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東アジア歴史文化研究会コミュの歴史を動かした男 西郷隆盛の人間像

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8月28日、第54回東アジア歴史文化研究会、作家神渡良平氏に西郷隆盛について語っていただきます。そこで、神渡氏の著書『西郷隆盛人間学』(致知出版社)についてご紹介します。


(神渡)
鹿児島生まれの私は父や叔父から西郷さんのことを聞かされて育ったため、人一倍西郷さんの生き方には感じ入るものがあります。西郷さんが残した言葉や事跡を網羅して、彼が実現しようとしたものを書きながら、彼の理想をえぐった作品です。

序文にはこう書きました。

「私は青春時代、道を見失い、生きていく望みを失った。そんな頃、東洋思想家の安岡()正篤先生の本に出合い、目から(鱗)が落ちるほどの衝撃を受けた。  
 「これほどの魂が育まれていたのだったら、この民族には豊かな精神的土壌がある。日本には誇れる伝統があり、至誠至純の文化があるのだ」
 そう思ったとき、ようやく自分が歴史の本流に結びつき、生きるエネルギーがとうとうと流れ込んでくる思いがした。
 先生は私に「一隅を照らす」という生き方を教えてくれた。多くは望まない。ただ自分の持ち場で最善を尽くし、ただほのかに一隅を照らしてゆこうという気持ちになった。不思議に落ち着いた心境だった。そしてそれは自分の足が大地についたような安心感につながっていった。
 それからしばらくして、国史家の平泉澄先生の本に出合った。
 平泉先生は幾多の書物を通して、静かに語りかけてこられた。歴史の本質を見極ずんば置かずという透徹した眼差しを投げかけておられた。そこには秋霜のような厳しさがあった。先生の眼は先年の歴史の彼方を見詰めていた。
 「極めて重要なるは、歴史は即ち復活なりといふ事である。いかなる崇高なる人格も、いかなる偉大なる功業も、現在の人に全く忘れられて、果てしなき忘却の淵に沈むならば、ここに歴史はその影を失ふ。歴史が成り立つためには、現代人による認識、理解、共鳴、同感を必要とする。死の(冥闇の奥深く、静かに眠る魂を(喚び起こし、之に命を与へて歴史の殿堂に迎ふる者は、現在人の認識の力である」
 共感する人があったとき、その人物は蘇えってくるというのだ。
 「火を伝へるものは火でなければならず、水を伝へるものは水でなければならず、同じ偉大さ、同じ高遠さをもつものにあらざれば、まのあたりに見、朝夕仰ぐといへども、その精神に触れがたく、之に反して同じ偉大さ、同じ高遠さをもつに(於いては、百里を隔て千年を中にして、東西古今相感ずる事を語るものである」 (『国史学の骨髄)』至文堂)
 私はこの文章を読んだとき、息をすることができなかった。
 まさにそうだ。歴史は単なる時間的経過ではない。雑多な出来事の堆積)なのでもない。その出来事の中に先人たちの魂の足跡が印されている。歴史は先人たちが後世の者たちに残してくれている精神的遺産なのだ。
 私は鹿児島に生を受けた。父は西郷さんを「せごどん」と呼び、さまざまなことを語ってくれた。長じて海音寺潮五郎や司馬遼太郎など、さまざまな作家の小説も読んだ。そして『西郷南洲遺訓』(岩波文庫)を読んだとき、こういう理想を実現しようとして呻吟されたのかと、頬を伝う涙を止めることができなかった。
 西郷は遠島三回に及ぶ悲哀をなめているが、鬼神すら泣かずにはおれない境遇で、詩や和歌を詠んだ。
 
 上衣はさもあらばあれ敷島の大和錦を心にぞ着る
 
これは西郷が奄美大島に島流しされていた文久元(一八六一)年頃の作だが、獄中の破れ衣の下には大和錦をまとっているぞという気概の和歌だ。この矜持が人間を凜とさせる。
 平泉先生が言われるとおり、私は西郷が「死の冥闇の奥深く」から蘇り、静かに語りかけてくるような感慨を覚えた。もはや百数十年前に死んだ歴史上の人物ではなかった。
 以来、西郷とは人生の岐路に立たされるたびに、語り合ってきた。
 南洲は私に日本民族の理想は何なのかを教えてくれた。 
 ――理想を成就しようとして闘った先人たちの苦闘の歴史を知らなかったら、私たちは根無し草になってしまい、ただ生活の糧を得るのに汲々とする者に過ぎなくなってしまう。だから私たちの先人にどういう人がいて、どういう闘いをしたのかを知ることは決定的に重要なんだ、と。
 そしていつの間にか四十年近い歳月が過ぎていた。その対話の所産が今回の本である。
 日本民族とは何なのかを発見することは、民族への誇りを取り戻すうえで決定的に重要なことである。その重要な作業に、本書が一助できれば、これほど幸いなことはない。


以上が神渡氏のコメントです。
安岡正篤の世界を語るうえで、絶対に無視することが出来ないのが、西郷隆盛の生き様でした。藩主島津斉彬に見出されたが、5年にも及ぶ島流し、そして幕末のわずか数年の間に薩長連合、大政奉還、倒幕、江戸城無血開城、そして明治になって廃藩置県、その他数え切れない実績をたてた人物。いったい何が西郷をそのような人物にしたのか。興味の尽きない本です。
ぜひご一読ください。

コメント(2)

薩摩が龍馬を暗殺した黒幕だという説もありますが、西郷さんがそこまでかかわっていたのか、とても思えないような感じです。

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