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東アジア歴史文化研究会コミュの「反日無罪」の論理に日本人はどう立ち向かうべきか(在韓ジャーナリスト 竹嶋渉)

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道徳だから異議を唱えることなど許されない


在韓ジャーナリスト 竹嶋渉

ここ数年、報道などで「反日」という言葉を耳にすることが多くなった。言うまでもなく、中国・韓国で「反日感情」が高まっているのがその原因である。周知のように日本と中国・韓国の間には領土問題や歴史認識問題、慰安婦問題、靖国神社参拝問題、戦後補償問題などをめぐる葛藤があり、一般の中国人・韓国人も反日感情を昂ぶらせているのである。そして、その感情は年を追うごとに激しさを増している。ところが、日本では反日感情に対する研究をおろそかにしてきたこともあって、今に至っても韓国・中国の反日感情の実態がよく理解できておらず、その対処もろくになされていない。ここでは韓国の反日感情の実態を大まかに述べ、その対応方法について考えてみたいと思う。

まず、そもそも、韓国人はなぜ反日感情を持っているのだろうか。韓国人が反日感情を持つ最も大きな理由は、日本の侵略行為に対する怨念である。「侵略」という用語に違和感を覚える方もおられるかもしれないが、ここをおろそかにしては反日感情を論じることはできない。日本人は「侵略」と考えていなくても韓国人は「侵略」と考えているからだ。そして、その侵略行為とは「倭寇」「文禄・慶長の役(壬辰倭乱)」「日韓併合」の三つである。侵略された側が侵略した側に怨念を抱くのは当然であって、これは何ら不自然な現象ではない。日本でもそうした認識のもと、指導者らが「侵略」に対する「謝罪」を繰り返してきた。そして、誠意をもって謝罪すれば反日感情は弱まっていくだろう、と考えていたフシがある。しかし、今となってはかなり甘い見通しであったと言わざるを得ない。反日感情とはそんなに単純なものではないからである。

反日感情には「侵略に対する怨念」のほかに、「文化優越意識」に起因するものがある。遠く三国時代(高句麗・百済・新羅)から朝鮮時代に到るまで、韓国人(便宜的にこの用語を用いる)にとって日本人(倭人)とは「夷狄」、つまり野蛮人であった。その一方で自らは中華文明の恩恵にあずかる文明人で、人種的にも日本人より優等であると考えていたのである。これは現在もそうである。そして、前世紀に入って日本が韓国よりも発展したのは、日本人がいち早く西洋文明を模倣し、朝鮮を侵略したためであると見なしている。反面、日本の文化というのは高句麗・百済・新羅・高麗・朝鮮が伝えてやったものがすべてで、半島文化の亜流に過ぎないと考えている。日本独自の文化があったとしても、それは野蛮人の低水準な文化である。彼らが「万葉集は韓国語で読める」などと言ったり、相撲や剣道、華道や茶道、味噌や醤油などがすべて朝鮮半島を起源とするものであると主張するのも、この「文化優越意識」が原因である。明らかな民族的偏見や根拠のないデタラメも交じっているのだが、「侵略に対する怨念」が偏見やデタラメを正当化する根拠となっている。このあたりの事情は日本ではあまり知られていない。長らく「被侵略者である韓国人が人種的偏見を持つはずはない」などという勝手な先入観に惑わされてきた結果である。

「反日」に反対する者は「正気」ではない
実は、韓国人が自らの反日感情や反日行動を指して、「反日」と呼ぶことは稀である。大抵の場合、「民族感情」「国民感情」と呼ぶ。韓国語の「反日(パニル)」という語彙には「日本に対する敵対感情・敵対行動」という意味合いがある。ところが、韓国人は自らの反日感情が日本に対する「敵愾心」に基づくものだとは思っていない(思いたがらない)。実際はそうなのだと指摘すると怒り出すことも多い。韓国人にしてみれば、自らの反日感情は日本の侵略に対する崇高な怒りであり、人間的にも当然な感情であり、かつ極めて道徳的なものであり、「敵愾心」などに基づくものではない、ということになる。だから、敢えて「反日感情」とは言わず、「民族感情」「国民感情」という語彙が用いられているのである。

韓国で「民族感情」「国民感情」という用語が用いられている理由はもう一つある。「反日感情」は国民や民族が等しく共有すべき「道徳」である、という強固な思い込みである。だから、反日感情に基づく言説に少しでも異議を唱える者は反道徳的であり、「民族」「国民」ではなく、「民族反逆者」「非国民」である、ということになる。そうした者は韓国では「売国奴」「親日派(売国奴とほぼ同義)」として徹底的に糾弾され、社会的に抹殺される。そのため、韓国では反日感情には何らの批判も加えられない。日本については何を言おうと言いたい放題で、どこからも文句をつけられない。まさに「愛国無罪」ならぬ「反日無罪」状態なのである。こうした健全な批判のない土壌に健全な言説が育つ余地などあろうはずがない。そのため、年を追うごとに反日感情は過激さの度合いを増し、反日行動は奇矯さの度合いを増す、ということになる。ちなみに、韓国ではこうした「国民感情」「反日感情」を基盤とした国粋主義(としか言いようがない)を「民族正気(「精気」とも書く)」などという崇高な用語で呼んでいる。つまり、これに反する言動を取る者は「正気」ではない、ということである。そうした意味で韓国の反日は原理主義的で、一切の妥協的解釈を許さない。

「商売」にも「犯罪」にも利用される
さて、そのような崇高な概念であるはずの反日感情なのであるが、それが表出する場面を見てみると、崇高どころか稚拙で荒唐無稽なものが多い。反日感情の表出の事例としてよく知られているものとしては「デモ」がある。日本大使館の前で反日団体が繰り広げている様々な反日デモが有名であるが、日本の国鳥であるキジを生きたまま裂いたり、大使館の建物に卵や塗料の入った瓶を投擲したり、日本の首相の顔を布にプリントして口の部分を縫う(「妄言」を糾弾するという意味があるらしい)などの奇行が数多く見られる。中にはデモ参加者が指を切り落としたり、焼身自殺を図ったりしたケースもある。外国公館に対する破壊行為は如何なる場合でも批判の対象になるはずだが、韓国ではそうした批判はほとんど起きない。

次にスポーツ観戦における無軌道な応援やパフォーマンスが挙げられる。サッカーの日韓戦で「歴史を忘れる国には未来がない」という横断幕を掲げて応援したり(二〇一三年七月のサッカー東アジアカップ)、サッカーの選手が「独島は我が領土」というプラカードを持って競技場を走り回ったりした行為(二〇一二年のロンドン五輪)はかなりの物議を醸した。挙句の果てには「日本の大震災をお祝います(原文ママ)」という常軌を逸した垂れ幕を掛けたりした事例(二〇一一年のアジア・チャンピオンズリーグ)もあった。さすがにこの垂れ幕に対しては韓国国内からも批判が出たのだが、これは極めて稀なケースである。大抵の場合、何をやっても批判されない。二〇一一年のAFCアジアカップの日韓戦では韓国の選手がゴールを決めた後、日本人を猿になぞらえたパフォーマンスを行って物議を醸した。この背景には日本人に対する「文化優越意識」があるが、他民族を畜類に譬えて侮辱するのは明らかな人種差別である。しかし、この選手が「(観客席の)旭日旗に腹が立った」という言い訳をしたため、韓国内での批判は消散した(実際には観客席には旭日旗はなかったことが明らかになっている)。

こうした無批判な反日感情は様々な商売にも利用されている。最近は独島問題などによって反日感情が盛り上がるたびに関連商品が売り上げを伸ばす、という現象が見られる。その最も成功した一例として、大邱銀行という地方銀行が二〇〇三年に開設した「独島支店」を挙げることができる。これはネット上のサイバー支店であるが、この支店に口座を持つ顧客は金利・手数料を優遇されるということもあって、三十万人が口座を開設したという。二〇〇五年には企業銀行が税引き後の利子の二パーセントを独島関連団体に寄付する「独島は我が領土通帳」を販売した。一部では「反日感情を利用した商法」という批判も提起されたが、反日感情がネタになっている限り、そうした批判が共感を得ることは少ない。

騙した側も騙された側もニセモノ
このように反日感情が商売に利用され始めると、当然のことながら犯罪に利用する輩も出てくる。その代表的なものが「日帝補償金詐欺」である。これは何かというと、日本統治下の徴用に対する補償を日本政府から受けられると言って老人に接近し、手数料の名目で金を騙し取る詐欺である。二〇〇五年に発覚したこの新手の詐欺の被害者は約一千人、被害額は一億五千万ウォン(約一千五百万円)にのぼった。呆れたことに警察が被害者のうち二百五十人を調べた結果、その八割ほどが植民地下の徴用とは何らの関係もなかったことが判明した。騙した側も、騙された側も、日本をネタにしてひと儲けしようと企んでいたわけである。ちなみに犯人は「アジア太平洋戦争犠牲者遺族会」という団体の関係者だったという過去があり、その際の活動経験を詐欺に活用したと見られている。

その後も同様の詐欺事件は後を絶たず、高額の被害が相次いでいる。こうした詐欺が横行する背景には、「反日」が崇高な国民道徳として無批判に崇められているという韓国独特の事情がある。詐欺の被害に遭った老人たちも、反日活動を行っている殊勝な団体が、よもや詐欺をはたらくとは思ってもいなかっただろう。反日無罪が詐欺の隠れ蓑になったわけである。

韓国人の主張の虚偽性を満天下に知らしめる
以上、韓国における反日感情は「侵略に対する怨念」「文化優越意識」が入り混じった複雑な感情であり、「国民」や「民族」が等しく共有すべき崇高な概念(「民族正気」)とされていることを述べた。また、反日感情の表出の様相は決して崇高なものばかりではなく、反日感情を利用した便乗商法、人種差別、詐欺行為まで行われている点も指摘した。ただ、従来はこうした反日感情の表出が韓国国内だけに限られていたから、まだよかった。最近になって、韓国国外でも反日感情の表出が積極的に行われている。代表的なものが世界各地における慰安婦銅像の設置運動、日本海と「東海」の名称併記運動、中国と韓国の反日連帯(抗日運動記念施設の建設、安重根銅像の設置)などである。いわば「反日」の海外進出であり、「従軍慰安婦」や「抗日義士」を素材とした新たな「韓流」である。一見、何らの生産性もないように見えるこの種の運動であるが、日本を貶めることで自国の存在感や付加価値を高め、「反日」という共通の関心事を「中韓友好」の材料とし、あわせて在外韓国人の結束と民族意識の共有を図れるなど、様々なメリットがある。もちろん韓国人もこうした利点にはとっくに気づいており、この種の運動は今後ますます活性化していくことが予想される。

では、日本人は、こうした厄介な反日感情にどう対処すべきなのだろうか。従来のようにひたすら「謝罪」のみを繰り返しても、どうにもならないということは誰の目にも明らかだろう。実は、これまで日本の指導者が韓国に対して繰り返して来た「謝罪」も韓国人は「謝罪」と見なしていない。「あんなものは謝罪ではない」「心から謝っていない」などと自分の都合のいいように解釈し、反日のネタとして活用してきたのである。また、たとえ彼らが日本の謝罪を認めたところで、反日運動をやめるかと言えば、絶対にそんなことはありえない。今、日本人の為すべきことは、こうした厳しい現実を直視し、実現不可能な「日韓友好」などは速やかにあきらめることである。そして、韓国人が国内外にまき散らしている反日言説に対して徹底して反駁し、それを韓国・中国のみならず世界に向けて発信することである。韓国人の主張の虚構性が明らかになり、それが満天下に明らかになった時にのみ、彼らは反日言動を慎むだろう。それ以外の可能性はありえない。

国家の安全保障が対価なしでは達成できないように、国家の風格や歴史も努力なしに守り抜くことはできないのである。

ただし、日本政府が韓国で行われている稚拙で荒唐無稽な反日感情の表出にいちいち付き合うことはできない、という指摘もあろう。確かに日本政府が広く韓国社会で行われている反日行為、マスコミをあげて日々行われている反日報道、陰湿で陰険きわまりないネット上の反日書き込みなどを検証し、逐一反駁することはできないだろう。それならば、民間の活力を活用すべきである。韓国の理不尽な主張に反駁できる人材を育成する民間プロジェクトを助成したり、そうした研究を行っている団体や研究者に補助金を出すなどしてサポートすべきなのである。政府主導でそうした助成や補助を行うのが難しいなら、これまで大した役割をしてこなかった「特殊法人」などを通してやればいいのである。例えば、「日韓文化交流基金」は外務省OBがトップに天下りし、毎年のように日韓の青少年交流事業などを行っているが、そうした事業は韓国の反日感情の改善には何らの効果ももたらしていない。意味のない交流事業よりも、韓国の反日言説や日本侮蔑に対してきちんと声を上げることができる日本の青少年を育成することが急務であろう。日本の外務省や文化庁も日韓交流行事の後援にはご熱心であるが、そうした行事によって韓国の反日感情に何らかの変化が起こっただろうか。平和で呑気な交流行事では反日感情に影響を与えることはできない。根拠のない反日言説に徹底して反駁することによってのみ、反日感情に変化をもたらすことができるのである。

たけしま わたる 1968年生まれ。在韓ジャーナリスト。90年代に渡韓、日韓問題についての取材・評論活動を行う。「彼らはなぜ哭き、叫び、叩くのか」(『文藝春秋』2012年2月臨時増刊)など朝鮮文化の研究でも知られる。

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