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ゆふがほきらら コミュの飯岡支援ツアー&パフォーマンスに際して

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きらら先生より、今月27/28日の飯岡支援ツアーに関してのメッセージがあります。
ツアーに参加されない方も、現地の様子、支援者の思いを感じとっていただければ幸いです。

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いつもヨガに集まってくださりありがとうございます。
たくさんの方のありがたい協力で飯岡と素敵につながっています。8/27は飯岡ツアーを組み飯岡のみなさんと交流パフォーマンスを行ってきます。
    名付けて「夕日わっしょいコンサート」 
これもまた大きな輪の広がりを感じています。

少しずつ風化しているような震災。でも風化は和みではありません。
からだにやさしい風を流すために、自然、社会と向き合う自分のあり方を、塗り替えるのでなく、積み重ねてゆく勇気をもちたいとおもいます。

現地被災者支援センター代表の平塚四郎さんから有難いメッセージいただきました。みなさん、是非読んで感じてください!

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ひまわりヨガのみなさまへ
残暑お見舞い申し上げます。いつもご支援ありがとうございます。
8月27日のご来飯をこころよりお待ち申し上げます。
   
 3月11日の「東日本大震災」により被災された方々には心から
お見舞い申し上げます。
 震災して早5ケ月と1週間、あの大津波被災も風化しつつあります。
間もなくやってくるであろう東京直下型地震、東海地震、東南海地震、南海
地震に備えなければなりません、また、この教訓を子孫に語り継ぐ必要を感じま
す。思いつくままに飯岡での津波被災者による「語り部」から学んだことを綴っ
てみました。ご判読ください。
     2011年8月17日 旭津波被災者支援センター代表 平塚四郎

1. 「天災は忘れた頃にやって来る」
 高知市内の寺田寅彦旧居跡に建てられた碑に刻まれている文章として有名とい
う。確かに飯岡で人的被害のあったのは、今から308年前の「元禄地震津波」
(1703年)でした。こんなにも昔のことだから忘れられていても不思議ではあり
ませんね。私も、旭へ引っ越した時に、妻から開口一番「旭って津波って聞いた
こと無いね」と言われ、最初はそう思っていました。あってもチリ地震で漁船が
被害を受けたことくらいの話しか聞いたことがなかったのです。ですから旭市も
「日本一住みやすい」まちづくりをスローガンにしていました。
 ところが、あの3月11日、関東圏では最大の津波死亡行方不明者合わせて
15名が出ました。それも津波が「もう来ないだろう」と判断するだけの時間的余
裕がありましたため、さらに2時間後に大津波がくるとはだれも思わなかったの
です。貴重品が盗まれてはいないか、家はどうなっただろうと心配し、元気な者
は自宅へ戻って、すっかり家財もろとも流失した家屋に呆然としながらも、使い
そうな家屋では泥浚いや瓦礫を片付けていたのです。そこへ大津波が襲って来た
のです。天井の梁にしがみつき首だけだして溺れなかったものは幸いでしたが、
土砂もろとも100mも流された老夫婦が死体となって発見されたり、未だ行
方不明のまま見つからない人、愛する人を失い自殺する者も後を絶たない。

 過去の文献(福蔵寺)では308年前に「三ケ浜津波で退転、70人余が死に
家船皆無し」とある。その教訓はすっかり忘れられて危険な低地の砂丘に家並み
がならんだ。今回、わずか4〜5mしかない堤防を津波が乗り越えるのは簡単で
あった。その津波は7.6mの高さになって鎌首をあげた蛇となり、渦を巻きながら
民家を否応なしに破壊していった。経済優先、自然破壊の張本人、オール電化で
便利さのみ追求する奢りたかき人間どもよ、思い知れと言うかの如く。
 車で逃げれば助かると思って車に乗って動かない人。「ばか!早くドアを開け
て逃げるんだ」と弩声が飛び交う。車はピンポン玉のようにあちらにぶつかりこ
ちらの窓を壊してゆく、泥水をかきわけつかめるものは木の枝でもつかまりなが
ら逃げて行く姿、痛々しい生傷を受けながら泥だらけの姿を想像できますでしょ
うか。
 おそらく、広島・長崎の原爆と同じような姿ではなかったでしょうか?東北は
こんな程度では済まなかった。

2.あれから5ケ月と1週間過ぎた。また、人々の記憶から消え始めている。
 同じ旭でも被害に合わなかった人々は、このまちに津波があったなんて、おら
ー関係ねーだ。気の毒に思うがよ。
 行政は一生懸命に復興に向けて動いている。掛け声は復興、復興と瓦礫撤去も
ままならず。
 家屋を失った仮設住宅に住む人々は強風が伴うと雨が漏る。雨音もはげしい。
隣同士挨拶はすれど馴染めない。1年後は自立しなければならない。仕事を見つ
けなければならない。いっそ、あの世に早くゆきたいよ。

 私は、古希過ぎて肝臓・腎臓も患っている。頭ないのに老体に鞭打って研究室
に寝どまり徹夜がたたったか、本郷で喘息になってしまった。不養生は確実に寿
命を縮めた。気がつくと余生はわずか、あまり人に迷惑かけてしまい、罪滅ぼし
の場を求めて津波被災者の支援をはじめた。津波はゼミで学んでいたためよく
わかる。

3.神奈川県と東京はよく大地震に見舞われている。
 その代表例が関東大震災。大正12(1923)年9月1日、本震は丹沢付近(秦野
か?M7.9、9/1、11:58:32)。東京港区付近(M7.2、9/1、12:01)、丹沢(M7.3、
9/1、12:03)、千葉県勝浦沖(M7.6、9/2、11:46)、九十九里沖(M7.1、9/2、
18:27)。このようにM7以上の地震は連続して起きた。丹沢付近から破壊が始ま
り、震源域は房総半島南部に及んだという。
 神奈川県は、戦時中の昭和19(1944)年の東南海地震でも津波被害をうけて
いる。元禄地震と関東大地震はいずれも相模トラフで発生したプレート境界付近
を震源とする海溝型の地震という。さらに、現在、その地震発生確率は高い。東
海地震、東南海地震、南海地震の連鎖反応が待ち受けているそうだ。神奈川県は
元気な暴れ者フィリピンプレート上にあり飯岡より地震津波が多いという。
「備えあれば憂いなし」、飯岡の教訓を生かして欲しいと思います。

4.ひまわりヨガのみなさんと運命的な出会い
 この津波震災で、ひまわりヨガの皆様とめぐり合うことができました。無償で
支援物資を送るだけでなく、気送りヨガで被災者の心を癒す。そんな仙人のよう
な人がいるはずはない。きっとオーム真理教のように宗教がからんでいているに
違いない。命よりお金のほうが大事な世の中に、そんな奇特な方がいるなんて信
じられなーい。と息子からも、はなから相手にされなかった。
 6月5日、スミ☆アヤコさんらのライブを提案したその張本人はきららマルシェ
に吸い付けられて秦野市へ、6月4日、杉浦さんの車に載って出かけました。
 下澤ベートベンさんときららさんが飯岡に支援物資を届けてくれた。気になる
イベントは磯野さんらに任せておけばいい。恩返しができるせっかくのチャンス、
その思いだけが自分を支えていたように思う。
 途中、杉浦ご夫妻の仲の良いロマンスが、我が家の話題になった。妻は品
川の孫の世話ばかり焼いて、病気がちな私のことをかまってくれない、週の半分
以上は独居老人のような生活でした。後何年もつか、心配ばかり先走り、怖い夢
ばかり見ていました。
 妻は旅行が大好きです。秦野へ旅行するというとついてきました。でも、途中
で倒れたりしたらみなさんへご迷惑をかけてしまうのではないかという配慮も
あったようです。
 こうして、きららマルシェの「囲む会」に招かれ、不思議体験をすることにな
ったのです。仙女のようなひまわりヨガのみなさんは健康そのもの、人助けしな
がら、ひとの心を癒す能力が抜群です。飯岡支援を呼びかけた手づくりマルシェ
の賑わい、気功、きららさんのつぼ押し、すっかり竜宮城へ招かれたような浦島
太郎の気分でした。きららさんはじめ、みなさんと会えてよかった。生きる望み
をいただいたから、感謝の気持ちでいっぱいになりました。

5.このひまわりヨガを飯岡の被災者に体験させたい。
 きららさんが月一回はきてくださる。なんと夢の乙姫さまが飯岡へ、
この文化果つる漁師まち飯岡へ。スミ☆アヤコさんから伝搬して、支援の輪は
広がり、海岸清掃で動員力のある@マルゴミさんも支援へ。日本財団がNPO支援
をしていることを知らせてきました。
 長く続けるためには、ある程度の運転資金は必要です。あたるも八卦、当たらぬ
も八卦、祈るような気持ちで締め切り日の6月30日、私は日本財団の担当者と会い
支援の申し出ました。きららヨガに特定した申請でした。

 支援、救援はどこの被災地でも行っています。でも、被災者のこころのケアが
今こそ、大事なことはありません。それは、被災者を励まし、希望を与えるだけ
でなく生きる喜びを育んでいることがわかってきているからです。希望を失い、
阪神大震災では千人近くが自殺をしたことがわかってきています。彼らは、自然
死と扱かわれていて、統計には残りませんでした。

6.日本財団からの支援決定で俄然元気づく
 きららヨガの2回目が終わって8月になりました。やっぱり、駄目かなーっ
と思っていた矢先、私の携帯がなりました。近日中に振り込みたいので名前の確
認ということでした。いやー、ほんとらしい。
 宝くじ(100万円)にあたったようで気分爽快。これで1年間は、続けられ
る。せっかく遠方から来られるお客様だもの、喜んでもらいたい。第4回実行委
員会で高らかに日本財団の支援が得られることを報告しました。俄然、やる気が
おこったのは確かです。磯野さんはやりだすと止まらない。そして今日の会議で
は、さっそく仮設住宅へ行って読売全国版にのったおばちゃま「仲良し会」へ
秦野幼稚園からの支援金受け取りを27日に行う(贈呈式)という段取りをする
という。
 27日は皆様を迎えるため、「夕日コンサート」を開きます。会場外で屋台が
並び、ソーラン踊りや富里太鼓が盛り上げます。「おてんとうさま」が南先生の
影絵装置で実演されます。お子様にはすいかわり大会、慰霊の親子線香花火大会
を行う計画だ。たぶん、大盛況になりだろう。
 ちばTVも取材に来る、マスコミ各社も入る。こんな片田舎で全国の先陣を切る
意気込みなのだー。

7.おてんとうさまは見ている
 私は、飯岡より被害の大きかった東北へ2度行っているが、ここでは被害の大
小は問題ではない。杉浦さんのアドバイスのように、請求のない自治体には援助
は来ない。被災者がだまっていては支援が得られない。まず飯岡の勢いを「わっ
しょいタンゴ」HPにかけた。
 私たちの本拠地は飯岡町道祖神1−1から始まっている。地学的には地磁気逆
転のあるところ。都市伝説では、地球のど真ん中、へそなのだという。東洋のド
ーバーの上に立つと夕日に映える富士山が見える百景に入っている。あの有名な
冨嶽三十六景は葛飾北斎の72歳の作品といわれるが、あの波は九十九里浜で描い
たものなのだ。目を閉じれば大ハマグリの蜃気楼。富士の裾野に住む白蛇が飯岡
に救済にやってくる。

 表向き遊泳禁止の浜辺も多くの親子連れで賑わう。おまわりさんが貼りついて
はみているがいたってのんびり、サーファーはこの荒波が好きらしい。海開きに
むけてきららさんの「おてんとうさま」が来年のはまべでも見られたらいいなと
思う。

 みなさま、強烈な海辺の「おてんとうさま」がみなさまをお待ちしています。
最後までお読みいただきありがとうございました。よろしくお願いします。
         
 平塚(またの名は、てふてふ、孤蝶、ふてふて、たそがれ三四郎、きららさんが
勝手につけた名前)



ゆふがほ きらら

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