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安彦良和コミュの虹色のトロツキー

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歴史漫画「虹色のトロツキー」に関するトピック。感想などどうぞ。

最終巻8巻、安彦先生のあとがきを載せておきます。

物語の終わりに ---安彦良和

 尖閣諸島や竹島をめぐって領土問題が云々されている。北方四島に関する論議も長年に及んでいて、いずれの場合にもくり返されるのは「固有の領土」という決まり文句だ。この『固有』という言葉がどういう定義ぐ用いられているかは一向に判然としないが、ごく常識的に考えるなら、尖閣も竹島も北方四島も、決して我が国の固有の領土などではない。それどころか、沖縄も以前は明瞭に他国であったし、北海道や東北の一部ですら、固有の領土であったとは言い難い。同じような意味で旧満州は中国固有の領土ではなかった。目下問題となっている台湾も、中国の一部となったのは十七世紀も後半に至ってようやくというのが事実で、両者が一体でなければならないという歴史的根拠は何もない。
 およそ領土や利権にかかわる主張などというのは、どれも似たようなものだ。時の政治が都合第一で発言しているのであって、理由づけはとってつけたものだ。それなのにこれを素直に聞かない者や抗弁する者は非国民になる。尖閣も竹島も北方領土もいらないとは共産党でさえ言わないし、満州や台湾が他所の土地だなどと言えば、人民中国では社会的に生存が許されなくなる。嘘が見え見えでも、この種のスローガンには熱く賛同しなければならないのである。
 日本の大陸「進出」は事実「侵略」であった。しかし、時の政治の立論がいかに説得力を帯びていたか。時の世論がいかに熱かったか。それは今日の尖閣や竹島の比ではあるまい。当時の政治状況や人々の社会観や自己意識の性質を思うなら、その行為の無自覚さを責めるに足る了見を、明らかに今日の我々は持ち合わせてはいない。
旧満州の記録をいつからとなく手にとるようになってから刻々と強まりだしたのは、そのような思いだった。それが「満州を描きたい」というやや無謀な意欲に変質した。きっかけは今にして思えば、やはり昭和という時代の区切りであったかもしれない。
 いわゆる「満州もの」は、物語世界にもすでに数多くある。しかし、極論すればそれらは傾向として二色に大別できそうである。悲劇と不正義を告発する主として被害者的視点からの一群と活劇が主体のお楽しみ系列とである。「馬賊もの」と称される類も大方は後者で、これらと前者との関係はほとんど背中合わせといってもいいほどにお互いが没交渉である。僕はそのどちらでもないものを描きたかった。等身大の主人公に視点を置きながらも、政治的満州を同時に見渡したかった。建国大学という舞台とは、そういう意図の手探り作業の中で巡り合った。
 今日お馴染みなのは猶予期間(モラトリアム)としての大学の姿で、自治の砦と称し、勇み立っていたかつての大学もやはり実社会からは一歩身を引いていた。植民地満州での国策大学建大は、当然ながらその対極にある。青年の理想は、そこでキナ臭い現実と同居ナる。その現実もまた帝国日本の脆い理想が現実とわたり合ったなれの果てなのだから、青年たちは二重に苦しまなければならない。そういう緊張世界に若者がすすんで身を投じた時代の香りが資料には色濃くしみていた。OBの方から御厚意でいただいた年表や日誌に触れながら、幾度かタイトルを離れて建大の青春始末記にお話を変えようかとさえ思ったが、他にも心ひかれることは多く、さすかにそれはできなかった。
 主人公ウムボルトの生の軌跡を辿る限り、それはノモンハンで尽きざるを得なかった。これもくり返し迷った点だった。満州国の終焉はやはり描かなければならないのではと思えた。それ以上に、なぜかあまり語られることのない満州における国共内戦=中国革命の決定的な緒戦にも描く興味をそそられた。しかし、それでは物語はあまりにも長大になる。そして何よりも、もう一度言うが、それはウムボルトという一個人が通して生きるには、いささか過大な歴史ではないかと考え、筆を止めることにした。何かしら、現実の歴史に屈した感もある。逃げたのではないかという思いも禁じ得ない。その過大なすさまじい歴史を否も応もなく生きてくぐり抜けてきた人たちが現に多くおられることを思うと、自分は少々弱気だったかとも思う。早い話、果たして終戦時の残酷な混乱が自分に描けたか、内戦時の、より一層の過酷さを表現できたかといえば、正直な所、自信がない。やわな作り話では付き合いきることのできない実話というものはあるものだが、満州はあの幻の国家の十五年を含む一定の間、そのような実話の集積場となっていたのではないかと思う。

以下、略。

コメント(3)

5巻のあとがき

【あるブリヤートモンゴル人の遍歴】 藤原作弥-作家

 昭和七年建国の満州帝国は日・漢・満・朝・蒙の五族から成る五族協和を標榜したが、うちモンゴル系民族はいわゆる内蒙古(現在の中国内蒙古自治区)地方が主たる居住地域、そこで満州国政府は同地域を興安総省として一括統治する形で蒙占行政を行っていた。
−前略−
 またモンゴル民族の大部分はモンゴル人民共和国に住んでいたが、共産主義を嫌い、かつ中国漢民族の支配に反撥したモンゴル人部族も多かった。たとえば終戦時、興安軍官学校の校長をつとめていたウルジン将軍はブリヤート族モンゴル人だが、きわめつきの反共反漢の汎モンゴル主義者として知られていた。
−中略−
 父・藤原勉は比較言語民俗学者で、ウラルアルタイ語(日本語・朝鮮語・蒙古語など)の民族の風俗習慣などの比較研究をしていたが、昭和十八年、王爺廟(興安街=鳥蘭浩特)の興安軍官学校の教職を得た。父は軍官学校で日本語を教えながら、モンゴル民俗の調査研究に明け暮れていたのだった。
 当時の私はまだ小学生だったが、父の奉職していた軍官学校のことはよく覚えている。父は日本語を教えていたが、柔道四段で、軍官学校の生徒に課外活動として柔道を教えた。モンゴル人の少年はみなモンゴル相撲が得意で、したがってモンゴル相撲と日本相撲の親戚のような柔道も好んだようだ。
 私は父に連れられてよく軍官学校の武道館を訪ねたものだ。軍官学校は、王爺廟(興安街)の北方のなだらかな丘の麓に校舎があった。父や私と往き交うと生徒たちが立ち止まって敬礼をする。父も敬礼を返す。
 生徒隊は行進をしながら軍歌を斉唱していた。行進曲の一つに「成吉思汗讃歌」がある。「アルブントルブン・ホリヤントットガヤー……」と歌詞はモンゴル語だが、「十万の兵を率きつれてアジア諸国を制覇する……」という意味である。王爺廟(興安街)の丘の上には成吉思汗廟が高くそびえていた。生徒隊はその廟に参拝してから隊伍を解くのだった。
*
 昨年(一九九四年)、軍官学校の軍事教官だった片倉弦さんたちと内モンゴルを訪れた際、ハイラルのホテルにドゴルニマ(都古尓泥瑪)さんが訪ねてきた。ドゴルニマさんは軍官学校卒業生の元軍事教官。日本の陸軍士官学校にも学び、片倉さんとは五十六期の同期生、終戦時はハルビン特務機関興安支部所属の中尉だった。
 ドゴルニマさんはカウボーイ・ハットのようなつば広の革帽子を樋ぐ前に軍隊式の敬礼をした。片倉さんも居ずまいを正しゴルフ帽に手をあて返礼した。二人は長い間、肩を抱き合っていた。片倉さんが私を「文官だった藤原教授の御子息」と紹介すると、ドゴルニマさんは「お父さんを覚えていますよ」といって敬礼した。私もあわてて答礼した。
 八月十日、日ソ中立条約を破りソ連戦車軍団がソ満国境を越えて侵入してきたとき、ドゴルニマさんは興安街の西南のハンスームに向かって進撃した。一行は日蒙混合兵士二百七十名からなる迎撃ゲリラ隊。しかし、作戦展開の途中、八月十二日、ドゴルニマ中尉は上司ウールピン大尉らともに蒙系兵士だけを集めて、本部隊(部隊長=杉浦友好少佐)に対し反旗をひるがえした。しかし、反乱軍は日系軍官の誰一人として殺傷しなかった。空へ向けて発砲し、脱走したのだった。反乱というより戦線離脱だった。今、ドゴルニマさんはその真相を語る。「私たちはブリヤートモンゴル人。スターリンの圧政を逃れて満州の地に入植し、モンゴル独立のためソ連と闘うべく、、時日本の満州国軍に身を寄せていたのです。しかし、その日本軍もモンゴル人を利用しただけでした。だから日本の敗戦の機会に再度独立を計画し反乱を企てたのです。しかし、お世話になった日本人上官を殺したくはなかった」
 当時、軍官学校の校長・ウルジン将軍もブリヤートモンゴル人。ソ連軍侵攻の報せが伝わるとウルジン将軍も秘かに戦線離脱した。しかし、彼らブリヤート人たちは巾国共産党軍と相容れず、新たな独立運動は挫折した。そこでソ連領内のブリヤートモンゴル共和国に帰郷しようとしたが、それも果たせなかった。ソ連が入国を拒否したからである。
 故国に戻れず、ドゴルニマさんは住みなれたハイラル郊外にとどまり牧場を経営した。文化大革命では公安当局にさんざん痛めつけられたが、その苦しみにも耐えた。そして中国開放政策時代を迎えた今、そしてペレストロイカによりゾ連邦が瓦解した今、晴れてブリヤートに帰ることが可能となったのである。ドゴルニマさんは来年(一九九六年)、兄弗の待つ父親の士官地に七十年ぶりに帰郷するという。
ハイラルの駅頭、私たちの汽車が出発するとき、満州国軍同期の桜のドゴルニマさんと片倉弦さんは長い挙手の礼でいつまでも別れを惜しんでいた。
6巻のあとがき

【六族協和に賭けた安江大佐の人道主義】 安江弘夫(安江大佐 子息)

(前略)
 今からちょうど五十年前の八月十五日、私は父の書斎に呼ばれ、次のように告げられた。
「日本をこのようにしたのは我々年輩の者達の責任だ。(筆者註、敗戦の責任とは言っていない)俺はその責任を取る。ソ連軍か人ってきたら拘引されろだろう。俺は逃げも隠れもしない敢然として行く、これからの日本は、お前達若い者の責任だしっかり頼むぞ」
 これが父の遺言になった。以来、私は父に関して本を書いたり、種々の会合で話したりして「かかる軍人ありき」を少しでも世に知らしめたく努めてきたが、昨年来、今年が終戦五十周年とあって、父に関するマスコミの取材が急増し、新聞、雑誌、テレビ等に「大連特務機関長安江大佐」が登場している。
 ただ、その取り上げ方がマチマチで、安江大佐の人間像を充分的確にとらえているものは少ないように思われ、ユダヤ人、回教徒、白系ロシア人(ロシア革命で亡命してきた人々)、満洲人など多くの外国人を助けたことについて、それが彼生得の人間愛に基づくものであることを理解していないようである。その点、安彦氏は安江大佐の本質を最もわかっているように思われる。
 昨今、戦時中にリトアニアの領事代理だった杉原氏が、ナチス・ドイツの迫害を逃れてシベリア鉄道でアジア方面に脱出を計るユダヤ人達に、日本の通過ビザを発行したということで、特にユダヤ人側から美談化されているが、日本に入国するためには政府の許可が必要であり、ユダヤ避難民の受け入れを国策として決めさせたのが、陸軍随一のユダヤ問題専門家と言われた安江大佐であった。戦後、在日ユダヤ人会主催で安江の慰霊祭が行われている。
 しかし、彼はユダヤ人だけを助けたのではなく、困っている人達を見ると、民族、国籍を間わず救いの手を差し伸べている。当時の満洲にあっては、満洲人即ち中国人は五族協和とは言え、日本人よりかなり下位の扱いを受けていたが、安江は、自宅の坂下にいつも居る満洲人の靴磨きの妻の病気の面倒まで見ている。彼はさらに、ユダヤ避難民を満洲国に受け入れて六族協和の国とする具体案を実行に移しかけた後、間もなく東條英機陸相(後の首相)により、同盟国ドイツへの気兼ねから大連特務機関長を解任、予備役に編入された。
 戦後の今、満洲国は日本が植民地として作った傀儡国家として歴史上位置づけられつつある。しかし、本当に五族協和の国を作ろうとして努力し、働いた日本人も多い。
 私が名古屋の中学から二学年に編入した大連一中の級友の大半は満洲生まれの満洲育ちであり、彼等は戦後、日本に引き揚げてきたのではなく、己むなく来たのである。彼等の故郷は現在でも満洲であり、齢七十をすぎても未だ日本の風土に馴染めず、現在は中国東北部と呼ばれる旧満洲のため今でも何かしてやりたいと努力している人々も多い。
 このところ、国内外で、過去の我が国の犯した国際信義上の問題や非人道的行為に対する非難や抗議が噴出しており、政府はその対応に追われている。これは戦時中の指導者達の多くに人道上の問題に対する配慮が欠けていたことが原因であり、さらに戦後の政府の対応が無責任かつ唆味であったことが、五十年も経過した今でも、未解決の問題として残された理由である。戦争に反対し、開戦後は和平工作に必死の努力を続けた安江大佐が未だに遺骨収集もされ樋まま、ハバロフスクの日本人墓地に眠っている始末である。
 戦前・戦中の日本人と、現在の我々は本質的にはあまり変わっていないはずであろ。今の日本人が当時と同じ環境に置かれたら、同じことをする可能性無きにしもあらずである。明治維新以来、欧米先進国に追いつき、追い越せで暴走した結果が惨めな敗戦である。一個の人格、そして国際社会での社会人としては未熟のまま、その上、他民族の歴史や宗教に無知のままアジア解放を標榜した結果でもある。日本の統治下、各地でウムボルトのような青年を生み出したに違いない。
円高の現在、海外旅行に行く日本人は多いが、訪問先では「ただ金を持っている田舎者」と軽蔑されているかもしれない。
 アジアのこのところの変貌も著しい。ウムボルトや安江大佐が活躍した満洲や上海は、今や改革開放政策で成長著しい新生中国の中核として、アジアの、そして世界の中の一大経済センターに発展しようとしている。一方、我が国はバブルの時代を頂点として今や下降線を辿っているようにも見える。
私の歳からは、現在の我が国各界の指導者達の大半がずっと年下であり、戦争を知らない世代も多くなってきている。彼等がこれから、どういう舵取りをしていくのか心に掛かるところである。
トピック立てありがとうございます。
虹色のトロツキー、先日、全巻を読み終えました。安彦先生の漫画作品の中で一番、心動かされました。

8巻は、物語が終わってしまうのが嫌で、なかなか手が出ませんでした。

デジタル版で読みましたが、あとがきが収録されていなかったので、ここで読むことが出来て、嬉しかったです。

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