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文芸の里コミュの潮のように  未完 5

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突然ベランダで息子の良彦の唸り声がした。シンクで洗い物をしていた奈美は、慌てて外に身を乗り出し、
「良彦どうしたの?」
と声を大きくした。良彦は口を膨らませ、涎を出していた。
 幼子はまだ興奮冷めやらぬ様子で、縁側の床下の方を指さしている。彼の膨らませた口の端から、トモキ、トモキと発声しているのが分った。猫のトモキがかかわって、何かを仕でかしたのだろう。それ以上は分からなかった。奈美はシンクに戻って、洗い物をつづけた。
 五六分して、また良彦の荒らげた声がした。今度はとっさに奈美は飛びだしていた。
 猫が一匹、石塀の上から、塀伝いにこちら側の地面へ降りようとしている。その猫はトモキにちがいなかった。しかもトモキは、口に何かを銜えている。鼠ではない。子猫だな、と奈美はとっさの判断をして、トモキの行動を見守った。
 トモキはコンクリート塀のでっぱりに前足をかけると、一度そちらへ体を移して、さらなる足場を探して体を大きく振った。しかしどこにも猫の身を支えるようなところはなく、そう見定めると、トモキは石塀の一箇所を中継地点と定めて、そこへ前足を運び、しっかり中間点としてそのやや後部に後ろ足を運んで、そこから一気に宙へと跳んだ。そして地面の芝生に身を置くと、縁の下に向かって素早く移動した。その素早さたるや、プロ級の技を披歴するようだった。
 トモキが銜えているのは、明らかに仔猫だった。雌猫がこの近くで産み落としたのを、そこよりは安全な我家へと運び込んだところなのだろう。先程の良彦の叫びと重ね合わせるなら、どうやら二匹目を運んで来たと考えられる。したたかな猫だ。いつの間にか親猫となって、雌猫に産ませた子猫を、我家へ持ち運んだところらしいのだ。
 そのトモキに向かって、良彦は感情がおさまらないらしく、さかんに罵倒の叫びを繰り返している。彼の眼も怒りに燃え滾っている。
母親の奈美には、その息子に彼女の納得できない、真相めいたものが込められていそうでならなかった。むろん奈美には不可解だが、赤子自身にさえ分らない何かなのかも知れなかった。 
 良彦は盛んに唾を吹き飛ばしながら、トモキの消えた縁の下へ、縁側から身を乗り出して覗きこんでいた。縁の下は薄闇に包まれていて、中がどうなっているかなど、見えるはずもなかった。しかし二匹目がいたのであれば、三匹目もいるに違いないと、その判断だけは動かないように思えて、奈美は縁側から動けなくなっていた。
 三分もして、トモキはあやまたずに、縁の下から出てきた。そして今や、勝手知った猫の身軽さで石塀に跳び乗り、あっけなく向こう側へ消えた。
 それから数分も経た後に、路地の側から大きな生きものの気配がして、石塀の上に子猫を銜えたトモキが現れ出たのだ。しかし今回は、先程とは違う。トモキを追って雌猫が登場したのである。しかもその雌猫が、トモキと同じものを銜えている。
 観察眼を働かせていた奈美は、これですべてだということは分かった。雌猫は新居を確認したいと思いながら、巣に子猫を残してでは、それができなかったのだ。最後の一匹を銜えた今は、向こうはまったくの空っぽ。何もない。飼猫のトモキを抜かせば、一度に五匹の命が移って来たことになる。
五匹か、奈美は新たな感動に打たれながら、ため息をついた。いとも簡単に持ち運ばれた  
命の大きさを思いやったのである。自分は一人息子の良彦さえ、十分理解できず、難解なものを抱えて、その苦しみが大きく被さってこようとしているのに、この呆気ないほどの単純さは何だろう。何かヒントを与えてくれるとでもいうのだろうか。
 雌猫の毛色は明るい灰色だ。毛並みも申し分ない。つややかで、奈美に仄見せたかんばせも美しかった。トモキがよくもこんな美猫をつかまえたと驚くばかり、容姿端麗な雌なのである。
 二匹は目に見えない糸で連携しているかのように、先程と似た手順で、石塀を伝って地面に降り、そのまま縁の下へ消え去った。良彦は雌猫の出現で度肝を抜かれたらしく、声も出なかった。
→つづきます。

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