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東アジア歴史文化研究会コミュの恐るべき中国の対日工作の実態

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この度、9月7日(月)中国問題の専門家、黄文雄氏(文明史家・拓殖大学客員教授)に「中国の対日工作の実態」について講演していただきます。公安関係者によると「末端の活動家や協力者を含めると、日本にいる中国のスパイは数万人規模に達するのではないか」との見方を明らかにしています。中国の対日工作は長期的であり、かつ巧妙を極め、今や政官財から学界、マスコミまで着実に工作がなされています。ご存知のように、日本はスパイを取り締まる法律がないため、これらの諜報、工作に対して公安関係者はなすすべがありません。このようなことはマスコミではいっさい報道されることがないので、多くの方々にこの対日工作の事実を学んでいただきたいと心から念願しております。

日時 2009年9月7日(月)午後6時〜8時30分
場所 常円寺・祖師堂3F会議室
      東京都新宿区西新宿7-12-5(新宿駅西口徒歩6分)
      ?03-3371-1797
テーマ「恐るべき中国の対日工作の実態」
講師 黄文雄氏(文明史家・拓殖大学日本文化研究所客員教授)

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「国際派日本人養成講座」より、この中国の対日工作について掲載したものがありますので、以下添付します。ぜひお読みいただきたいと思います。

「哀しい中国工作員」
中国の秘密工作活動は、有為の青年たちの夢を断ち、自らの健全な発展の芽を摘んでいる。

1.長野を埋め尽くした赤い中国国旗

 4月26日、長野の町を赤い中国国旗が埋め尽くした。産経新聞はこう報じている。
 長野市の北京五輪聖火リレーは、3000〜4000人もの中国人留学生がコース沿道や式典会場を埋めつくすなか、「中国、頑張れ」とのシュプレヒコールが響き渡った。組織化されたような応援の一方、沿道ではチベット支援者の前をふさぎ、振り向きざまに「中国はひとつだ」と吐き捨てる中国人留学生の姿も見られた。ある在日チベット人は沿道で中国人留学生に囲まれ、「うそつき」呼ばわりされたという。
 海外での聖火リレーの中国人留学生の応援をめぐっては「体を使って相手の動きを封じ込めていいが、暴力は振るわない」などの指南書が参加者に配られた。中国人留学生たちは「応援は自発的だ」と口をそろえ、チベット問題には「別問題」と一様に口を閉ざした。ある留学生は「私たちは理性的に愛国心を表現している」と中国政府と同じ言葉を繰り返した。
 中国の工作機関が、その動員力を垣間見せた瞬間であった。

2.「日本にいる中国のスパイは数万人規模」

 オーストラリアに政治亡命した中国の元外交官・陳用林が米国議会で証言したところによれば、「オーストラリアだけで中国の工作員は千人以上いる。スパイ防止法のない日本には、その数倍以上いるのは常識」。「専門教育を受けたプロの工作員(基本同志)によってリクルートされ、金銭を受け取って工作に協力する者(運用同志)は、その数倍から10数倍いる」ということです。
 とすると、日本に潜伏するプロの工作員は数千人規模、さらにその協力者は数万人規模ということになる。日本のある公安関係者は「末端の活動家や協力者を含めると、日本にいる中国のスパイは数万人規模に達するのではないか」との見方を明らかにしているが、よく符合する。
 留学生からの「運用同志」のリクルートがいかに行われるか、東北の有力国立大学の博士課程に在籍していた陳慧文(仮名)が明らかにしている。陳は研究内容を盗んで中国に送った事が発覚し、取り調べを受けたのだが、その過程での自白である。
 実は、先生方は知らないかもしれないが、日本の主要な大学には、学部生や大学院生、研究員を中心とした中国人留学生の組織が作られています。年に1〜2回、東京の中国大使館の教育処から幹部が派遣されてきて、大きな大会を行い、中国政府や共産党の重要な指示を伝えられます。

3.中国大使館教育処の指示

 中国からの国費留学生は政府から学費や生活費を出して貰っており、かつ政府機関から身元保証を受けている者が大半だ。さらに国費留学生は、将来は中国に戻って政府系機関に就職する者が多い。だから、中国大使館に命ぜられたら、会合に参加せざるを得ない。
 1年前の会合で、教育処の幹部が「諸君の所属している研究機関や研究室での研究内容を具体的に提出してほしい」と言い出したのです。しかも、「論文などの具体的な形になっていれば、なお良い」ということでした。
 陳の所属する研究室は画期的な超合金の開発を行っていた。陳は大使館からの指示に従って、研究室のパソコンから論文の原稿を盗み出し、大使館の幹部に渡した。それが上海の大学に送られ、米国の学術雑誌に発表されたのである。この論文に注目したドイツの大手自動車会社が、自動車ボディ用のプラスチック合金の共同開発を持ちかけたという。
 自分たちの研究内容が盗用されたことを知った東北の大学は、上海の大学に抗議し、結局、中国側もそれを認めざるをえなくなって、米国の学術誌に論文取り消しを求めた。
 陳は、研究データを盗み出したことは認めたものの、あくまでも中国大使館の指示に従っただけで、上海の大学への受け渡しには関わっていないと主張。「日本での研究を続けさせてほしい」と涙ながらに懇願したという。
 まじめで勉強熱心な陳は、とても盗みをするような人物には見えなかったという。しかし、大使館の指示に従わなければ、国費も打ち切られ、帰国しても就職の道を閉ざされる。陳には盗みをするより他に道はなかったのであろう。

4.「デンソー」中国人エンジニアの産業スパイ活動

 中国人による産業スパイ事件として有名なのは、米国で逮捕された2人の情報技術者の件だ。2006(平成18)年12月、カリフォルニアのシリコン・バレーにあるIT企業で働く中国人技術者2人が、中国政府が推進するハイテク研究発展計画のために、マイクロプロセッサの設計情報を盗み出したとして逮捕された。二人は容疑を認め、経済スパイ法違反の適用を受けている。
 同様な事件が日本でも起きて、産業界を震撼させた。大手自動車部品メーカー「デンソー」のエンジン関連部門で設計を担当していた中国人エンジニア林玉正(仮名)が大量の設計情報を中国に送っていた事が発覚したのだ。
 平成18(2006)年の10月から12月にかけて13万件以上のデータが引き出された結果、社内のコンピュータ・システムがたびたび異常停止した事が、発端だった。コンピュータの通信記録から、林の仕業と判明した。
 会社側は林を追求したが、林は「私は何もしていません」と突っぱねた。「それでは、君の家に行って確かめさせて貰うよ」と言うと、「そこまで疑うのなら、勝手にすればいいでしょう」
 マンションの前で、林は「散らかっているので、ちょっとの間、外で待っていて貰えませんか」と一人で部屋に入った。しかし、林は30分しても出てこなかった。ドアを叩くなどして、ようやく部屋に入ると、パソコンはハンマーで叩かれたように壊されていて、ハードディスクのデータ復元も無理だった。
 翌日、林は出社せず、中部国際空港から北京に高飛びした。

5.「まるで絵に描いたような工作員の経歴だ」

 デンソーは林を横領容疑で警察に告発した。約2週間後、自宅前で張り込んでいた刑事が、帰ってきた林を逮捕した。
 愛知県警の調査で、林は自宅のパソコンから大量のメールを送受信していたことも判明した。また、この数ヶ月で日中間を3往復もしており、重要な情報を中国側に手渡していた疑いが強まった。
 林の経歴も明らかになった。1986(昭和61)年、北京の大学卒業後、ミサイルやロケットなどを開発する中国国営の軍事関連会社に勤務。1990(平成2)年に企業派遣の留学生として来日し、都内の工学系大学を卒業して、2001(平成13)年にデンソーに入社した。
 デンソー側は、林の来日前の経歴を全く知らなかった。林が経歴書に書かなかったからである。林は入社前から、デンソーのハイテク技術を盗み出そうとしていたのだろう。
 林は在日中国人の自動車技術者が集まる「在日華人汽車工程師協会」の副会長も務めていた。対日工作に詳しい公安幹部はこう語る。
 軍関連企業を経て、日本に留学、在日中国人グループのリーダー的存在というのは、まるで絵に描いたような工作員の経歴だ。

6.渡り歩く工作員

 しかし、パソコンが破壊されていたため、愛知県警はデータが盗まれた確証を得ることができず、林を処分保留で釈放した。その後、林はどこに姿をくらましたのか不明である。いまごろ何食わぬ顔をして、別の日本企業に潜り込んでいる可能性もある。
 経済産業省が、平成18(2006)年秋、製造企業357社から回答を得たアンケート調査では、全体の36%の企業が技術流出が「あった」、あるいは「あったと思われる」と答えている。
 しかし、ほとんどの日本企業は産業スパイの被害にあっても公表しない。法整備も不完全なため、警察に被害届を出しても、犯人が逮捕され、十分な処罰を受ける見込みもないし、企業イメージを悪くさせるだけだからだ。

7.「北京の両親や兄弟に何があってもしらないぞ」

 日本での中国人留学生は「運用同志」のリクルート対象とされるだけでなく、逆に民主化運動や法輪功などに携わった場合は、弾圧のターゲットとされる。
 東京都内の大学に留学している王偉(40歳、仮名)は、平成17(2005)年1月に「民主主義研究会」(仮名)を立ち上げ、月に1回の割合で、10人ほどのメンバーが集まり、議論をしてきた。自由な日本社会では、中国にいる時のように、周りの目や耳を気にすることなく、「共産主義の転覆」といった発言も飛び出していた。
 王は会合での議事録を「民主主義研究会」のホームページに逐一、掲載した。中国本土からも賛同のメールが寄せられるようになり、自分たちの活動が中国の民主化に役立っている、との満足感を抱いていた。
 勢いを得た王らは、中国人留学生を対象に「中国民主化セミナー」を企画した。日本の政治学者やジャーナリスト、そして中国本土からは「反政府団体」とされている中国民主党幹部2人を招いて、「中国の民主化の行方----共産党一党独裁放棄への道筋」をテーマに座談会を行うこととした。
 ところが、メンバーの一人がこんな事を言い出した。
 実は1週間前に、「中国国家安全省の張」という奴から電話があって、「セミナーを止めろ。お前の仲間にも止めるように伝えろ。もし、止めないのならば、北京の両親や兄弟に何があってもしらないぞ」と言ってきた。
 すると、もう一人のメンバーも:
 なにっ、お前もか! 俺にも同じような電話があった。俺の場合、昨日、お袋から電話があって、国家安全省の奴らが親父やお袋と会って、「お前の息子が日本でやっていることを止めさせろ。まじめに勉強するように言え」と言ってきたというんだ。

8.「君たちの身の上に大変なことが降りかかりますよ」

 そこに王の携帯電話が鳴った。
 中国国家安全省の張です。二人には伝えてあるのですが、君たちの計画しているセミナーを中止してほしいのです。中止しなければ、君たちの身の上に大変なことが降りかかりますよ。
 国家安全省がどうして王の携帯番号を知ったのか。仲間に裏切り者がいるのか。それでも王は、こんなことでセミナーを止めたりはしない、と自信満々に答えた。
 しかし、「大変なこと」は二日後に起こった。王がアパートに帰る途中、一方通行の狭い道を猛スピードで突進してきた乗用車にはねられたのである。警察の現場検証では、ブレーキをかけた痕も認められなかったという。
 王は1カ月も入院し、他のメンバーも王を避けるようになって、セミナーも中止せざるを得なくなった。王は退院してからも、複雑骨折をした左足を引きずるようになった。中国政府が日本の文部科学省に申請していた奨学金も支給されなくなった。日本に留まることもできず、やむなく王は中国に帰った。
 北京に帰っても、公安要員に常に尾行された。大学の研究室に戻ろうとしたが、教授から「大学の共産党委員会から、君の面倒は一切見るなと言われているのだ」と断られた。就職先を見つけようと、いろいろな会社を回ったが、いったん採用とされても、かならず2、3日後に取り消しの通知が来るのだった。
 いまや王は両親のアパートから一歩も外に出ない生活を送っているという。

9.自国民を不幸にする工作活動

 このように、日本には数千人のプロ工作員がおり、彼らが数万人規模の中国人留学生などを操って、技術を盗んだり、日本での民主化運動の情報を集めたりさせている。だから、長野に数千人の中国人留学生を送り込むことなど、造作もないことなのである。
 日本政府や日本企業として、これらの工作員による技術盗用や暴力行為を厳重に取り締まるべきなのは、言うまでもない。同時に感ずるのは、現在の中国政府の工作活動が、いかにその国民を不幸にし、かつ人材を無駄にしているか、ということである。
 超合金の開発に携わっていた陳は論文の盗み出しを命ぜられ、民主化活動を志していた王はテロのターゲットとされることで、それぞれの道を断たれてしまった。デンソーの設計エンジニアまでなった林にしても、プロ工作員にされていなければ、もっとまっとうな道を歩めたはずである。
 これらの青年たちの能力をそれぞれの志す分野で自由に発揮させれば、中国としても独自の技術開発や健全な社会発展に役立てられたはずである。
 結局、独裁国家中国はその秘密工作活動によって、自国民を不幸にし、自らの健全な国家発展の芽を摘んでいるのである。

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