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文芸の里コミュの☆山手線で回っていた頃

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                 Amazing Grace | www.ArtsPianoMusic.com




そのころ私は、京浜線から山手線に乗り換えて通勤していた。
どちらの線も、超満員のすし詰め状態だった。
前の席が空くと、次の駅で降りなければならないときでも、
きまって腰をおろした。
(それから)静かに瞼を閉じると、心が鎮まってきて、せっかく獲得した席を
失うのが惜しい気がしてくる・・・そうなるともう、電車を降りるのが
とてつもなく億劫になり、席を立って会社に出かけるのが罪悪であるかのような
強迫観念にとらわれはじめた。

その観念に囚われると、会社に出るのがそれほど大切なことかと、
自問自答を繰り返しはじめ、翌日になれば上司に「君は昨日、
顧客のBさんに一番に電話しなければならなかったんじゃないのかね」などと、
あきれ顔で詰問されるのはわかりきっている。
それでも、電車を降りられなかったのは明々白々たる事実だった。
上司の苦言は、こうした苦渋に満ちた現実を隠蔽するものだ。しかし、
それを言ったところで、何もはじまらないことも重々承知していた。

よくそんな繰り言をしながら、電車に揺られていった。
具体的な行き場所がないからではない。行く場所はあっても身と心を
置く場所がなかったからだ。電車が一巡りしても、降りなかった。
二巡りしても、そうだった。そんな悪習慣が身について、会社での存在価値が
プラスからマイナスへと傾き始めた。(マイナスに転ずれば先は見えている。)
私自身の本当の行き先は杳として見えてこなかった。

(そうして)山手線を回っていると、ふと上野動物公園の動物たちに思いが飛んだ。
動物園は車内の北側の上野公園内にある。動物は狭い檻の中を回り、
彼らを見下ろすようにして、外側を回っていることに気がついた。
実際、動物が見えはしなくても、彼らを見下ろし、観察する位置にいたのだから、
内と外と、状況からすれば(彼らに)優越していただろう。
だが、とてもそんな気持ちのゆとりはなかった。
電車が彼らと最も近い距離に来ると、彼らの咆哮が幻聴となって届きだした。

ある日その声に誘われて、動物園を訪れ、檻の前に立っていた。
檻の中を回っているのは、小さな動物より大きな動物のほうが多かった。
たとえば、ダチョウ、ツル、エミューなどの鳥たちに対してトラ、ヒョウ、クマ、
(ライオン)などの動物(猛獣)たちが他を圧しているようだった。
限りなく回ることで、彼らの内なるものを宥めているようにも見えた。

虎の檻に来て、(私は)瞠目した。
虎は檻の外の一点に睨みを据えて回り、その近くに来ると、対象を睨みつけながら、
前足に体重をのせ、後半身は情けなさげに左へぶれて反転した。
それから気を入れなおしたように、逆回転をし始めた。
何らかの平衡を保つとでもいうように、回る動きの中に逆回転を
取り入れているようだった。

結局、虎が睨みつけていたものが何であったのかは判らない。
虎の視線の先に、肉片があるのでも、石ころが転がっているのでもない。
彼の心の裡は読めなかったが、動きは明晰だった。
檻の外れに来ると、きまって逆回転をはじめたからだ。

(私は)一時間ほど虎の檻の前にいて、動物園を出た。
駅に着くと、虎にならって山手線を逆方向に回りはじめた。
幻聴では彼らの咆哮を耳にしたが、園内にいる間、吼える動物はいなかった。
彼らは、何に向かって吼えるのだろう。 
<そして、いつ吠えるのだろう。>
夜明け・・・(ダッシュ記号でも)理由もなく、勝手にそう考えた。
虎は東雲の空に向かって吼えるのだ。

いつしか(私は)本当に虎になって、山手線をぐるぐる回っていた。
最終電車となって、電車が一日の活動を停止したとき、目が覚めた。
目は覚めても酔いは覚めず、始発の電車を待って、どこかで時間を過ごしたのに違いなかった。
白々明けの一番電車に乗り、目を瞑って頭がしっかり覚醒するのを待った。
上野を過ぎて、京浜線に乗換え、もよりのホームに降り立ったとき、異様などよめきを耳にした。
どよめきというより、人々の唸り、もしくは吼え声と言ったほうが相応しい。
木の葉越しに見る線路沿いの公園には、人が寄り集まって拡声器で諸声を響かせていた。
(そこでは、)カトリック、プロテスタントの分別なく、各宗各派合同の早朝祈祷会が持たれていた。
このとき、彼らの祈りの中に、幻聴となって奥深くにしまわれていた、あの虎の咆哮を耳にしたように思った。
まさしく虎は、東雲の空に向かって吼えていた。
しかも幻聴ではなく、どよめくばかりの肉声で・・・

おお、主よ、我らを憐れんで下さい。主イエス・キリストを信じる民を起こしてください。主よ、主よ、時は狭まっております、とくおいでください。マラナタ……

間もなく私はその早朝祈祷会に加わるようになった。
もう山手線をぐるぐる回ることはなくなった。

                            了

コメント(1)


「山手線で回っていた頃」は日記に載せた拙作を奇特な方が、間違いを正し、冗長を廃し、すっきりした文章に改めてくださいましたので、ここに再録しました。ときどき自分の旧作と読み比べて、文章道に習熟しやすくするためです。また折を見て手直しいただければと、虫のいいことを考えています。感謝しつつ。

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