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旧約聖書と福音コミュの「ハバクク書と福音」

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チャペル
1.信仰義認と福音
信仰義認とは、自らの律法の行いによっては良心の平安を得られずに苦しんだあの宗教改革者マルチン・ルターが新約聖書の中に福音を再発見したときの中心的主題であると、しばしば誤解されているように思われる。しかし、創世記において明記されていることは、アブラムは「主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。」(創世記15:6、ロマ書4:3)という明白な信仰義認の教えである。
それは、「聖書は、神が異邦人をその信仰によって義と認めてくださることを、前から知っていたので、アブラハムに対し、「あなたによってすべての国民が祝福される。」と前もって福音を告げたのです。」(ガラテヤ書3:8)と記されている通りである。
ハバクク書の中心主題は正にこの信仰義認と言う福音に他ならない。

2.ハバクク書における信仰義認の意味
ハバクク書2章4節の日本語訳は次の通りである。
?口語訳「義人はその信仰によって生きる。」
?新改訳「正しい人はその信仰によって生きる。」
?新共同訳「神に従う人は信仰によって生きる。」

上記のいずれの訳でも充分理解可能であるが、ヘブル語の原文とギリシャ語訳を総合的に勘案すれば次のような翻訳も可能であり、その真意がより明らかにされるように思われる。
?私訳「正しい人は彼(=神)の真実(への信頼)によって生きる。」
?試訳「信仰により義と認められた人は、神の真実に信頼して生きる。」

ヘブル語の原文では「彼(=義人)の信仰によって」となっているところが、セプチュアギンタ(70人訳ギリシャ語)では「私(=神)への信仰によって」あるいは、「私(=神)の真実によって」と翻訳されている。
ここで、「信仰によって」が「義人」(名詞)を修飾しているとみるか、あるいは、「生きる」(動詞)を修飾しているとみるか、文法的には両方とも可能である。前者の場合は「信仰による義人は、生きる」となり、後者の場合は「義人は、信仰によって生きる」となる。「信仰によって」というヘブル語の語尾を重視すれば、「彼(=義人)の信仰によって」となり、セプチュアギンタの「信仰によって」という句についている「私の」という属格の人称代名詞を重視すれば「私(=神)への信仰によって」ないしは「私(=神)の真実によって」となる。パウロは、ハバクク書をロマ書とガラテヤ書に引用したとき、ヘブル語原典を意識していたためか、セプチュアギンタの「私の」という修飾語を省略している。一方、ヘブル書の著者は、「私の」という修飾語を「義人」にかけて、「私の義人は信仰によって生きる」と読み取れるような引用の仕方をしている。

結論的に言えば、「信仰」とは、たとえ人が不真実なときも、「神とその言」に対して「アーメン」(=真実である)と告白することではないだろうか?
天秤座

コメント(4)

ハバクク書のマソラ本文は、関根正雄氏によれば、「こわれている」ということですので、LXXの「ek pisteos mou」は、現在のマソラ本文とは違う伝承本文があったのかもしれませんね。

כִּי עֹוד חָזֹון לַמֹּועֵד וְיָפֵחַ לַקֵּץ וְלֹא יְכַזֵּב אִם־יִתְמַהְמָהּ חַכֵּה־לֹו כִּי־בֹא יָבֹא לֹא יְאַחֵר׃
הִנֵּה עֻפְּלָה לֹא־יָשְׁרָה נַפְשֹׁו בֹּו וְצַדִּיק בֶּאֱמוּנָתֹו יִחְיֶה׃

ki 6od xazon la mo6ed weyafeax laq qets we lo2 yekhazzev 2im-yitmahmaH xakkeh-lo ki-vo2 yavo2 lo2 ye2axer

hinneh 6uppelah lo2-yashrah nafsho bo we tsddiq be 2emunato yixyeh

3 διότι ἔτι ὅρασις εἰς καιρὸν καὶ ἀνατελεῖ εἰς πέρας καὶ οὐκ εἰς κενόν ἐὰν ὑστερήσῃ ὑπόμεινον αὐτόν ὅτι ἐρχόμενος ἥξει καὶ οὐ μὴ χρονίσῃ

4 ἐὰν ὑποστείληται οὐκ εὐδοκεῖ ἡ ψυχή μου ἐν αὐτῷ ὁ δὲ δίκαιος ἐκ πίστεώς μου ζήσεται

3 dioti eti horasis eis kairon kai anatelei eis peras kai ouk eis kenon ean husterEsEi
hupomeinon auton hoti erkhomenos hExei kai ou mE khronisEi

4 ean huposteilEtai ouk eudokei hE psukhE mou en autOi ho de dikaios ek pisteOs mou zEsetai

2:3
この默示(もくし)はなほ定(さだ)まれる時(とき)を俟(まち)てその終(をはり)を急(いそ)ぐなり 僞(いつはり)ならず 若(も)し遲(おそ)くあらば待(まつ)べし 必(かなら)ず臨(のぞ)むべし 濡滯(とどこほ)りはせじ
2:4
視(み)よ彼(かれ)の心(こころ)は高(たか)ぶりその中(うち)にありて直(なほ)からず 然(され)ど義(ただし)き者(もの)はその信仰(しんかう)によりて活(いく)べし

ヘブライ10:38については、写本によって、
ho dikaios mou
ek pisteos
ek pisteos mou
の三種類があるようですね。


エゼキエル18:9も、似たようなテーマの聖句だと思います。
<口語訳>
わたしの定めに歩み、わたしのおきてを忠実に守るならば、彼は正しい人である。彼は必ず生きることができると、主なる神は言われる。

בְּחֻקֹּותַי יְהַלֵּךְ וּמִשְׁפָּטַי
שָׁמַר לַעֲשֹׂות אֱמֶת
צַדִּיק הוּא חָיֹה יִחְיֶה
נְאֻם אֲדֹנָי יְהוִה׃

be xuqqotay yehallekh u mishpaTay
shamar la6aSot 2emet
tsaddiq hu2 xayoh yixyeh
ne2um 2adonay YHWH

καὶ τοῖς προστάγμασίν μου πεπόρευται καὶ τὰ δικαιώματά μου
πεφύλακται τοῦ ποιῆσαι αὐτά
δίκαιος οὗτός ἐστιν
ζωῇ ζήσεται λέγει κύριος

kai tois prostagmasin mou peporeutai kai ta dikaiOmata mou
pefulaktai tou poiEsai auta
dikaios houtos estin
zOEi zEsetai legei kurios

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