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U研究会コミュの(5)チベット紀行・天空列車でラサに行く

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チベット紀行・マンダラと心の宇宙 歌川令三


前口上、日本人で初めてチベットを訪れたのは、河口慧海という偉い坊さんだ。20世紀の初頭、仏教の原典を求めたいという求道者の一心から、"チベット人"になりすまして鎖国中のラサに単身潜入した。密教の奥義を究めるべく、ダライラマの所属するゲルク派の僧院、セラ(色拉)寺に入学する。骨接ぎの医師として重宝がられたこともあって、僧として頭角を現し法王とも会見した。ところが14ヶ月の滞在で身分がばれそうになる。捕まって死刑に処せられる危険がせまる。間一髪、彼は貴重な経典と共にヒマラヤ越えで、インドに脱出した。
なぜ、セラ寺に転がり込んだのか?帰国後記した「西蔵紀行」には、この寺を潜入先に選んだいきさつが書かれている。
師は、二年も山歩きをしてやっとラサにたどり着く。インドで知り合った高貴な人の家でかくまってもらおうとポタラ宮近くの豪邸を訪ねたが、不在だった。"気が触れて家出した"と家人に聞かされた。
そこで、「精神錯乱している人に会っても、頼みになるわけではないから、これは一つセラ大寺に直接に出かけていって、仮入学を許してもらい、折りを見て試験を受けて大学に入るのが、一番身にとって、都合が良いと思いました」と。 河口慧海・「チベット旅行記(3)」講談社学術文庫から
1904年、明治の大先達が敢行した快挙である。それから百余年、われわれ"密教学習グループ"は、ガイドに引率され、セラ寺を訪ねた。慧海師が集めた経典のエッセンス、"密教の心の宇宙"をほんのわずかでも実感できたら、という思いにかられたのだ。

タイトル・マンダラと心の宇宙

「昔、裕福な家は息子をセラ寺に入れ、坊さんにしました」

セラ寺は、ラサの旧市内の目玉、"町のお寺"ジョカン寺(一月号参照)から、8キロほどの北にある山の僧院だ。「すぐに荷物持ちを雇い、北方に向かってセラという大寺に出かけて参りました。山のほとりの段々昇りのところへ、上へ上へと立てられているので、一村落のように見えるのであります」慧海師はそう書いている。
われわれはバスで出かけた。ジョカン寺を取り囲む賑やかな巡礼路から人民医院救急センター横を通り色拉(セラ)路に出る。七階建ての近代ビルで、高山病になった外国人や漢人旅行者が、しばしば担ぎ込まれる病院とのことだ。
ガイドの李女史が、面白いことを言った。「チベットの人、高山病にはならないが、寿命は短い。心臓病と白内障が多い。ラサの役人の定年は女40歳、男45歳、中国では、女50歳、男60歳です。酸素が足りない。だから漢人が長くここに住むと頭の回転が遅くなる。すぐ物忘れする。私、重慶出身、漢人には健康に悪い土地だから、給料は中国内陸部の1・5倍、僻地手当がつく。
ラサのチベット人、中国の市街地開発のおかげで、商売でもうけた人、大勢います。昔は、裕福な家は、男の兄弟の一人を、セラ寺の僧院に入れ、坊さんにしたけど、今は違う。中国の大学に留学させる。セカンド・ハウス用に四川省の成都あたりに1DKのマンションの部屋買う人、結構います。」と。
色拉(セラ)路を北進する。突き当たりのT字路脇に拉薩ビールの工場があった。味の希薄な地ビールだが、乾燥したこの土地には合っている。一本、スーパーで30円で売っている。四キロほど行くと、セラ・ウツエ山にさしかかる。ここの傾斜地に石垣に囲まれた僧院の大団地、"セラ・ゴンパ"セラ寺があった。
チベットでは、寺(中国語)をその機能に応じて二つの言葉で使い分けている。仏を祀り、参詣を主とする寺をラカン、坊さんの学習のための僧院をゴンパという。セラ寺は、巨大なゴンパで15世紀に建立された仏教大学だ。慧海師の「チベット紀行」には当時、六千八百人の学僧が住み込み、坊さんになる修行をしていた、とある。

「チー、チー、タワ、チョエ、チャン」

今ここで修行している学僧は、500人、最盛期の十分の一以下だ。「親が子どもを坊さんにしたがらないから」というガイドの李女史の説もある。でもそれは結果であって、主因は北京の宗教政策にある。
インドにあるダライラマの亡命政権によると、中国は1951年のチベット侵攻から、76年の文革終了までの期間、六千の寺院を破壊したという。その後、チベット人には五体投地、バターランプを捧げること、寺を巡礼することなど儀礼的な宗教実践は許可した。しかし寺と僧の数は厳重に制限している。
寺の復旧は政府の許可制である。また一つの寺当りの僧の数は、最盛期の10%以下に規制、18歳以下の男女は僧院のコミュニテイに参加することを禁止している。「寺は観光資源であり、旅行客の見せ物としての宗教儀式を行わせるための最低必要限の僧侶を置く、という北京政府の策略」とダライラマ法王事務所は批判している。
ラサの寺は、文革時代、紅衛兵に徹底的に破壊された。セラ寺は比較的被害が少なく原型を保ったまま保存されている。城壁のある山に立地し、壮士という名の僧兵が建物や仏像、経典を守ったからだという。大集会堂、三つの学堂(大教室)、三十棟の宿坊がある。
収容能力に比べ、学僧の数が少ないので、構内はゆったりしている。平日の午後二時になると、学堂の東側の庭で、問答の修行がおこなわれ、そのかけ声で、静寂が破られる。
二人一組の討論者が対峙している。様式化されたジェスチャーで提出されたテーマをお互いに論じ合う。質問者は立ち、回答者は座る。数珠を左手に持った質問者が、大きく手を挙げ、地面を踏み締め「チー、チー、タワ、チョエ、チャン」と、かけ声をかける。問答の始まりだ。
このかけ声は「文殊の知恵を持って、宇宙の真理やいかに。いざ追究せん」という意味とのことだ。"因明"という大乗仏教独自の弁証法のルールで行われる、討論法の実習だ。問答見物は民衆の娯楽でもある。「田舎からやってきた人や遊牧民たちまでが、この討論会を一日中、見守る光景は、少しも珍しいことではなかった」とダライラマ14世は回顧している。(ダライ・ラマ自伝から)。
この日も数十組の学僧が、丁々発止とやり合っていた。それを観光客が取り囲んでいる。だが、よほど仏教に詳しいチベットの知識人でも同伴しない限り、命題も討論経過もわからない。見て、そして音声を聞くだけだ。=写真参照=
仏教哲学問答であることはわかっているが、例えばどんなテーマなのか?河口慧海師の旅行記に、例示として、「仏は人なりや?」の命題が紹介されていた。
この問答は普通の論理学では解けない。長い話を短くすると以下の通りだ。「然り」と答えたとする。すると間髪を入れず「では仏は、生死を免れないのか」とたたみ込まれる。「いや、仏は生死を免れる」と応ずると、「では人は死なないのか。論拠不成立」とやりこめられてしまう。
「仏は人でない」と回答しても同様だ。「なぜか」と質問者。「仏は生死を免れたり」と答えると、「仏陀は人なり、人は生死を免れず。論拠不成立」と決めつけられてしまう。では何と答えればいいのか。「仏陀は人でもあり、かつ、人でもない。生死を超越した宇宙の絶対的真理そのものである」こういう論法が正解なのだという。
答えは「Aでもあり、Bでもある。」また「Aでもないし、Bでもない。」という独特の弁証法で導き出される。これが形式論理学の"排中律"にとらわれない仏教の"因明の超論理学"なのだ。チベットの高僧はこのような世俗の常識を超越した討論に熟達していなければならなかった。だから、昔は、修行を二十年も続けて、やっと一人前の僧侶になれたのだという。

砂絵マンダラで「あの世」を観想する

セラ寺の仏教大学には、顕教が二つ、密教の学堂が一つある。密教とは「深遠で凡夫にはうかがい得ない秘密の教え、インドで大乗仏教発展の極に現れた」顕教とは「言語や文字で示された釈尊の教え。密教以外のすべてを含む」と広辞苑には定義されている。
唐とネパールから、それぞれ初代吐蕃国王に嫁いできた二人の妃によって、チベットが「顕教」の仏教国になった。そのことは、この読み物の(4)「ジョカン寺と仏教縁起」で取り上げた。それから100年後、こんどはインドのガンジス川の聖地バラナシから、"仏教の最終走者"「密教」がやってきた。
「そうです。デイソン・テツエン国王は、密教の不思議さに惹かれました。インド密教の僧、カマラシーラと唐の禅仏教の僧、大乗和尚を招き、天国と霊界について問答させました。勝ったのは、インドの僧でした。禅のように瞑想だけではなく、密教には瞑想のほかにマンダラや呪術など人の心を惹きつけるものがあったから、、、、。中国の禅のお坊さんは、追放されました」
我らの北京派ガイド女史が教えてくれた秘話だ。この故事ゆえにチベット人は、「仏教はインドからやってきた。そしてインドで仏教が滅びた今、チベットこそが最新の仏教、すなわち密教の正統な後継者」と自認していると彼女。「チベットに最初に仏教を伝えたのは中国である」を強調したい北京派には余り愉快な話ではないのかも知れない。
密教の象徴はマンダラだ。マンダラとは一言でいえば密教の宇宙図。サンスクリット語で"本質"という意味をもつ。マンダラの中心には一番偉い仏様がいる。でも、それは釈迦ではなく、十万億土の西方に在します「大日如来」だ。=写真
この仏は釈迦入滅後、500年以上後に生まれた大乗仏教徒の想像上の仏だ。実在の"お釈迦様はさぞ、びっくり"だろう。この仏を中心に、諸仏、・菩薩、神々が並ぶ。人が成仏すればこの世界を永遠の住処に出来る。成仏に失敗すれば、輪廻転生、また苦の世界に逆戻りする。仏画のマンダラは、これを拝んで自己の成仏の助けにするためのイメージ器具だ。
セラ寺の密教学堂に入る。学僧たちが、制作中の極彩色の立体マンダラがあった。まず布の上に墨で、如来、諸仏を配置した下絵を描く。そこにバターを塗り立体感を演出する。細い管から色砂を落としながら、全体像を書いていく。一週間かけて完成させる。
マンダラの制作は学僧の修行として行われる。なぜなら、マンダラは悟りの世界の象徴にとどまらず、「臨終の際、実際に出現する」とこの寺の学堂では教えている。「あの世」を観想し、成仏しやすくするトレーニングだという。

密教=大乗仏教+呪術・儀礼+ヨーガ

この夜、ホテルの拉薩飯店で、密教とマンダラ談義に話が弾む。我が多摩大大学院比較文化論のチーム、なかなかの論客揃いだ。参考書はホテルの売店で見つけた「曼荼羅・密教の宇宙」「図解;死の書」だ。中国語だが、絵と写真と図を中心に編纂された本なので、大筋は何とか理解できる。
まず密教とはなんぞや?を復習う。「密教=大乗仏教+呪術・儀礼+ヨーガ、だよ。釈迦が入滅してから千年。仏教のパトロンだった王朝が滅び、大衆が離反、ヒンドウ教に信者をとられた。"現世は存在しない。存在しているように見えるだけだ"なんて教えても、大衆には難しい。そこで理屈だけではなく、仏の宇宙を体感してもらおうとヨーガの手法を導入した。生命エネルギーを活性化する霊と肉体の関係を再構築した教義だよ。」と私。
「そう。大日如来は後世の信者が造った宇宙人です。釈迦という人間語をしゃべる菩薩がいないので、仏の世界の習得は大変だ。やはり体で覚える必要がある。マンダラは文字では伝えられない神秘的な内容を、視覚を用いて瞬時に理解させるための装置では、、、」
「般若心経と企業経営」という野心的テーマで修士号をとった、人材開発コンサルタント、中村公亮君の見解だ。
ゲーム理論の先生でニューサイエンスの研究家でもある岡崎志朗客員教授が続く。「マンダラの世界とはいわゆる"あの世"のことでしょう。密教に限らず大乗仏教の哲学では、この宇宙は二重構造になっており、物質的な宇宙(この世)の背後に、目に見えない宇宙(あの世)が存在する。この表裏一体説は、宗教の独断場だったが、素粒子を扱う最新のの物理学から、似たような考えが出てきた。数学的には"あの世"は理論的にあり得る。        "平方根「−1」"イコール「i」、すなわち虚数の宇宙です」と。
 「ほほう。マンダラは、虚数ですか?人間が昇天したら、魂は虚数の世界にいく。実数の世界にあるお墓には、私はいないのですね」コンピューター・ソフトの専門家で霊感の持ち主と定評のある新倉茂彦君の感想だ。
ここで、一同、期せずしてあの歌を頭に浮かべる。高山病を気にしつつ飲みつづけた拉薩ビールが効いてきたのだろう。「私のお墓の前で泣かないでください。私はそこにはいません。あの大きな空、、、」。秋川雅史のヒットソング、「千の風になって」だ。
 セラ寺の山の上には、葬儀場があった。チベット密教の死生観には墓という"物質的概念"はない。魂は天にのぼる「風葬」だ。その話は次回で。

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