ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

東アジア歴史文化研究会コミュの中国に蹂躙されたチベット、その歴史と悲願

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
この度、チベット問題の専門家、桐蔭横浜大学大学院教授ペマ・ギャルポ氏に、7月9日午後6時からいつもの常円寺祖師堂で「中国に蹂躙されたチベット−その歴史と悲願」のテーマで語っていただきます。

今年3月、チベットで騒乱が起き、北京オリンピック開催を間近にして世界中から中国に批判が起こってきました。そもそもチベット問題とは何か。日本人にとって遙か遠い世界の問題でもあり、身近なこととして関心をもつこともありませんでしたが、この度のチベット騒乱をきっかけにチベット問題を学んでみることにしました。

1959年、ダライ・ラマがインドに亡命することになったチベット決起(動乱)からちょうど49年にあたる3月10日、ラサでは僧侶たちが平和的にデモを行い、それが死者99人(チベット亡命政府発表)を生む騒乱に拡大しました。

1949年に中華人民共和国が成立すると、朝鮮戦争のどさくさにまぎれ、人民解放軍がチベットに入ってきました。1951年の始めに、17項目の協定案を最後通牒として提示され、従わない場合は、より以上の軍事行動を展開する、と脅迫され調印しました。

1959年3月10日、ダライ・ラマは中共軍司令部での演劇に招待されていました。今まで東部チベットで、高僧が中共軍司令官からパーティに招待され、殺害、あるいは、投獄されるケースもあり、群衆は法王を中共軍の手に渡すまいと決意して宮殿を取り囲みました。

群衆は、何日経っても、宮殿のそばから離れませんでいた。3月17日、中共軍陣地から発砲された重臼砲の砲弾2発が宮殿の近くに落ち、ダライ・ラマはこのまま宮殿にいれば、中共軍と群衆の対立が増すだけだと考え、国外脱出の決意を固めました。群衆の指導者の協力も得て、ダライ・ラマは一兵卒に変装し、その夜、ひそかに宮殿を脱出しました。

これがチベット動乱のはじまりでした。中共軍は、3月19日午後2時から、宮殿に向け、一斉に砲撃を開始しました。集中砲火は41時間続けられ、宮殿はハチの巣のようになった。3日間で、1万から1万5千人のチベット人が殺され、宮殿の内外は死体で埋め尽くされました。

中共軍は、さらに「反乱を鎮圧」するために、チベット全土に戒厳令を敷き、23日までにラサだけで4000人を逮捕した。中共軍の内部資料によると、10月までに、ラサおよびその周辺地域で8万7千人のチベット人を殺害したという。

3月28日には、中国国務院が周恩来首相の名で、チベット政府の解散と、その職権を「チベット自治区準備委員会」に移すことを発表しました。

ダライ・ラマの一行約100人は、200名の兵士、ゲリラ兵に守られて、徒歩でラサから道もない広大な山岳地帯を南南東に進み、ヒマラヤの主幹をなす連峰を横断して、インドに亡命しました。法王の亡命後、数ヶ月のうちに、およそ8万人のチベット人が、同様に困難な国境越えをして、逃れてきた。途中で行き倒れになった人数は数知れないという。

チベット亡命政府は、1949年から79年の30年間に死亡したチベット人は、120万人をくだらないと発表しています。その内訳は、拷問17万3千人、死刑15万7千人、戦闘43万3千人、飢餓34万3千人、自殺9千人、傷害致死9万3千人。侵略以前のチベット人口が600万人なので、5人に1人が殺された事になる。チベット人の家庭で、家族が1人も投獄、殺害されていない家を見つけるのは難しいという。

仏教国家チベットには、6,259もの僧院、尼僧院があったのが、1976年に残っていたのは、わずか8つに過ぎない。仏像や装飾品などは、ことごとく中国本土に持ち去られた。59万人いた僧、尼僧などのうち、11万人強が拷問死し、25万人以上が還俗を強制されたという。

ダライ・ラマの働きかけで、国連総会は1959年、61年、65年の三度、「チベット人民の基本的人権と、その独特の文化的ならびに宗教的生活を尊敬することを要求する」と決議している。
近年、多くの国の議会がチベットの人権を尊重するよう中国政府に求める決議を行ってきました。たとえば欧州議会(1987-90,4回)、旧西ドイツ(1987)、イタリア(1989)、オーストラリア(1990,1991)など。アメリカの上下院は10回以上の決議を行ってきました。

1989年には、ノーベル平和賞がダライ・ラマに授与されました。ノルウェーのオスロ大学での受賞記念講演では、ダライ・ラマは「平和は私達一人一人の内から始まります。内的な平和があれば、周囲の人々とも平和を分かち合うことができます。」との信念を披瀝し、「非暴力による平和の追求」が世界の一大潮流になっていることを指摘しました。

これはあくまでも文献から抜き出したに過ぎない。この半世紀、ダライ・ラマの思いははかり知れないものであろう。チベットの人々の思いも同じであろうと思う。チベットの悲願はいつになったら達成されるだろうか。

コメント(2)

平成史学塾でも是非ペマ・ギャルポさんを講演者として呼ばれたら良いと思います。HPをみるとあらゆるテーマで講演されていますね。種類の多さに驚きました。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

東アジア歴史文化研究会 更新情報

東アジア歴史文化研究会のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。