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ジャン=リュック・ゴダールコミュのはじめまして

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コメント(217)

初めまして。
『軽蔑』を観てこのコミュニティへ参加します。終わった後も「まだ観ていたい」、こんな感想は『東京物語』以来です。

登場人物のシンプルな関係性と、自然物や人工物が織り交ぜられた舞台装置、音楽に身を任せることが出来ました。今さらながら、凄い方だと気付かされました・・・ウッシッシ
「男性・女性」を久しぶりに観ました。
シネマ・ヴェリテの手法を導入して、当時パリの男女に迫る描き方は何度観ても良い作品です。

何かお話しできる事がありましたら、宜しくお願いします。
> くるねじさん
はじめまして。宜しくお願い致します。
私も『男性・女性』は大好きです。
この作品は、非常にイデオロギッシュな『中国女』のそれを払拭した時に裸形となる、ゴダールの恋愛論の提示であり、彼の長編処女作『勝手にしやがれ』でジャン・ピエール・メルビルへのインタビューをシネマ・ヴェリテの手法で劇映画に導入した、自己の作品を引用するという批評眼の露呈とも言える作品ですね。
私には何故か、イタリアのシネアスト、マルコ・ヴェロッキオの『ポケットの中の握り拳』の冷徹さを触覚的に察知しました。
これは週刊誌的ネタで恐縮ですが、かの蓮實先生の奥方も出演(?)されており、大変興味深い映画です。
はじめまして

ゴダールは

カルメンという名の女

が好きです

よろしくお願いします

はじめまして、「中国女」から「気狂いピエロ」の頃のゴダールが、最も好きです。
「パッション」も良い映画でしたが、ゴダールは、タルコフスキーになりたがっていたような、印象を受けました。ゴダールの映画で、フランス語のリスニングの勉強をしていた時期があります。よろしくおねがいします。
気狂いピエロが一番すきです、
ランボーの詩を使うところは特にいいです。
>>[198]
はじめまして。宜しくお願い致します。
あのランボーの詩の流れる場面の海のロング・ショットは溝口健二監督の代表作『山椒太夫』のラスト・シーンの引用として有名です。
確かに酷似しております。
溝口健二監督の冷徹なリアリズムを溝口を師と仰ぐゴダールのエキセントリックなパトスの表出による映画内映画のメタレベルの領域から見事に逸脱したロマンの芳香さえ漂うゴダール自身の若き自我の蘇生であり、彼の映画が物語の分節化と政治的言説の表出により映画文体に変容を来す前触れとして記憶すべき名場面ですね。
>>[199]
溝口健二の『山椒太夫』の件は知りませんでした!。
とても興味があるので、今度見てみますね。
しかし日本の作品は、ほんとに海外の監督に影響をあたえていて面白いですね。
>>[201]
はじめまして。確かにゴダールは他に比して異色なシネアストだと私も確認していますが、もう少し具体的に披歴して頂きたく思います。宜しくお願い致します。
はじめまして。「ゴダールの60年代」という立派な本がでましたのでお知らせします。以下は小生の感想文です。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1887652295&owner_id=5501094
>>[205]
はじめまして。ゴダールの1960年代の作品は前期と後期でかなり変化を被ったと私は考察します。
前期はハリウッド映画への傾倒を全てB級予算の範疇でシミュラクルし、そこにゴダール独自の批評性を顕示する事で、映画をより鮮明な領域に押しやる作業に従事した作品群があります。
そして『気狂いピエロ』。この眼の覚めるような映像のスピードと、大胆なカッティングが目眩を醸すメタ映画。
そして政治の時代へ突入し、彼の作品はハリウッド映画への侮蔑をあからさまにする、短編的長編という物語の分節化へと、変貌を遂げる事になります。
このように、パリの5月革命が象徴する1960年代のゴダールは、まさに映画の生き字引として君臨し、一般的には常に映画史を横断する事で、彼自身のアイデンティティーのメタファとして、不覚にもその平板な領域を陥没させ、そこにゴランとの共同体的戦略を息づかせた、反商業的な亀裂を伴う起動性に溢れた闘争のエチカの到来を、告げる事になります。
1960年代のゴダールのトポスの力は、まさに映画の概念そのものを露呈し、映像のエクリチュールにドキュメントの持つ加速度と無暗にも戯れる不確実さが、映画にメタファの嵐を吹き込むという、些か倒錯性に溢れた作品群を生成したのです。
この辺りから彼の映画は、日本では未公開となりました。まさに特別視されたのです。
何やら現在の世界の状況から考えると、1960年代のゴダール作品がよく日本で公開されていたなという、そんな遊撃の美学の意匠を彩ったまさに波乱万丈なデケイドですね。
>>[206]
はじめまして。おっしゃるようにゴダール選手も時代と共に大いに作風が変化してきましたが、基本は変わっていないと思います。私もゴダールが大好きでして、むかし彼に頼んでアパレルメーカーのテレビCMをつくってもらったことがありますが、なかなか興味深い人物でした。
>>[207]
>むかし彼に頼んでアパレルメーカーのテレビCMをつくってもらったことがありますが、なかなか興味深い人物でした。
凄いですね!!
はじめまして!
ゴダールの映画が好きです。彼の撮る映画に出会って映画というものの見方が変わりました。
好きな作品は「ウイークエンド」「たのしい知識」
まだまだ未熟者ですが、もっとゴダールの映画や彼の考え方について深く知っていくことができればいいなと思います。
よろしくお願いします。
>>[210]
はじめまして。宜しくお願い致します。
『軽蔑』は私も大好きです。1960年代のゴダールはヒロインを主人公に据えた本作品(この映画の映画脚本家ピコリはバルドーの生け贄の如き者。ゴダールにとってシナリオとはあくまでも物語の断片の連結器で繋がれたドレス。彼は処女作から分節化された物語の捏造に終始してきました)や『女は女である』『恋人のいる時間』そして止めは彼独自の物語の捏造装置に政治的言説のドキュメントが融合した傑作『中国女』『彼女について私が知っている二、三の事柄』など。
『軽蔑』はモラビアの原作を骨格とした私にとっては『勝手にしやがれ』の女性版であり映画を撮る事に加担する事は犯罪を犯す事に等しい行為だと認識した次第です。故に映画人を組織化した『右側に気をつけろ』はそのリゾームの繁殖と壊滅の過程が如実に観る者に不意討ちを喰らわす野生の思考に順応したもはや映画という枠を逸脱したコスモポリタン・ゴダールの『オデュッセイア』の領域つまり神話の域に達しました。
アンナ・カリーナを伴侶とした1960年代のゴダールの女性たちはトリュフォー作品のヒロインに拮抗するかのようにフェミニンな魅力に溢れて実にイキイキとしていた。
『パッション』以降は映画内の人物全てがギリシャ神話の登場人物に準えられ物語よりも映像がもつ強度の密度が濃密になりその神話作用がスピードと意匠の簡素さを纏う事で映画全体を二重拘束する抑制機械をまさに破断させるに足る分節化の勝利を謳歌したようです。その意味では哲学或いは神話映画といったカテゴリーを構築しましたね。
はじめまして。

ジャンリュックだいすきです。学生の頃はゴダール特集があると、レイトショー、2本立て行きまくってました。アンナ・カリーナのかわいさが画面から飛び散ってる作品がやっぱりすきです。
中でも、女は女であるがだいすきです。

昨年末、やっっっと、東風を見ることができました。こちらも興味深い作品でした。

よろしくおねがいします。
相談があります
ご存じの通り2月12、13、19、20日にアテネフランセにて『映画史』の講義がありますが、私用で12日(火)だけ行くことができません

どなたか12日の講義の音源を提供していただけないでしょうか
謝礼は致します、また私は13、19、20日の講義は行くのでその音源を引き換えでもかまいません

どなたかいらっしゃいましたらメッセージ機能にて連絡をお待ちしております
はじめまして。
熊本の行政書士です。
よろしくお願いいたします。

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