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東アジア歴史文化研究会コミュの3月27日「日本人が知ってはならない歴史」レジュメ?

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2009年3月27日
第59回東アジア歴史文化研究会
「日本人が知ってはならない歴史−日露戦争以後の日本」

(レジュメ 1)

アメリカ誤てりとマッカーサーが泣いた

1.昭和20年8月30日、マッカーサー厚木着。E.H.ノーマンが同行していることに注意。
  都留重人を捜し出す(都留は木戸幸一内府(内大臣)の姪の婿 木戸は都留と同居中)
2.戦犯名簿は誰がどのように作成していったのか。同じく検閲の誰がどのようにして。
3.ヤルタの密約と東京裁判、ハル国務長官が昭和18年11月モスクワで次の密約。
   125億ドル、トラック40万台、航空機15000、戦車7000、武器弾薬480万トン、
   ソ連軍70個師団分の装備食料を提供するからドイツ降伏ののち対日開戦を。
   北方領土と東欧はソ連支配下に。シナと満州は蒋介石に。
4.昭和20年2月、ヤルタ会談。ドイツの敗勢は明白。ルーズベルトの急死(4.12)
5.ドイツ降伏(5.9)。蒋介石軍はアメリカ式の装備、武器で強化された共産軍に敗れはじめる。
  トルーマンは原爆を投下する。原爆には対ソ連の意味もあった。
6.日本降伏。追撃戦としての軍事裁判が始まる。極東国際軍事裁判所条例という
  GHQ内部の民政局を中心にしたピンカーズ(赤い奴)の暗躍。
7.スターリンはルーズベルトとの密約は無視した。蒋介石は台湾に追われた。
  日本を打倒したらたちまちアジアは共産主義者の制圧下に。
8.アメリカ国内にはマッカーシズムの嵐が。
  あのホワイト(ハル・ノート作成者・コミンテルンのエージェント)の変死、ノーマン(共産主義者)
  の変死、アグネス・スメドレーの変死、アルジャーヒスの逮捕。
  マッカーサーは指示されたアメリカ上院で証言。
9.昭和26年5月3〜5日、米乗員軍事・外交合同委員会聴聞委員会で証言。
   1)日本の戦争は自衛のためのものだった
   2)アメリカの・・・この百年の最大の誤りは・・・
   3)トルーマン大統領への告白(昭和25年10月15日ウェーキ島)
     「東京裁判は誤りだった」
10.朝鮮戦争の勃発(昭和25年6月25日)
   1)日本国内のレッドパージの開始(7月)
   2)昭和24年9月・・・この頃、対日講和条約の構想をトルーマン大統領が発表
   3)GHQ内でホイットニーやケーディスたちの民政局を拠点としたピンコたちの追放が
    始まり、ウィロビー(参謀第二部長)の勢力が強まる。
   4)マッカーサーの罷免(昭和26年7月11日)。満州の爆撃と奪還を主張したが
   5)冷戦が熱い戦いに

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