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文芸の里コミュの神は愛、愛はいのち

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 この神の厳しさでいくと、再臨するキリストにこれは大丈夫だと差し出せる花嫁は一人としていない。悪霊を閉じ込めた者との癒着、メールのやりとり、日記、その他へのコメントやコメント返し、その他グループ結成。こうなると自分のやっていることがまったくの不毛であるように思えて、悲鳴を上げそうになった。
そんな私に、ちょっとした異変が起こった。4月29のこと。次回はそれについて書きます。

   ☆

 前々回こう書きながら、それが果たせないでいます。その前に悪霊なるものについて記しておいたほうが、理解されやすいかなとの思いから「世は霊の戦場」を出しました。これは一応掌編小説の体裁をとっていますが、あの中の二人の人物、野武士然とした男と中年の女は、実際出合った体験です。誇張はありません。
 あの二人と同じような人間が、世の中にはあちらこちらに散らばっています。散らばっているというより、むしろ要所要所に配置されているというべきでしょう。悪魔が神の計画を妨害するために、あえてそうしているのです。したがって花嫁なるものがいるところには、悪魔は早々と察知して、しかるべきものを連れて来るのです。 神の子どもたちを騙すのが目的なのですから、彼らは一見柔和で温厚で、知識に富み、社会的な地位や権威を持っていたりします。
そういう悪魔の手下は教会にもいれば、ネットの世界にも入ってきています。
 私は「霊を見分ける霊」を与えられていますので、その者たちのプロフィルや書いたものを見るだけで、神から来た者か、悪魔から来た者かすぐ判ります。それこそざわざわっとした嫌悪感が走って、苦虫を噛み潰したようになります。前作で二人の男女からもたらされた、あの感情です。
 花嫁と神に示されている者が、ネット世界でメル友のメンバーとして隣り合ったりしていると、そこから悪霊の及んでいく様が手に取るように判るのです。ましてその小悪魔とも言えるものとリンクを貼り合ったり、コメントしたり、コメント返しなどしているのを見るにつけ、もうこれは駄目だなと一線を画してしまいたくもなります。しかし私は花嫁探しに遣わされた身であってみれば、命令した父なる神に伺いを立ててみます。そのとき「あの者(小悪魔)に意気投合しているわけではないから、少し悔い改める時間を与えて様子をみる」などと言われれば、私は引き下がってなるべく彼女のネットには近寄らないようにするだけです。それでもこのままでは隣から毒分が及んでいき、やがて姦淫の女が誕生してくるのは明らかなのですから、彼女の中の半分の御霊が発動して、彼女を目覚めさせてくれるのを待つのみということになります。
 悪魔の巧妙さの一つに、障碍のある者を手下に選んで送り込んでくるというのがあります。神の子どもの代表とも言える花嫁なら、当然愛があってしかるべきだと、肢体に不自由のある者を押し付けてきて懇ろにしてしまおうと目論んでいるのです。これは差別発言と受取られてはならないと控えてきましたが、どうしても言っておかなければならない重要案件なのです。避けて言わない方がむしろ差別というほどのものです。悪者は健常者の中だけでなく、障害者の中にもずっと率は少ないながらも存在するのです。そしてそういう者に限って、本当に助けを必要としている多くの心優しい障害者を片隅に押しやり、社会の善意を独り占めにして、のうのうと生きているケースがあるのです。悪魔はそういう者を手なずけて送り込んで来ています。花嫁の同情をそそるように仕向け、間違って懇ろにでもなればしめたものというわけです。サタンの世界では大物に祭り上げられるでしょう。花嫁を失格させて、永遠のいのちの道を塞いだのですから。また神に大きな打撃を与えたことでも、あっぱれということになります。
 不幸なものをこよなく愛することは確かに大切ですが、それも賜物(たまもの)が神から与えられていてはじめてできることなのです。あのマザーテレサも神から賜物として与えられていたからこそ、あの偉業が可能だったのです。花嫁の賜物はそれとは別です。これを混同すると大きな過ちを冒すことになります。これは神からさんざん言われていることです。私自身、一般のクリスチャンへの御霊注ぎに尽力すべきではないかと、教会へ出かけようとしても、神が行かせてくれません。教会には私などよりそのための適役者がいて、お前何しに来たとばかりに弾き出されてしまうでしょう。
 いやそれ以前に、私は自分に与えられている「霊を見分ける霊」が前面に出てしまって、何でこんな悪者が教会の中心的ポストにいるんだ? とか、御霊もないくせに、牧師としてのさばっているとか。教会は世襲制ではないのに、牧師の息子をアメリカの神学校に留学させて、帰って来たら後を継がせるとはどういうことだ。神の召命を受けたそうだけど、今神に訊いたら、そんなことを言った覚えはないと言うぞ。などと言い出せば、それこそ大騒ぎになることが目に見えていたのです。

 いよいよ我が身辺に起こった小異変について書かなければなりません。4月29日、それまで通じていたキリスト教界のSNSに接続できなくなりました。これまでも4月29日に限って、何故かトラブルが起こっていましたので、またか、と憮然たる思いに沈んでいました。しかし何のために、いきなり接続できなくなったのか。パスワードをいくつか新しくしても埒が明かず、開通の見込みが立たなくなりました。接続できなければ、メールも届かず、SOSを発することもできないのです。
 このときまず頭によぎったのは、復活のいのちのことでした。そこにいる花嫁たちと連絡がとれないということが、危機到来と目に映ってしまったのです。何とかしなければと焦り、同じキリスト教界の人々が集うMIXIのコミュニティに参加してしまったのです。先のSNSとダブって参加している者が多くいると聞いていたからです。
 しかし中味もよく吟味しないで飛び込んだもので、調べてみると、そこは(メル友を募集する)コミュニティだったのです。冷静になってよく見ると、コミュニティの名称にちゃんと謳ってあるのです。
ここから誰かに向かって、メールを発信すれば、受取った者は、「メル友になってください」と、応諾とも依頼ともつかないメールを発信しなければならないのです。なぜならメル友を募集するSNSであるからです。その字義通り、瞬く間に二名の方にメル友になっていただきました。
 私にとってこれは画期的なできごとです。何故と言って、これまで四、五年のうちに、私から願い出てメル友になって貰った人は、ただ一名を数えるだけだからです。それが二三日もしないうちに、自分から希望してメル友になって貰った人を二名増やしたのです。
 これは神に謀られたなと直感しました。思いつくところは、このままではキリストの再臨時に引き渡せる花嫁は一人もいないなどと、慨嘆したそのことです。つまり不毛に終る事に深く傷ついてしまっている私を、世の色に染めてしまうことで、逆に彼女たちを浮上させるという、苦肉の策を採ったのでしょう。
 これについて神の本音を探っているのですが、なかなかすっきりした回答を与えてくれないのです。訪問者を辿って、メル友依頼のメールを発信しても、送信と受信の確認が取れなかったりとか。これは神の中にも模糊としたものが存在するということでしょう。一概に世の色に染めてしまえばいいというものでもないからです。
 ここで神の国の奥義を最初に告げられ、「神は愛、愛はいのち」と花嫁の後進に道を託して2002年に昇天した女性の言葉が印象的です。
 神の愛が芽生えなければ、いのちには繋がらないのです。父なる神の声に、明快と精彩を欠いているのも、そのあたりに理由があると推測されます。


追記、接続できなくなっていたキリスト教界のSNSは、管理者のご尽力により修復され、現在は以前より軽くなって行き来ができるようになっています。

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