ってのけた。
その後原宿署に連行されたのは、当然の報いだと今では思っている。

私が本格的に酒を飲みだしたのは、25歳ぐらいからで、そのころ私はロンドンでヘアーメークの勉強をするために語学学校に通っていた。
パキスタニーとアフリカンとイギリス人の未亡人の家でホームステイ。
言葉が通じない何を言ってるのか分からない、土地勘もない、わかるのは天と地。そんな環境の中で凄いストレスだったのかもしれない少し英語がわかりだして色々な所に一人で行けるようになった1年後ぐらいから一気に外国人に囲まれ自由な日本人、異邦人でクラブに通いだし酒を飲むようになっていった。
イギリスという所はサッカーのフーリガンでも有名な酒飲みの土壌があり日本でいうカフェみたいにパブがありパイントグラスというビールの計量を表しているグラスでビールを飲む。
営業時間内であればいつでも酒がのめる。日本みたいに24時間酒が飲めたり買えたりはしないのだが・・その土壌に育てられスピリッツ系のアルコールを飲みだし私の酒飲み人生の幕開けとなる。

当時はどのくらい飲んでいたかというとクリスマスが近い真冬にそのころつきあっていたポーランド人のガールフレンドと一緒に古いミニクーパーでロンドンからポーランドまで大雪の中ワルシャワまで行った。
もちろんポーランドといえばヴォッカの国である。何十種類ものヴォッカがありポーランドの人達は寒い朝ヴォッカをストレートで一杯ひっかけて仕事に行くというぐらいにヴォッカが浸透している。

私はガールフレンドの友達を沢山紹介されヴォッカをマグカップで渡され歓迎を受けたのだが、そのうち少し酔いがまわってくると私のガールフレンドの昔のボーイフレンドという奴が、「ポーランドの女性とつきあうのならヴォッカが沢山飲めなければ付き合う資格がない」と絡んできて周りにいた男共も「そうだ!そうだ!」とはやしたてる。女の子達はちょっとうんざりしてSEIICHI気にしなくていいから!と止めてくれていたのだが昔のボーイフレンドがマグカップを私に突きつけて一気にヴォッカを飲み干した。

私の中で第一ラウンドのベルがカーン!と鳴った。私はヴォッカボトルを掴みそいつ以上に並々とマグカップにヴォッカを流し込む。
頭の中は日本VSポーランドだ!いつのまにか日本代表で日の丸を背負って一気にヴォッカを飲み干す。
喉から胃の中までヴォッカが通過していく。次に相手が飲み干す。多分お互い6杯目でボトルが1本半ぐらいなくなり7杯目、8杯目で2本のボトルが空になったとき相手が私の肩に手を回してきて、「OK、OK 」とストップを掛けてきた。
ワオー!ニッホンの勝利!!そこで私もやめとけばいいのに「日本代表はまだいけるよ!楽勝!!」
ガールフレンドの制止を振り切り次のボトルを開けて結局一人で全部飲んでしまいおかげでポーランドの男達とはかなり盛り上がった。
そしてちょっと頭を冷やしてくると私は外にでた。
記憶は少しあるのだが外にでるとかなり気持ちが良くて未だそんな遅い時間ではなかったのだが、誰一人外を歩いてる人がいなくて不思議な気がした。
少し小雪が降っていた。外気が気持ちよくて、近所の建物のエントランスの階段に座ってボーッとしていた。
多分30分ぐらいたって私を呼ぶ声が聞こえてきたので表に出てみる全員が顔をそろえているのでどうしたの?といったら「外はマイナス35度だしもし酔って寝てしまえば凍死だよ!!」と怒られた。
ポーランドでは本当に酔った人が死んでいるらしく人気がないのも寒さのせいだった。その時にはヴォッカボトル750cc2本ぐらいは飲んでると思う。

そのころ1989年のポーランドは素朴で人々はナイスでデパートと呼ばれる所に行っても品物の数がなく日本の百貨店と比べると十貨店ぐらいの感じだったのはもっと米化する前だったのかもしれない。
どんどんといい雰囲気の場所が無くなって行くのはさびしい。
日本はその見本だと思われる。
東京はその最先端にいると思う!


酒が進むはずだ!!飲んで飲んでGOODバランスを保たなきゃなー!!東京!!
そして、話は東京にもどるのだがロンドンから帰ってきた90年は私にとって激動の時で酒にまつわるストーリーが沢山ありまだ少しバブルぎみの経済は私をもっと酒と深い契りを結ばせてくれたようだ。
鬱な症状が出始めたのもこの頃でこの東京でどう夢を叶えたらいいのかと?
4年間ロンドンでの自由な暮らしで身に付いた怠惰な生活習慣のギャップを埋めようと努力しようとしているのだが、空回りしてうまくいかない。
日本に帰って来たのだが残念ながらロンドンにいる時の様な生活をしていた。

朝から当然の様にビールのプールタブをブシュッと音を立てて開けても後ろめたさのない生活、メークの仕事も挫折していた。当然のごとく酒に費やすお金は無いのだが酒量はどんどん増えていった。

でも不思議なことに酒に困ることは一度も無く毎日が酔っ払い街道まっしぐらで、東京に住んでいる外国人ソサエティーにかなり酒をめぐんでもらっていた。彼らはいつもどこかで毎週末ホームパーティーを開いていて、酒に卑しいというか外人さんたちと接してるということで東京にいる自分をごまかしていたのかもしれないのだが毎週末ポーランド人の彼女ドロータとホームパーティーに参加してただ酒をくらいすきあらば酒のお持ち帰りをさせていただいていた。

彼らはいわゆるエリート達で大企業から凄いマンション、家をあたえられかなりいい暮らしをされていた。出てくるお酒もシャンパンから始まりワイン日本酒とさまざまでみんな酔ってくるとスピリット系の酒をしこたま飲み始める。

社会が俗に言うエリートの鎧を脱ぎ始める瞬間を垣間見る。どんなに凄い人でも人間なんだよなー!!!一緒なんだよ!!!酔っ払いの私と全然代わること無い人間なんだなー!!仕事も満足ではなく日銭で困ってる私。きっと明日になると鎧を着てお迎えの車に乗りバリバリと音がするように仕事をこなしていくこの人たち。金は使い放題で部下に的確な指示を出して、私達が想像を絶するお金が廻っている企業・・

私は気づいてしまった。
人間裸になればいっしょじゃん!!!!!
金と社会という鎧で強行に固められているのだが、酒飲みベースで価値観を設定すれば、もっと飲んで鎧を脱ぎ捨てろと言う事かなー!!人それぞれ得意分野があるのにもかかわらず、いつのまにか社会的地位を与えられ組み込まれてしまってる人、社会で生きていくという事は大変なのである。
そんな私もいつのまにか社会の一員として暮らしているとはいえ、ドランクサァーファーで社会の波をくぐり抜けようとしているので色々な出来事が起きてくる。
それも又楽しい人生ということで! 
毎日が過ぎて行く。
自分の人生はこれで後悔は無い!!と死ぬ時に思えればそれでいい。
今日も又酒がうまい!!!

お疲れです。ながながと書いてしまいましたが、こんなに酒が好きだったのに変われるものです。二日酔いのない日常・・・

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