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文芸の里コミュの最新ゴキブリ考

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                賛美歌第二編 219番 さやかに星はきらめき



 ★最新ゴキブリ考


 不愉快なことが起こったりして鬱々としているとき、よく夢で教えられて慰められたり、それを起点にして行き方を示されたりする。他に知恵を貸してくれる者もいないので、いきおい天を仰ぐことになる。
 不愉快となると、まずは人間関係ということになる。悪いのはこの世を支配している悪霊に違いないのだが、悪魔は直接手を下すことはできないので、人間を介して悪さを働くことになる。人間には悪霊の入り易い者と、そうでない者があるようだ。うっかり人の好いものが悪魔のそそのかしに遭って、私に悪さを仕掛けてくることがあるが、それは稀である。たいていは、好からぬ者が悪魔にけしかけられて、悪さをしてくるのである。本人にそのつもりはなくても、傷つける言葉を吐いてみたり、自分では正しいことをしているつもりで、よからぬ道を教えて人を罠に嵌めたりするのである。

 ゴキブリが単純にゴキブリ本来の自然の姿として現れたり、己の欲望のままに動き回ることはまずない。これはあくまでも、私に関しては、という限定的な発言である。
 現実に登場したゴキブリだけでなく、夢に出てくるゴキブリにも言える。単なる夢ということはなく、なるほど、これはあいつのことかと、けりがついて、後は清々するのであるが、このゴキブリの正体は誰のことだろう。そう考えてなかなか方がつかなかったりする場合、起きてもその日一日気が晴れない。
 そんな鬱々とした日常の中で、ふっと閃いて、やっぱりあいつは、駄目か。ゴキブリに過ぎないということかなどと、溜息を吐くのである。

 そのゴキブリが最近になって、悪いとのみ言えないことが判明した。それはゴキブリが、上を向いて、つまり仰天して死んでいる場合である。死んではいないで、上を向いて気絶している場合もある。
 そういうゴキブリは、自分を投げ出して天を仰いでいるのだから、救いがあるというのである。
 したがって、人との間に不愉快なことがあって、あいつの素性はどうなんだろうと、憤懣やるかたなく懐疑を抱いて寝た夜、仰向けになったゴキブリが夢に出てくれば、その者には期待してよいということになる。今は頑なになっているが、そのうち心を開いて、受入れるようになるから、長い目で見てやる必要ありという意味になる。これは夢ではなく、実物のゴキブリが現れた場合でも同じことだ。上向きになって死んでいればとにかく、まだ息があるようなら、下向きにしてやり、風通しのよい表に出してやれば、自然に蘇生して立ち去っていくであろう。
 ところがこれも最近になって、まったく珍種のゴキブリが現れるようになった。しかし現実にではなく、夢のはなしである。
 それは黄金のゴキブリの出現だ。擬人化されているとなると、ただごとではない。知識と才能に富み、聖書のみならず、神学の裏づけもあり、世の信頼も篤く、よって権威もある。その栄光に輝く黄金のゴキブリが、よりにもよって貧しく、まったく取り柄のない私のところに出るというのが、そもそも奇怪な話であるが、実際に見た夢の話であれば、どうしようもない。とにかく、そのゴキブリが現われたのである。
 私はそのとき、入浴しようとして、浴室に入ったところだった。黄金のゴキブリは、自分も身を滑り込ませようとして、浴室の敷居に足をかけていた。そうはさせじと、私はスリッパを履いた足でゴキブリを軽く踏んだ。しかしここで潰すのは、衛生的に躊躇いがある。しばらく上から押し付けていて、その足を外した。黄金のゴキブリはのそのそと後退し、寝室の奥の方へ逃げて行った。降参して仰向けになるということはなかった。ということは、いくら聖書と神学で武装はしていても、正面から神に向かおうとしない、自我ばかりの生々しいゴキブリという意味である。
 黄金のメッキに光り輝くゴキブリのような霊的な脅威が、私の近辺にも存在するというのである。
 私は多くのデータの中から、今の世にも影響を与える、めぼしい傑物を拾い上げていった。多くの中には故人もあれば、現存するものもいる。敬虔なキリスト教徒と自他共に認めるものもある。これを扱き下ろせば、逆に私が抹殺されるほど、今の世の権威となっているものもある。そこで神も夢にして、ゴキブリなどという突飛な比喩を用いたと言えなくもない。
 やはり虫だったか。しかも悔い改めない虫なら、まったく怖れる必要はないのである。金メッキを施した虫に過ぎないのだから、無視すればいいのだ。あのゴキブリはそういう類のものだった。夢で登場したときから、着実に四肢で床を踏んでいたし、スリッパで押し付けて弱らせたつもりだったが、天を向くことはなかったのだ。
神に向くどころか、神と競い、自らを神にするものだった。そのゴキブリが寝室に隠れているとなると、穏やかではない。急遽この拙文をしたためているのも、そんな経緯があってのことなのである。
闘わなければ、悪霊が勝ち誇って収拾がつかなくなる。
 ゴキブリは人間の比喩である。そして下を向いているゴキブリは、神に向かわず、悔い改めようとしないから、善からぬ人間である。
もっと言えば山羊に当たる。しかし山羊に当たるゴキブリがすべて悪さをするわけではない。また数少ない悪さをするゴキブリ人間も、
本人が私のところに現われたことなど知るはずはない。神がその人間の内側を照らして、私に忠告してくれただけである。これは故人についても、しかりである。私たちの周辺には数多くの文化的遺産がある。哲学、文学、芸術、音楽、神社仏閣、名所旧跡、著名な故人が訪れた場所や、愛用した品々……
 神に向かわず、神と敵対した人々のすべてが、地上の我々に悪さを働くのかといえば、そうはいえない。たいていは無害である。善人も悪人も、その霊が眠らされている現状では、何もできないのが実際である。
 しかし中に、ごくごく僅かではあるが、悪魔に見込まれ彼らが地上に残した文物を通して、悪霊の権化のようにして利用されているものがあるのである。むろん眠らされている本人は気づかないまま。
私の前に現われた黄金のゴキブリとは、そういうものだったのである。
 私の場合は神によって見せられたものだったから、被害はなかった。しかしこれが、直接悪霊によってなされたとなると、ただごとではすまない。おそらく生前の本人そっくりの顔を用いて、夢に登場させるだろう。夢でない場合は、悪霊が本人に成り済まして入り込み、まず神から離してしまい、さんざん虐めて、虚無とか絶望へと導くのだ。
 先日こんなことがあった。夢ではない。事実である。私は近くの都市へ出ようとして、駅へ向かった。改札に来ると、人身事故があって不通になっているとのこと。改札を通らず、駅ビルを一時間ほどうろついて戻ってみたが、まだ開通していなかった。
 結局電車が走るようになったのは、三時間も経ってからだった。
既に日は没し、気分が削がれてしまって、電車に乗る気にはなれず、そのまま自宅へと足を運んだ。濃くなってくる闇に向かって進みながら、私は人身事故を起こした当人よりも、処理に当たった駅員の苦労が頭を離れなかった。
 私にも昔、鉄道マンへの道はあったが、その道を選ばなかったのは、処理のことが頭を占めていたからだった。


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