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文芸の里コミュの旅立ち 2

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  旅立ち 2


 鶴夫は一時間半ばかり空港ビルを彷徨ってから、日本エアシステムの塔乗券発売口に立った。他でもない、涼しい顔に待ち構える岩見鶴子の前に。
 彼女の上には、小松、広島、高松の掲示がある。そのうちの何処でも構わなかったが、
「あの、四国の高松へ行きたいのですが。一番空いた機で……」
 と、しどろもどろに言った。目的が別なところにあるのだから、滑らかにいかないのももっともである。
「本日はどの便も、空いておりますけれど」
 鶴子は言って、まっすぐ鶴夫を捉えた。気ままな一人旅と見て、彼女の応対にも微かに寛ぎがあった。笑窪が出来、二重瞼の下に瞳が生きて輝いていた。二年前の鶴夫を覚えている気色はまったくない。混雑の中での一瞬の出会いが、記憶に残っている方がおかしいのである。鶴夫にしても、相手の胸にネームプレートがなければ、面影を手繰り寄せることも出来なかったに違いない。
 それは十分承知していながら、一客人としてしか見られていないことに、拍子抜けしていた。そんな思いもあって、機を決めかねている彼に、
「すぐの便もありますけど、次のに致しましょうか。だいぶ間がありますけれど」
 とやや抑え込む口調で鶴子は言った。
「じゃ、次のにして下さい」
 鶴夫はつられてそう応えてしまった。
 いよいよ名前を告げる番だった。鶴子は客の名を控えようと待ち構えている。
「岩見、鶴夫」
 鶴子の手が、塔乗券の上に釘付けになった。頬から耳たぶに向って、速やかに紅潮していくのが見て取れた。彼女は熱く燃える顔を上げられず、下を向いたままだった。
 急襲した彼の方が、助け船を出さなければならなくなった。
「からかうつもりで言っているのではありませんよ。それがぼくの本名です。二年前にも、ここであなたに会っています」
 一呼吸して、鶴子は面を上げ、応対の感覚を呼戻していた。
「からかいだなんて、思っておりませんわ。二年前、このお名前でお求めになったのも知っております」
 話しているうちに、彼女の紅潮は薄らいでいった。二年前の自分が覚えられているという、この僥倖をどう受け取ったらよいのか、鶴夫は戸惑っていた。彼は鶴子の瞳に映っている自分の貧しい姿を見つめていた。
「そのときは、母親が危篤で駆付けたのですが、ここに同じ名前のあなたがいてくれて、大きな救いになりました。それで、そのことについて自分なりに考えていることがあるのですが、話す時間を取っていただけませんか。いきなり、こんなこんなことを言うのは失礼とは思いますが」
「あと四十分ほどしましたら、私の休憩時間になります。それまで、二階の出発ロビー前の喫茶店S&Sでお待ちになって下さいますか」
 思いもかけない方向に展開していくので、鶴夫の方がたじろいでいた。
「分かりました。待っています」
「では、塔乗券は、その後あらためてお申し込みになって下さい」
 鶴子は、にわかにさばさばした物腰になって言い、折から寄ってきた客の応対にかかった。彼は階段の方へ歩みを進めながら、鶴子の視線を感じた。それは一瞬のことで、弾丸列車の窓に白い花影が流れたといった印象だった。
 喫茶室に席を取ると、会うと約束した鶴子の心根を読もうとしていた。
 「珍しい名前の一致」が、彼が考えるように、偶然の一致とは思えなかったのだろうか。いや、そんなはずはない。こう見えても日本は広いし、その中では「岩見鶴夫」と「岩見鶴子」程度の同姓同名にぶつかっても、不思議はない。ただその出会い方の中に、偶然だけでは片付けたくないものが、潜んでいたということなのだ。鶴子の中に潜んでいる偶然として片付けたくないものとは、一体何なのだろうか。
 鶴夫は珈琲を口に運びながら、出発ロビーを埋める人々を眺めていた。アナウンスがある度に、人々は立ち上がって行き、ロビーは歯抜けの状態になるが、どこからともなく人はやって来て、またベンチを埋める。外の滑走路からは、ひっきりなしに爆音を轟かせてジェット機が飛び立っている。
 やがて自分も、その中の一人になろうとしているのだが、実感は湧かなかった。もし鶴子との間が不調に終った場合のことが、頭に重くのしかかってきていた。そのときは、空の旅どころか、自棄っぱちにパチンコを弾くなり、酒場でウイスキー呷るなりしなければ、治まりそうもなかった。
「お待たせしました」
 意外に早く、鶴子はやって来た。小さなバッグを手にして、制服のままだった。彼は良くない結果を巡らしていたときだったので、恐らく暗い顔をしていたのであろう。彼女を迎える言葉が自然には出てこなかった。
「お仕事中を無理に呼び立ててしまいまして」
 披はぎくしゃくとそう言った。
「いいえ、そんなことはありませんわ」
 鶴子は明るく言って、言葉を切った。そこでレモンティーを一口啜ると、
「高松へは、どうしても今日発たなければいけませんの」
 と訊いた。一方的に反古にしてしまった感じの塔乗券のことを気にしていたのである。
「いや、別に。前から一度、のんびり飛行機に乗ってみたいと思っていただけなんですよ」
 彼は照れてそう言った。「肉親が危篤だとか死んだとか、そんなときしか乗っていませんからね」
 鶴子と話をする切っ掛けが欲しかっただけなのだ、とは言えなかった。今の心境からすれば、それが正直な気持だろう。
「確か、御実家は北海道でしたわね」
 鶴子はかう言って頬を赤らめた。行きずりの客にすぎないのに、関はり過ぎていると思ったのである。北海道のはずなのに、今度は四国の高松というのはどういうことなのかと訝る気持もあった。
「二年前まではそうでした。でも今はもう両親が亡くなりましたし、あまり係はりがなくなりました」
「まあ」
 鶴子は、半ば呆然として言った。男を哀れむというよりも、もっと彼女自身の内からの驚きといったものになっていた。
「それはあなたの本当の御両親?」
 何故か鶴子は、信じられないという顔にもなっている。
「そうですよ。でもどうして?」
 鶴夫の方が解せなくなっていた。
「私、本当のことを話してしまいますわね。二年前あなたが現れた後、お電話したんですよ。岩見鶴子と岩見鶴夫なんて、あまりにも不思議な巡り合わせですもの。さっきはあんな風に否定しましたけれど、初めはあなたが悪戯をして、同じ名前で私の前に現れたと思ったんです。というのは、私には父違いの兄があるんです。一度も顔を合わせたことのない兄が…」
 鶴夫は彼女の話が、意外な方向へ転回していくのを、呆気に取られて聞いていた。にわかに霧が晴れて、かつてあったのとは別な風景が現れてくるような、おかしな感覚に捉われていた。
「電話をして、どうでしたか」
 彼はこの二年の間に、女性からたとえ探るような電話にしろ、受けた記憶はない気がしたのである。
「案の定、全く関係のない家でしたわ」
「え?」
 鶴夫は眼を丸くして、相手に飛びかからんばかりに攻撃的になっていた。人をペテンにかけるのもいい加減にして貰いたい。そう言ってやりたいところだった。
「ぼくは、ちゃんと自分の番号を言ったはずですよ、塔乗券を求めたとき。あなたの言うその人は、まったく別な岩見鶴夫なんだ」
 その証拠に、この岩見鶴夫の顔を少しも記憶に留めていなかったではないか。いつか兄が現れると待構えていたのであれば、二年前に出会った顔くらい覚えていていいはずだ。しかしこれは自信がなかった。
「でも私、間違いなくあなたの番号を回したんですよ」
 鶴子は内ポケットから手帳を出し、随分過去の方に押しやられている番号を指し示した。しなやかな白い指が、持ち上っている問題を撥ね除けて、彼に女性を感じさせた。
 3887755 岩見鶴夫 とメモしてあった。
「確かにそれはぼくの番号だ。でも下から三番日の七のところが違う。そこが八だから。きつと慌てていて、ぼくが間違えて言ったんだよ」
 鶴子は長い間あたためてきたものを、断念するときがきたとでもいうように、大きく溜息を吐いてソファに背をつけた。
「まったく違う家だったからこそ、兄がどこかで私の居所を調べて、同じ名前で現れたと思ったのよ。それなら、いつかまたきっと、現れると待っていたの」
「折角の君の期待を裏切ってしまったわけだね。そうと分かつていれば、現れはしなかったのに。その結果として、ぽくの期待もふいになってしまった。さっき話をする機会を与えられて、もしかしたらこれから逢って貰えるかもしれないと、高望みをしたところだったのに」
 鶴夫は半ば破れかぶれに言った。捻くれた交際の申込み方になっている気もしたが、構ってはいられなかった。敗者復活戦に挑むといった心境だったかもしれない。
 鶴子は打って変わった真面目さで、彼を見据えるようにして、
「あなたは、どうして私に?」
 と訊いた。
 彼は母親が危篤で駆け付けるときから、死に目にも会えなかった経緯を話した。
「…夫と子が違うだけの、同姓同名に近い君と、ここ羽田で会わせてくれたのは、重体の母親が持ち直して、健康になるという徴というか、励ましというか、そのように思えたんですね。それが死なれてみると、はたしてあの岩見鶴子という人は何だったのかと、間わずにはいられなかったんですよ。そのうち、おふくろの死を見越して、その寂しさ、悲しさを埋めてやろうとする、いや、おふくろの身代わりのように、君があそこにいてくれたように思えてきたんですね。でも時が経つうちに、それは馬鹿げた一人よがりの妄想であって、単なる偶然に過ぎないんだと、自分に言い聞かせたんですよ。珍しい名とはいえ、同姓同名はよくあることだし、たまたま不幸の中にいたもので、溺れた者は藁をも掴む式に、そんなふうに大いなるものから哀れみをかけられたように思ってしまったんですね。何しろ、ぼくなんかからすると、君は高嶺の花だったから」
「それで二年間も現れなかったわけね。言っておきますけど、私、スチワーデスじゃなくってよ。あまり買い被った言い方はしないで」
 鶴子は何故か怒ったように言って「私、今が食事の時なの。あなたは?」
 と彼の返事を待たずに食券を求めに立って行った。
 サンドイッチがくると、
「二人分なの、召し上がって」
 鶴子はサンドイッチの器を彼の方え滑らせてきた。器の縁をつまんだ指はやはり美しかった。指の先端にまで神経が通っているようだった。男の目がそこにあるのを知っていて、科を作っているようにも見えた。
 鶴子は口のサンドイッチを水で胃に流し込むと、長くとどめてきた胸のうちを語りはじめた。親しい者に告白する語リ口にもなっていた。
 鶴子にならって、彼もサンドイッチを頬張った。空港ビルで女性と向い会うのは初めてだった。まして女性と食事をするなど、考えも及ばないことだった。これまで羽田は、追い立てられて慌ただしく通過するだけだった。暗い影を帯びた過去の事々が思い出された。
「私ず―っと兄に、済まない済まないっていう気持で、生きてきたのよね。自分に兄がいると分かったのは、高校二年生のときだった。母がそれはそれは深刻な顔をして、これまでひた隠しにしてきたことを私に洩らしたの。母は再婚だったのよね。先の夫が母と結ばれて二年もしないのに他界して、そのとき子供を宿していたの。その子を祖母の養子にして、今の私の父と一緒になったのよ。
 私が生れてから、祖母はたまに訪ねて来たんだけど、母の方から実家へ行くことはなかった。兄は、母親を全く知らずに育っていったのよ。祖父母の家には母の兄夫婦が一緒に住んでいたんだけれど、きっと寂しい思いをしていたんだと思うわ。
 その兄が高校を出て少しすると、家を出て行方が分からなくなってしまったのよ。ぐれて、祖父母や兄夫婦の手には負えなくなっていたらしいんだけれど。母は兄が真実を嗅ぎ当てて、私の前にも現れるかもしれないので、打明けてしまったらしいのね。私には今大学生の弟もいるんだけれど、何だか私、その父親違いの兄だけが、ひとりで苦しんできたようで、心に責めを感じるのね」
「高校二年生から、君はその兄さんをずっと待ちつづけていたわけだ。特に今の勤めになってからは、いつ現れても不思議はなかったんだね。そこへのこのこ「子」と「夫」を入れ替えただけの男がやって来たんだから、君がそう思い込むのも無理ないよ。でも兄さんは、今の君の家族のことを知っていたんだろうか。そう思える節はあったの?」
「調べようと思えば、不可能ではないわ。あるときおばあちゃんの後をつけたかもしれないし。ひところ変な電話が続いたのよ。あるときからぷっつりこなくなったけれど」
 鶴子の実家は神戸だった。祖父母の家は金沢で、距離は相当あった。名前は大国健太といった。その兄が、まるで違った名前の岩見鶴夫を名乗ってきたと思ったところが、彼女らしくもあった。
 鶴子は時計を気にしはじめていた。休憩時間が残り少なくなっていた。
「兄さんでなくて、不本意だろうけど、これから会ってくれる?」
 彼は時間に追いたてられ、緊迫感の頂点から言った。
「そうね、二年前から兄かもしれないと思いながら、実際はあなたの現れるのを待っていたわけですものね。次の次の金曜日、暇?」
 鶴子は膝を抱え込む具合に手を組んで、やや背をこごめた姿勢から上目遣いに訊いた。
「いいよ、やりくりして休むから」
 と鶴夫は言った。アルバイターとしてハンバーグ店に働き、たまに大学の研究室に出ているとは既に話してあった。
「じゃ、一時に有楽町駅のホームでね」
 二人はそこで別れた。鶴夫の高松行きは、なんとなく流れてしまった。今なら上昇の気分に乗って、楽々と飛翔できそうだったが、飛行機に乗る前に早くも翔んでいると言えた。
 
                 つづきます

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