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近鉄バファローズの灯モバイルコミュの【歴史】vol6.鈴木・佐々木時代

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【第14代】 鈴木啓示(1993〜95)

生え抜き監督としてかつての大エース鈴木啓示が監督に就任。
しかし指導法を巡って野茂英雄ら主力投手陣と対立。
自由奔放な野手陣との溝も顕著で、1年目は西武に早々と独走を許すと、貯金7ながら日本ハム・オリックスの後塵を拝し、6年ぶりのBクラス(4位)転落。

2年目はさらに迷走し、開幕西武戦でのまさかの「野茂1安打で降板、赤堀元之サヨナラ満塁弾被弾」からつまずき、最下位を独走。
鈴木が「サジを投げた」6月から1ヶ月半で球団新記録の13連勝を含む32勝4敗という衝撃的な快進撃で一気に15ゲーム近くあったゲーム差をひっくり返し首位に立った。
しかし、再び鈴木が「サジを取る」と失速。結局西武が4連覇。
マスコミの異常な「イチローブーム」に水を差す非常識野球を垣間見せたのはさすがであるがもはや「第2黄金期最後のともし火」でしかなかった。
エース野茂と鈴木の確執はファンの想像以上に進んでおり、野茂はオフに電撃的にメジャー挑戦を表明。
またこの時期に阿波野秀幸・吉井理人・金村義明・加藤哲郎らVメンバーや名トレーナー立花も相次いでチームを去る。

完全に輝きを失った95年は阪神大震災の影響(近鉄より被害の酷かったオリックスが優勝したのは皮肉な話である)、石井浩郎・ブライアントの故障、そして何よりチームの士気の低下もあり、最下位を独走。明るい話題といえば高卒ルーキー大村直之の積極起用ぐらいであった。
前年のような神がかり浮上もなく、鈴木はシーズン途中で休養。完全なる低迷期に突入した。

【第15代】 佐々木恭介(1996〜99)

鈴木政権の失敗から同じ生え抜きでも近鉄、阪神の打撃コーチとして評価の高かった佐々木恭介を監督に招聘。
1年目は新外人のローズ、山本和範ら新加入メンバーによる活躍で開幕ダッシュに成功したが、ここ数年で落ちた地力の無さは否めず、結局最下位を脱出した(4位)に留まる。

大阪ドーム元年の2年目は前半戦は低迷するが、後半になると小池秀郎が最多勝をマークする活躍でチームを引っ張る。
大塚晶文というニューヒーローの誕生でチームは3年ぶりのAクラス(3位)に。

久しぶりの優勝が期待された3年目(98年)。期待通り前半戦は日本ハムと首位争いを展開。しかしチーム力に穴が多く、連敗癖の多いチームは徐々に「団子レース」の渦に巻き込まれていき、終わってみれば5位に終わった。

4年目は夏場に最下位に沈むと、投手陣の崩壊もあり、佐々木は途中休養。4年ぶりの最下位に沈む。

采配面では疑問符のつく部分が多かった佐々木だが、技術面の指導にはやはり長けており、中村紀洋・吉岡雄二、そしてローズといった選手が着実にレベルアップし、次世代で花を開かせることになる。

ただ、福留孝介のドラフト事件などに象徴されるようにこの頃から人気低下による「身売り説」が現実味を帯びて噂されだしていた。

コメント(1)

人気の低迷よりも 親会社の 業績低迷でしょう

しかし 鈴木監督時代は

醜かったですね 仰木監督の 後だけに 180°方針が変わったんでしょう

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