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篠栗*南蔵院コミュのほとけの里通信220 H20.6

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『大下弘先生と野球少年』
西武ライオンズの前身の西鉄ライオンズのユニホーム復刻。福岡から埼玉へ移転して30周年を記念する。昭和31年から3年連続日本一に輝いた。その中心にいたのが大下弘選手。
著書『品格ある日本人』に野球少年たちの心の交流が描かれている。

ライオンズに移籍した大下は地元の野球少年を集めてチームをつくり、指導を始める。用具類や経費はすべて負担した。
大下選手は不幸な少年時代を過ごした。母一人子一人。だれも頼る者がなく、極貧暮らし。食べるために働く母とともに台湾に転居している。
『私が野球を知らなかったら、ぐれていたかも。野球に没頭することで、前向きに生きられた』野球少年たちに、生きる目的と情熱を与えたかった。
指導は厳しく、しかし、温かかった。
大下選手はライオンズ退団し、福岡をさる時、博多駅には多くの野球少年が見送った。『さよなら、大下さん!大下さん!』と叫び続けた。
大下に教えられた野球少年の何人かが九州大学医学部に入学し、後援会はここからはじまった。
最高の勲章…
大下は昭和54年に56歳で死去した。
葬儀の日、野球少年たちは棺に眠る大下に頬ずりし、『大下さん、いっちゃだめ!』と泣いた。
出棺時、棺は少年たちにより担がれた。かって大下選手が手に入れたホームラン王や最高殊勲選手賞よりも、人間、大下にとって最高の勲章となった。
………
ほとけの里通信220号
2008年6月より

コメント(1)

今日、南蔵院にお参りして、ほとけの里通信をいただき
帰りの列車で読みました。
実は私の父が若かりし頃、それはもう熱狂的な西鉄ライオンズびいきで
さっそくこの記事を実家に届けました。
父は今日、留守だったのですが読んだらきっと懐かしく思い出すことでしょう。

現在はシアトルマリナーズで大活躍の、元ホークスの城島健司選手も
少年野球をしていた時、王さんに指導された経験が大変な励みとなり
あの指導で出会わなかったらここまで野球をしていなかったかも、と、
何かの記事で読んだ記憶があります。
なので、この大下選手のなされたことは未来の選手育成につながる
大きな役割を果たされた、と、思います。
最後の三行が読んでいて涙が出そうになりました・・・。

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