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文芸の里コミュの少年の夢 未完 25

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 子供たちが堂田を見舞いに来て帰った後、もっとも変わったのは、アユミかもしれない。
 アユミは堂田を家に「お呼びする」といってきかないのだそうだ。その堂田へのお土産にするのだと、鶏の産んだ卵集めに懸命になっている。鶏たちが枯草の奥や熊笹の中に産み落とした卵を探し回って、その数が増えていくのを何より楽しみにしているらしい。これらはマリエからリカに告げられたものである。リカはそれを幹太に教えたが、幹太は思慮深いこどもであるから、桃子にも堂田にも伝えなかった。
「お呼びする、お呼びする」とあまりうるさく言うので、母親も困って、
「今は日が短くてすぐ暗くなってしまうから。年が明けて暖かくなってからね」
 とアユミに言い聞かせている。
「お泊めすればいいんだよ」
 とアユミが言う。
「うちにはお客様を泊める布団がないよ」
 とママが言う。
「私の布団にいれてあげるよ」
 とアユミは聞かないのだ。
「暖かくなって、日が長くなったら、お泊めしなくても帰って行けるんだよ」
 ママがそう言うと、悲しそうにしゅんとなって、
「来年になったら、卵が古くなってしまうよ」
 とアユミは承服しないのだ。今アユミは卵集めに必死になっているのだ。何しろ雪になれば、雪に埋められて、卵を探すどころではなくなるのである。そんな末娘を傷つけないために、アユミ一人を連れて、今年中に堂田を見舞うべきではないかと、ママは考えはじめているらしい。そうなると、アユミ一人の問題ではすまなく、大人の関係も絡んでくるので、難しいのである。

 堂田も分校再開に向けて、早く手を打たなければと急かされる。そんな焦りから、いつになったら退院できるか、主任の医師との面接を看護師に申し出た。桃子にも携帯やメールで訊いたり頼んだりしているが、埒が明かないのだ。それで他の看護師に頼んでおいた主治医との面談の許可が下りて、堂田は勇躍医師に会いに行った。
「そんなに焦って、君はいったい何をしようというのかね」
 巨漢の医師はソファの背凭れに体重をあずけて、ぎしぎし軋ませてそう言った。
「何と言われても困りますが、世の男の一人としても、やはりなんとかしなければなりませんので」
 堂田は苦し紛れにそう言った。懸案の分校再開までは口にできなかった。桃子には伝えてあるが、桃子から実家の義兄に話して貰い、堂田はその義兄からの返事を待っているのだ。
「一人暮らしで、今退院しても煮炊きが大変だと思うんだが。広瀬君もその大変さを考慮して、病院のベッドに空きがあるうちは、病院において貰ったほうが安心できるとか、話していたなあ」
 桃子に退院の話をしても、捗々しくいかなかったのは、桃子が原因していたなと、堂田は自分の迂闊さに気づいた。これでは本気になって義兄に取り次いでいないかもしれない。堂田はそこで腕組みをした。腕組みしたからといって、解決のつくものではなかったが、そうしないではいられなかった。主治医は堂田のそんな仕草の一部始終を観察している様子だった。それも医師の大切な任務であると、認識しているらしい。そんな観察に基づいて、医師はやおら口を開いた。
「君は樋口君とは、どういう関わりなのかね。親戚?」
「樋口さんの甥御さんが、道に倒れている僕を見つけて、この病院に運ばれたような関係でして、その小学生が、命の恩人といったらいいのでしょうか。その命の恩人は、昔、赤ん坊の頃、樋口さんに母親代わりに育てられたことがあるんです」
 堂田はこの医師に、弱いところを抑えられているようで、ことばがぎくしゃくとしてならなかった。しかし今は、この窮地から脱出しなければならなかった。
 室内には主治医のふかす煙草の煙が、這うように流れてきた。
堂田は苛々しているところを煽られ、
「先生、私も一服させてもらっていいですか」
 と頼んだ。
「ああ、いいよ。君も喫煙家だったね、うっかりしていた」
 そう言って、隠しから煙草の小箱を出し、堂田の前にすすめた。堂田はそれを遮り、自分の隠しから一本出して口に銜えた。主治医がライターの火を患者に向ける。堂田は礼を言って、火を貰う。面会の前に一服してきたが、話が予期しないところに向かっていき、苛々が高じてしまったのだ。おとなしくしていると、ずんずん医師のペースに嵌ってしまう不安も働いていた。医師と患者の立場を超えて、同等に喫煙するというくらいしか、患者の権利を主張できないことが、情けなかった。
「君は日に、どのくらい吸うかね」
「一個くらいですね」
「それじゃ、わしと似たようなもんかな」
 主治医の言葉に、堂田はいくらか満足した。
「甥っ子の母親代わりで、今度は君の母親代わりというところかな」
 と主治医は洩らした。堂田も先程から桃子に子ども扱いされている気がしていたので、医師の言葉には信憑性があった。親身に世話を焼かれているという気は、不思議にしなかった。早く退院しなければと、考えているときだけに、桃子の思いやりを、素直に好意的に受け取れなくなっていた。看護師の一徹さで、自分を病院に繋ぎとめる手先のようにさえ思えてしまった。
「そんなこともないのでしょうが、しっかり育っている甥っ子を見ると、時にそんな気もしてきますね。うっかりしていると、彼女のペースに嵌ってしまって、何もできずに終ってしまうのではないかと、焦りも湧いてきますよ」
 主治医は堂田の表情から、一患者と看護師以上のものを読み取ったらしい。いや、桃子が主治医に長期の入院を口にするあたりから、探ってはいたのだろうか。その核心をつかんだというゆとりのようなものを匂わせてきた。
「それで、式はいつゴロになるかね。君と樋口君との」
 いきなり、主治医は、とぼけたにしても、過激な発言に転じた。
「え、なんですか、それは? 的を外れたご質問と思いますが」
 医師はそれ以上は追及してこなかった。鎌をかけたことが、ありありと分かった。堂田は相手が怯んだ隙を突いて、退院への路線を突き進んだ。
「これまで馬車が唯一の運搬手段だったのですが、その馬を手放すことになりました。それで次の運搬手段として、車を導入しなければと考えているのですが、車を入れるからには、運転免許が必要になる。それで自動車教習所へ通う必要が出て来たのです。病院にいたのでは通えませんからね。最低でも16日はかかると、出ていましたし。病院において貰って、甘い汁ばかり啜ってもいられないのですよ、実際のところ。これからの生活もありますし」
 堂田は主治医に話すうちに、話の分かる医師に思えてきて、一気に将来の身の振り方まで、打ち明けてしまった。
「実は二十年もブランクがありますので、受かるかどうか不安もあるのですが、これから教員採用の試験を受けてみようと思っているのです。その手続きとかもありますので、病院にいては、やっぱり無理なんです」
 腕組みして聞いていた主治医は、
「よろしい」
 と革のスリッパをカタカタ床に鳴らして言った。「今月三十日、もしくは十二月一日、退院という線で、スタッフとも協議してみよう。精密な検査があるので、覚悟して。しっかりやりたまえ。二十年のブランクなんて、たいした年月ではない。人間なんて、一生棒に振っているようなもんだ」
 堂田は急転直下、長いトンネルから抜け出せた気分で、初冬の中庭に出てしまった。そして中庭に何の用事があったのか、首を傾げて、病院内に戻った。
 中庭にいたのはほんの二三十秒に過ぎなかったが、中庭はナースステーションに面しており、窓辺に立っている白衣が目に付き、それが樋口桃子ではなかったかと思えてきた。

 未完

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