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東アジア歴史文化研究会コミュの「日本占領計画はすでに昭和17年から始まっていた」

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日本占領計画はすでに昭和17年から始まっていた
(9月28日若狭和朋氏の講演レジュメ)

「GHQとピンコ(赤いやつ)の日本改造」

1.日本人の多くが抱いている誤解
1)日本国憲法はマッカーサー製の即席憲法である。
正解:マッカーサー製ではない。OSS(戦略情報局)製のじっくり練られた日本改造計画の一環が日本国憲法。OSSの「日本計画」がもと。昭和17年7月頃に策定済み。

2)天皇精度の存続はマッカーサーと昭和天皇の会談の産物。
正解:「日本計画」のなかに天皇制度は残す、と明確に・・・目的は軍と天皇の対立を利用する。

2.OSSは昭和16年5月にイギリスの指導のもとに設立されている。アメリカはすでにこの時点から日本との戦争を決意していたのである。現在の日本では今次戦争は日本の侵略だったとの理解が支配的。完全な「敗戦」である。

3.ルーズベルト政権の内部に300人を超えるコミンテルンの要員がそれぞれnおポストについていた。昭和8年のルーズベルト政権成立。ニューディール政策の実施に伴い、多くのマルキストたちが「潜伏」するようになっていた。日本人もいた。都留重人(元一橋大学学長)など多数。

4.ナチの政権成立も同じ昭和8年(1933)。ユダヤドイツと目されたドイツから多くのユダヤ人マルキストがアメリカに亡命した。彼らの中心がフランクフルト学派と呼ばれる集団であった。ルカーチやマルクーゼが著名。彼らの特徴はインテリが中心と考え、政府機関の要路を支配することから革命に至ると考えることにある。「プロレタリアート」は疎外されているから駄目だと考える彼らは知識人からなる革命の主体形成を構想し、潜伏を手段とした。

5.1945年4月12日のルーズベルトの死。
トルーマンはOSSと「ピンカーズ・ピンコ・赤いやつ」を嫌った。アメリカ内部にも警戒心が強くなっていた。折からの日本降伏。

6.GHQの設置。ピンコたちは日本に移動した。「民政局」を中心。農地改革や財閥解体は「日本計画」に基づく「日本農業国家化」。

7.日本国憲法の作成には日本人のマルキストが「偽装」に利用された。鈴木安蔵、高野岩三郎(初代NHK会長)森戸辰夫(のちの文部大臣)・・『押しつけ憲法の幻』という本もある。

8.二段階革命論の一段階目には天皇制は残す・・・主役の一人野坂参三。



補足
1.昭和20年8月30日、マッカーサー厚木着。E.H.ノーマンが同行していることに注意。都留重人を捜し出す。都留は木戸幸一内府(内大臣)の姪の婿。木戸は都留と同居中。

2.戦犯名簿は誰がどのように作成していったのか。同じく検閲の誰がどのようにして。

3.ヤルタの密約と東京裁判、ハル国務長官が昭和18年11月モスクワで次の密約。125億ドル、トラック40万台、航空機15000、戦車7000、武器弾薬480万トン、ソ連軍70個師団分の装備食料を提供するからドイツ降伏ののち対日開戦を。北方領土と東欧はソ連支配下に。シナと満州は蒋介石に。

4.昭和20年2月、ヤルタ会談。ドイツの敗勢は明白。ルーズベルトの急死(4.12)
5.ドイツ降伏(5.9)。蒋介石軍はアメリカ式の装備、武器で強化された共産軍に敗れはじめる。トルーマンは原爆を投下する。原爆には対ソ連の意味もあった。

6.日本降伏。追撃戦としての軍事裁判が始まる。極東国際軍事裁判所条例というGHQ内部の民政局を中心にしたピンカーズ(赤い奴)の暗躍。
7.スターリンはルーズベルトとの密約は無視した。蒋介石は台湾に追われた。日本を打倒したらたちまちアジアは共産主義者の制圧下に。
8.アメリカ国内にはマッカーシズムの嵐が。あのホワイト(ハル・ノート作成者・コミンテルンのエージェント)の変死、ノーマン(共産主義者)の変死、アグネス・スメドレーの変死、アルジャーヒスの逮捕。

9.マッカーサーは指示されたアメリカ上院で証言。
昭和26年5月3〜5日、米乗員軍事・外交合同委員会聴聞委員会で証言。
1)日本の戦争は自衛のためのものだった
2)アメリカの・・・この百年の最大の誤りは・・・
3)トルーマン大統領への告白(昭和25年10月15日ウェーキ島)
「東京裁判は誤りだった」

10.朝鮮戦争の勃発(昭和25年6月25日)
1)日本国内のレッドパージの開始(7月)
2)昭和24年9月・・・この頃、対日講和条約の構想をトルーマン大統領が発表
3)GHQ内でホイットニーやケーディスたちの民政局を拠点としたピンコたちの追放が始まり、ウィロビー(参謀第二部長)の勢力が強まる。
4)マッカーサーの罷免(昭和26年7月11日)。満州の爆撃と奪還を主張したが
5)冷戦が熱い戦いに


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