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近鉄バファローズの灯モバイルコミュの【名勝負】vol5.平野執念のバックホーム

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近鉄バファローズは79年、悲願のリーグ初優勝を遂げた。
しかし、その道のりは決して平坦なものではなかった-

近鉄は前年の後期戦であと一歩のところで阪急ブレーブスとの直接対決に敗れ、プレーオフ進出を逃していた。
当時の阪急はとにかく強く前年まで4年連続のパリーグ制覇、うち日本シリーズ優勝3回。
巨人のV9時代が去ったこの時点では日本最強と言っても良かった。
皮肉にもその最強阪急の礎を築いたのは近鉄の将、西本幸雄だった。
阪急を常勝軍団に育て上げた後、弱小球団近鉄を地道に育てた。
やがてその芽は75年の初の後期優勝、そして前年の優勝争いと「結果」として徐々に現れつつあった。
しかし、あと一歩で「悲願」には届かない。いつもそこには自分の作った強敵が立ちはだかったのだ。

前年の悔しさをぶつけるが如く、近鉄は79年のシーズン開幕から突っ走った。
ヤクルト広岡の管理野球が嫌で近鉄にやってきた赤鬼マニエルのバットが火を噴く。
西本門下生の栗橋茂、佐々木恭介、平野光泰らが打ちまくる。
5月終了の時点で31勝9敗4分。マジックが早くも点灯していた。

しかし、追う事は得意だが「追われる」事になれていない近鉄。
6月、主砲マニエルがロッテ戦で八木沢から死球を受けあごに大怪我をする。
この時点でマニエルは51試合で3割7分、24本塁打66打点というZ戦士のような成績を挙げていた。
チームの柱を失ったチームは脆くも失速する。
あれだけ引き離していた阪急が不気味に追い上げる。
そしてふらふらになりながら近鉄は6月25日にマジック1とした。
ただしその時既に阪急は0.5ゲーム差まで迫っていた。まさか5月の時点でこんな展開になるとは・・・

26日の南海との前期最終戦に勝つか引き分ければ前期優勝。但し、負ければ阪急の逆転優勝。近鉄はいつの時代も「ギリギリ」である。
近鉄の先発は村田辰美。序盤から快調に飛ばし南海打線を封じる。
2回に近鉄は梨田昌崇のタイムリーで1点を先制する。しかし4回に南海は同点に追いつく。
引き分けでも優勝。しかし負ければ…プレッシャーが近鉄ナインに襲い掛かる。
3回以降は凡打の山。同点のまま試合は重苦しいムードで終盤を迎える。

そして運命の8回裏-
南海は二死ながら一二塁の勝ち越しのチャンスを迎えた。
ここでバッターは代打阪本。皮肉にも阪急時代の西本門下生である。力投を見せていた村田が投じたボールをしぶとくセンター前へはじき返す。
2アウト、そして二塁走者は俊足の定岡。
勝ち越されて9回に追いつく余力は近鉄にもはや残っていない。
センター平野は無我夢中で本塁で待ち構える梨田めがけてボールを投げ込んだ。
平野の、いやナインの様々な思いが乗り移ったボールは梨田のミットにノーバンドで飛び込むストライク返球だった。
球審は高らかに「アウト」を宣言。
近鉄ファンに今も語り継がれる「平野執念のバックホーム」だった。

近鉄は9回の勝ち越し機を逸したものの、平野のビッグプレイで息を吹き返した村田が9回も無失点で抑え、引き分け。
この瞬間近鉄の前期優勝が決まった。
チームは勢いそのままに秋の阪急とのプレーオフを制し、悲願のリーグ初優勝を成し遂げた。
「あと一歩」といわれ続ける呪縛から開放された瞬間でもあった。
平野自らその呪縛からチームを救ったのである。

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