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近鉄バファローズの灯モバイルコミュの【名選手】30.金村義明

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高校時代は兵庫・報徳学園高校のエースで4番打者として大活躍し、81年の夏の甲子園で全国制覇を成し遂げる。
そのオフのドラフトで阪急ブレーブスと近鉄が1位入札し、抽選の結果、近鉄が交渉権を獲得する。本人は阪急入りを熱望していたが、近鉄スカウト陣の熱意に絆され(超厚遇を約束されたが入団後、反故にされたというエピソードが・・・)入団を決意する。

甲子園優勝投手ということで投手として入団するが、非凡な打撃センスを買われ、すぐに内野手に転向。1年目から一軍戦に出場し、徐々に頭角を現し始めると、プロ入り5年目の86年にはレギュラー三塁手の羽田耕一からレギュラーの座を奪い取り、全試合に出場し、サイクルヒットを記録するなど、打率.275、23本塁打の好成績を残す。以後は、同世代の村上隆行と共に、ヤングバファローズの看板的存在としてチームを牽引していく。仰木彬時代はオープン戦で投手として登板したり、捕手を使い果たし、延長戦に捕手として出場するなど仰木マジックのネタとして使われていた。

慕っていた仰木彬が去り、鈴木啓示政権以後は徐々に出場試合数が減り、さらには94年、若手の中村紀洋の台頭で三塁手のレギュラーを奪われつつあった金村はそのオフFA宣言し、中日ドラゴンズへ移籍する。

しかし、中日移籍後は全くといっていい程、活躍が出来ず2年連続打率1割台と低迷。97年皮肉にも元近鉄の同僚、小野和義との交換トレードで西武ライオンズへ移籍。パリーグへ戻り、代打としての活路を見出し勝負強い打撃で存在感を示した。99年のシーズンをもって引退。

引退後は持ち前の明るいキャラクターと饒舌なしゃべりで解説者としてだけでなく、バラエティータレントとしても活躍している。あまりに引退後の活躍の方が目立っていて、段々坂東英二のように元プロ野球選手ぽくなくなってきている。
得意トークは近鉄ドケチネタ。藤井寺球場のホームラン賞がヨドコウの物置だったことや、栗橋茂が珍しく練習中に真面目な顔をしていたら株の値を見ていたなど、良い意味でも悪い意味でも近鉄の知名度アップに貢献している。

コメント(1)

 甲子園で名古屋電気の工藤に投げ勝ち(打ち勝ち?)、そのまま決勝でも勝って日本一になったことは今でもよく覚えています。

 その後のドラフトで近鉄が当たりを引いたとのニュースにガッツポーズ、されど、本人が阪急入りを希望していると聞きハラハラ。

 結局、近鉄入りが決まって大喜び。

 ジュニア・オールスターMVP……。

 彼にまつわる記憶は色々ありますが、何といっても金村といえば、10・19。

 若手台頭の旗頭として、チームの中心だったのに、大事なときにケガで離脱……。あのときの金村の男泣きは、特に印象に残っています。

 あたくしの中では、大石なんかとともに、数少ない「ドラフト時点から注目していて引退まで見届けた選手」のうちの一人なので、思い入れもひとしおです。

 亡き仰木監督が最も信頼していた近鉄OBの一人でもありますね。

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