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初代内閣総理大臣 伊藤博文コミュの伊藤博文暗殺―1

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お久しぶりです。 怠慢をお許しください。 
昨年の「先人に学ぶ人間学塾」での発表の資料を転載しようと思っていたのですが、転載するにも重複するものがありチェックをしなくてはいけない。 また忙しかったので、ついうっかりしていました。 以前に載せたものと重複する場合があるかもしれませんがご容赦ください。


【1】
伊藤公暗殺に対して韓国では謝罪の嵐が衝撃が走ったのは、韓国の王室ばかりではありません。

11月4日の国葬(日比谷)には、韓国の勅使はじめ政府代表者らが多数参列しました。 同じ日にソウルの奨忠壇では、李完用首相の主催で、官民1万人が参列して追悼会がも催され、追悼会は全国各地に及びました。

1ヵ月後の11月26日には漢城府民会、その翌日は大韓商務局総会、12月13日には永道寺がそれぞれ主催して、追悼式が持たれました。 当時、旅順監獄に繋がれていた安重根の所に面会に行く者はなく、伊藤博文に対しては「東洋の英雄」「朝鮮の大活仏」等の賛辞が続きました。

そればかりではありません。朝鮮民族の罪科を謝罪するために、全国13道に呼びかけ、「渡日謝罪十三道人民代表臨時会議所」を設ける団体も現れました。また一方では、伊藤公を閔帝廟のように、神として祀る運動やら銅像や頌徳碑を建立する運動も起こりました。

市川正明編「安重根と日韓関係史」という資料には、2万語に及ぶ(伊藤公の暗殺)各国の反応が掲載されていますが、その中で外国(サンフランシスコ・ハワイ・ウラジオストック等)にある韓字新聞の報道ぶりも伝えています。

前年の明治43年3月にサンフランシスコ在住の張仁煥らが韓国政府の外交顧問だったスチーブンスを射殺した時には、これら韓字新聞は連日にわたって暗殺事件の犯人を賞揚し、激越な論調をみせていました。しかし、伊藤公暗殺については事実を報道しただけでした。

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