ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

日本の「スローフード運動」コミュの小さな町で起きている奇跡

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
山形県庄内地方にある藤島町(現在は鶴岡市に合併)とイタリア・マルケ州アンコーナ県アルチェヴィアとの有機農業を通した民間交流の新たなページが開かれました。
 
この交流は、2003年3月にFOODEXで来日したマルケ州アルチェヴィアに本拠があるオーガニック食品生産者組合ラ・テッラ・エ・イル・チェッロのブルーノ・セバスチャネッリ組合長が、櫛引町(現在は鶴岡市に合併)にユニークな一軒のイタリアンレストランを訪ねたことから始まりました。その店では、ラ・テッラ加盟のオリーブオイル生産者ファットリア・ペトリーニ社製のオーガニック・オリーブオイルを使っていました。そのオイルは、EU圏内や北米でも数々の受賞歴を持つ世界でも屈指の品質を持つオイルです。

そのイタリアンレストランの名はアル・ケッチァーノ。オーナーシェフの奥田政行氏は、地元庄内で埋もれている優れた食材を掘り起こすため、生産者と仕入れ契約を交し、京阪の有名料理店に食材を紹介するなどの支援を2000年の開店以来続けています。ブランドが一人歩きしている感すらある京野菜に比べ一般には認知度が低いですが、現在確認されているだけで33種もの在来野菜が残る庄内。そういった地元の食材を多く取り入れた独自の料理が、雑誌ソトコト2005年2月号や東京情緒食堂・BRUTUSなどで絶賛され、料飲関係者の間でちょっとしたブームになっているので既にご存知の方もおいでかと。奥田シェフは、ブルーノ組合長を契約農家である藤島町の専業農家、井上馨さんの無農薬トマトのハウスに案内し、そこで「山あり海あり、四季がはっきりした気候風土が似ており、有機農業が盛んな地域同士、互いに行き来できれば」とブルーノ組合長と井上さんの話が発展したのです。夢語りで終わりがちなこの手の話し。ここから歯車が動き出しました。

その場に居合わせた奥田氏は、人と環境に優しい持続可能な社会の実現を目指すエコタウンプロジェクトを2002年から推進していた藤島町の町長にアルチェヴィアとの農業者同士の交流を進めるよう直談判をしたのです。それは、藤島町だけでなく庄内全域で安心安全な農業物作りに取り組む生産者、地元の若い料理人にとって、イタリアのオーガニック農法のリーダーたちと交流する事がいかに有益であるかを熱く語ったのだそうです。
 
始めは関心薄だった阿部昇治町長も、最終的にその提案に同意。2003年10月、アルチェヴィアで行われたBIOLOGICAというオーガニック農業に関する報告交流会に相馬一宏助役を派遣、シルビオ・プルガトーリ町長との間で両町の友好都市宣言が調印されました。同行した奥田シェフは、BIOLOGICAの一環としてイタリアに出店。2日間にわたり庄内の食材を使った創作料理を披露。イタリア人から絶賛されたのです。その後も相互の行き来がなされ、今回は初めてシルビオ・プルガトーリ町長ほか、イタリア農政評議会議長、そして古代ローマ兵の兵糧になったというFarro小麦の生産者やスローフード協会アンコーナ支部長らが鶴岡を訪問、阿部昇司前藤島町長立会いのもと「環境負荷の少ない安全な農業を推進する宣言」に井上・ブルーノ両氏が調印したのです。

翌日は、地産地消と食育を推進する学校給食施設の見学や、ラ・テッラ加盟のオーガニック食品も扱う鶴岡市藤島地区にある産直施設で行われたトークショーでは、互いの食事情の報告紹介がなされ、スローフードジャパンの若生会長や料理研究家の松田美智子先生やフードジャーナリストの渡辺紀子さんらがコメンテーターとして参加されました。夜には文字通りカンターレ・マンジャーレで飲めや歌えの歓迎パーティーがアル・ケッチァーノで行われ、相互理解と友情を深めていました。

滞在3日目夜には、イタリア一行の男性達がポレンタとパスタ料理に腕を奮い、藤島の人たちに本場の味を振舞って最後の夜の名残りをおしみつつ、大いに盛り上がりました。
約1万キロの距離を隔てながらも「人と環境にやさしい農業の実践」という目指すものは同じ生産者による民間主導の稀有な交流。自治体主導の形骸化した国際交流ではなく、実体の伴った両町の結びつきが、ますます深化される事を期待したいと思います。

コメント(5)

おお、大変美しくも楽しく盛り上がったレポートをありがとうございます。
うらやましくなるような事例ですねえ。
地域色豊かなこういう事例が出てくると、他の地域も黙っていられなくなると思います。
ぜひ、ますますのご隆盛を!
Toshi-Shun様
 共に地方にあって、やっている事は何気に凄い。共に陽気。妙に波長が合う人たちです。
 それでも交流のきっかけを作った井上馨さんは「3年前に『生産者同士が交流できたら』ってふと言ったのが、こうしてイタリアの人たちと席を共にしているのが半分信じられない」としみじみ語っておられました。
 SFジャパンの若生会長は、生産者が多数集まったその歓迎パーティの席上「スローフードの理想としている姿が、実際にここ庄内で実現しているのを見て感動した」と仰られていました。
 席上、イタリア側から希少な在来種の掘り起こしを目的に2003年秋に発足した山形在来作物研究会の江頭助教授と交流の両町の橋渡しをした奥田シェフが表彰され、華を添えていました。

ソシオ様
 ある意味で、庄内は山形内陸に比べて効率優先の高度成長期からバブル期にかけての開発がされなかったから(皮肉な結果ですが)、そして「沈潜の風」と評される質実な南庄内の気質が誠実な仕事ぶりに反映されてきたとも言えるでしょう。
 最近でこそ産直施設が充実した庄内にあっても、あいコープや大地を守る会などと定期的に一定の産品を取引している旧藤島町の月山パイロットファームさんや庄内協同ファームさん等の農事組合以外は、欲のない良心的な生産者に正当な対価が支払われていなかったのも厳然たる事実です。
 2年前に始まった行政主導の「食の都・庄内」事業では、販路拡大のためのPR活動が役目の親善大使に任命された奥田氏ら三人の料理人が、東京・大阪・仙台といった大消費地に向けて精力的に活動しています。関係者の努力によって、東京発の情報で庄内の産品が取り上げられる事が増えました。
 それにつれて予約を取るのがだんだん難しくなってきた奥田シェフの店に、最近「生産者優先席」ができました。地元の伝統的な調理法に現代的な感覚を加えた自分が作った産物を他所から訪れた人たちが美味しそうに食べる様子がその席で見られるのです。産直施設では自分の名前が記された農産物が売れていく。こうして生産者には張り合いが出て、裾野の広い観光業を中心に地域経済にもプラスになる。こうして「良質な食は人を動かし、良質な関係を築く」ですよね。
私はスローフードの活動に興味がありますが、自分の立場で考えると何から始めたらスローフードの運動に参加できるのかがわかりません。でも、庄内系えせイタリア人さんが伝えてくださったようなことが日本で行われていると知ると、自分は何も参加していないのですがなんだかほっとするのはなぜでしょうか。自分も何かできることはないかと考えさせられます。ありがとうございます。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

日本の「スローフード運動」 更新情報

日本の「スローフード運動」のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング