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文芸の里コミュの日々の後

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                    Granados - Valses poeticos

 地下の金魚


地下街に、
水槽が一つ置かれ、
金魚が泳いでいる。

猫の目になって、
金魚を、
見つめる男がいる。

猫なら、
金魚が寄ってくれば、
付き合い程度に、
手を出すところだ。

男はそうしない。
断固手も口も出さない。
まったく無愛想な男だ。
そのかわりなのか、どうかは知らない。
頬髯がひくひく動いている。

金魚はガラス越しに、男の髯をつつきにいく。
男は依然無関心に、
別な方向に眼を向けている。
彼の眼の先には、
外への出入り口があり、
白い光が溢れて、石の階段を明らめている。
彼は、そこから出て行くのが億劫なために、
金魚の水槽の前で、足を止めてしまったのだろうか。
そもそも、布団から起き出すのからして、
気乗りしなかったのだろう。
起きて外に出てしまった以上、どうにもならず、
せめて地下街に潜ることで、
自らを宥めようとしたのだろうか。
そうだとしたら、
金魚の水槽は、足を止める格好の材料になった。
もし、何も介在するものがなく、
男がひとり、地下街の真ん中に突っ立っていたら、
行き交う人は、男をじろじろ見るか、胡散臭いも
のを、避けるようにして往くだろう。
地下道の、真ん中に据えられた水槽は、
男を世から離してくれる、
防護壁の役目を、果たしてくれたのだ。
男が金魚に、一瞥もくれないのには、
そういう仁義が、働いていたのであろう。
自分が世の、拗ね者に堕ちてしまうところを、
間に入って、援けてくれたというのに、
立場を逆転させて、じろじろ金魚を、見つめることなど、
できはしないのである。
今しばらく、ここで呼吸を整え、英気を養うほどで
はないにしても、ある程度の決心がついたら、
あの白い光が溢れる、外界へと、出て行くだろう。
街の煌めきが激しく、その眩しさに耐えられない
ようなら、眼を瞑るか、路上に眼を落とすかの、ど
ちらかである。


  ショーウィンドーの前で


 二時間後、男はあるデパートのショーウインドーの前に立っていた。彼が出てきた地下道の入口が、はるか先に小さく、黒くポツンと蟠っている。
 そこからここまでは、大人の足で約五分の道程である。すると、徒歩に要した時間を差し引いた一時間五十分近くを、ショーウインドーの前で過ごしていることになるのだろうか。はっきりしたことは不明だ。
 土のなかから這い出したミミズにでも訊いてみるしかないだろう。
そのミミズにしろ、まったく同じ歩調で進んでいるわけではないのである。途中に煙草の吸い捨てでもあれば、ぶつかるよほど前から、臭いが襲ってきて、大きく迂回しなければならない事態に、立ち至るのである。迂回すれば、そこからの歩みが新たなコースとなるかといえば、決してそうはならないケースが大概なのだ。
 ミミズには、ミミズ本来の道がある。煙草が障害となって進めなくなったのであれば、それを回避した後、再びもとの道に戻らなければならないのだ。
 ミミズの動きを見れば、男が地下道を二時間前に出たからといって、一時間五十分近くデパートのショーウインドーの前に立っていたことにならないのは明らかだ。
 彼の前には、男のマネキンが立っている。デパートは早くも秋の装いで、男のマネキンが身につけているのも秋ものだ。マネキンは足を半歩踏み出そうとしているのか、半歩後退しているのか。手の
仕種も、何かを掴もうとしているのか、手放したところなのか、はっきりしない。まったく得体の知れない、ヌーボーとした男だ。首に赤いネッカチーフなんかして、あれで粋のつもりでいるのだから厭になる。そもそも髪の色からして、何だあれは。栗毛だって? 馬でもあるまいに。 
 彼がこれほど馬の毛の色にむかっ腹を立てるのは、最近競馬のギャンブルから足を洗ったせいなのだ。
 それでは何故、いつまでもショーウインドーの前に立っていないで、さっさと立ち去らないのだろうか。
 判らない。それがこの男の内面の、判らなさでもある。先程は地下街の金魚槽だったが、地上に出た今は、ショーウインドーなのだろうか。ただそれだけなのだろうか。


  デパートの女


 ショーウインドーのガラスが鏡となって反射し、外からデパートの中は見えないが、中から外はよく見えた。
 男から一番近いのは、鞄の売場だ。外から中は見えないといっても、まったく見えないわけではない。
 店内は煌煌と灯りをともしているので、外の輝きが減ってくると、逆に内部が輝いて、外からも見えるようになる。 
 売場の店員は、いつも外から観察しているわけではないから、どの程度外から見られているのか、はっきりとは判らなかった。ただ内側から外がはっきり見えるのだから、自分が見られているという
意識は常にあった。 
「もう気がついてからでも、一時間半はあそこにいるわ、あの人」
 店員はボソッと独り言をいった。
 彼女がこう呟くからには、男は地下街を出て、まっすぐここへ足を運んだことになる。大都市で、他者と関わりなく生きているこの男にも、証人はいたのである。
 デパートの表からは、ふつう店員の姿は、背中と横顔しか見えな
い。さいしょ女が男を発見したとき、外からの視線を感じて目を転じると、男は彼女を見てはいず、マネキンの顔のほうに目を向けていた。マネキンの足もとには、三点ほど、女の売場の鞄も置いてあったので、男の目が上に向けられていたということは、鞄には食指が動いていないと見て、彼女は軽い失望を味わっていた。反面、男の視線が女の自分にも向けられていなかったことで、ほっとしてもいた。ストーカーは、女性従業員の多いデパートでも大きな問題となっており、彼女は不自然な男性の視線を、極力注意していたから
だ。
 観察されていなかった彼女は、逆に観察できる自由を得て、男の脚から頭の先まで目を凝らして見ていった。
「似ている!」
 その呟きは、心の叫びと重なっていた。うっかり声に出してしまったのではないかと、同じ売場の同僚に視線を配ったほどだ。

                         つづきます。



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