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文芸の里コミュの〈掌編〉 魚の夢

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     J. S. Bach - Cantata BWV 129 - Gelobet sei der Herr, mein Gott

 ◇魚の夢



 川を横切って、鯉のぼりが泳いでいる。その鯉のぼりの下を、魚が泳いでいる。
 真鯉の下には、骨格のがっちりした、精悍な雄の魚が。
 緋鯉の下には、ほっそりした、柔和な感じの雌の魚が。
 そして何の魚か判らない吹流しの下には、普通の魚の形をしていない、カジカや泥鰌や鰻なんかがひらひら泳いでいる。
 どの魚もみんな一線に並んで、これからスタートを切るランナーのようだ。
 しかし彼らは既に走っているのだ。走っていなければ、水流に押し流されて、ずっと下流のほうへ消えているはずだ。
 この一線に留まるためには、泳ぎ続けていなければならないのである。なんという無謀のレースに参加してしまったのだろう。
 左右を見ても、お互いに口を開き、鰓を動かし、真剣に前方を見詰めて泳いでいる。
 土手の上から観察すると、水面には低空をはためく鯉のぼりの姿が映っている。魚たちは、その映りこんでいる鯉の姿の中から、はみ出さないように、めいめいの位置を保持して、必死に泳いでいるのだ。
 マラソンなら、42キロというコースを走り抜けば、それでレースは完了するが、このレースはそれどころではない。比較を絶して長く、際限がない。そして一歩先んじることも、後退することも許されないのである。
 三日前にこの鯉のぼりは、町の行事の一環として、川にかけられたから、魚たちはかれこれ70時間以上泳ぎ続けていることになる。子供の日までは、まだ10日を残している。それまでこの魚たちは、レースを離れはしないのである。食事をするのは風が止んで鯉のぼりが垂れ下がったときくらいのものだ。しかしそんな時はめったに訪れない。川が流れている限り、川風は自然に吹くからである。
 川風があれば鯉のぼりははためく。鯉のぼりがはためけば、川の中の魚たちは泳ぐ。

 子供の日を過ぎて三日経っても、鯉のぼりは外されなかった。それを見て、魚が気の毒になり、鯉のぼりを外して土手に引揚げてしまった若者があった。当局に知られないように、深夜にこれを決行した。
 少しく気になるところがあって、若者は翌朝現場へ出かけてみた。岸に近い、水の淀んだ辺りに、多くの魚が白い腹を上にして浮上していた。
 若者は落ち込んで考えた。余計な事をしてしまったのだろうか。それから相当な年月が流れたが、彼はいまだに分らないのである。


   ☆

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