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スタニスワフ・レムコミュの「泰平ヨンの航星日記」新訳版の「資料に対する覚書」について

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 「泰平ヨンの航星日記」の新訳版の中に掲載されていた「資料に対する覚書」(本文14〜15頁)の意味がもうひとつよくわからない。「航星日記」は以前にも書いたようにポーランドで57年に発行されたIskry社の初版以来、50年以上版を重ねてきたのだが、その内容は少しずつ改訂され、序文も4つのタイプが存在する。この「資料に対する覚書」は、76年に発行された〈読者(チテールニク)〉社版に収録されていたもので、今回はじめて日本で訳された。

「銀河系知見委員会が、私が現在作成している演算解析された「航星日記」と呼ばれるTIT(原注1)の原版をPSC・ITTDCPに渡すようにと通告してきた事実をお伝えしておく。」

 という全文から始まる文章は、アルファベットの略語が多く、不明な点が多い。PSC・ITTDCPって、いったいなんだろう? 訳してみたもののうまく日本語にならない。最初のpresidium of scientific council institute tichologyは、泰平学科学評議会学会を統轄する機関という意味らしいのだが。おしまいの方のconpasion and prognosticはどういう意味なのだろう? Compassion(同情、哀れみ)という言葉は英語の辞書にあるがconpasionという言葉は辞書にはない。Prognosticは予知、前兆という意味である。

 なぜこんなに略語が多いのだろうか? わかりやすい71年の増補改訂版の前書きにひきかえ、追補された分は嘆願書のような形で、当事者以外には理解しにくい書き方になっているように思える。

 例を挙げれば

「TITの章立てに一般的な泰平ヨンの記憶と呼ばれるものと同じ箇所が含まれているのであれば、PSC・ITTDCPは、印刷が遅れている現在の最終版か、泰平ヨンの記憶に基づかない、「航星日記」のどちらかをえらぶことになる」

 というところから続く文章や、追記の部分の

「現在の版は、泰平ヨンの「第12回目の旅」と「第24回目の旅」を含んでいない。これらを含めることによってレオニード隕石からのニコレフ・マンガン結晶の効果を説明できるという画期的なものになるのだが……」

 からはじまるパラグラフは、意図的に意味をぼかされているようではっきりしないし、12回と24回の旅が76年版の本から削除されなければならなかった理由も、よくわからない。

 なぜレムはこんなわかりにくい書き方をした覚書を本の冒頭に載せなければならなかったのか? 気になって以前レムのオフィシャルサイトから出されていた書誌を調べてみたところ、次のような一文があった。

6. 1976 ed. of Dzienniki gwiazdowe by Czytelnik contains also "Nota informacyjna" ("An Informational Note"), in which Professor A.S. Tarantoga explained why that ed. of Dzienniki did not contain the reminiscences and two voyages (Twelfth and Twenty-fourth).The official reason given for the absence of the reminiscences was proceeding with an inventory of Tichy's own memory.The formal reason given for the absences of the two voyages was that the composition of the book was hit by a meteorite stream (named Leonides - a clear allusion to Leonid Brezhnew, then all-powerful first secretary of the Soviet Communist Party - CPSU).

 訳してみると、次のような意味になる。

〈読者(チテールニク)〉社による1976年版の航星日記は、「資料に対する覚書」も収録されている。A.S.タラントガ教授が、なぜこの航星日記の版に回想記と二つの旅(12回と24回)が収録されていないかを説明したものである。回想記の欠如は、泰平ヨン自身の記憶の棚卸しが続いていたというオフィシャルな理由があたえられている。二つの旅の欠如については、本の組版に隕石雨が当たったせいだと、フォーマルな説明がされている。(レオニードと名前がつけられたこの隕石雨は、当時ソビエト共産党(CPSU)で全権をもっていた書記長、Leonid Brezhnew(レオニード・イリイッチ・ブレジネフ)を明らかにほのめかしている)

 71年にワルシャワで発行された「航星日記」はエクスパンド・エディションで、「航星日記」編と「回想記」編のふたつが本に収録されていた。(ちなみに日本では昭和55年にこの版を訳本としてハヤカワ文庫SFから「泰平ヨンの航星日記」、「泰平ヨンの回想記」として2冊に分割して出版されている)ところが、その後76年に発行された〈読者(チテールニク)〉版では、12回と24回、さらに「回想記」が全部削られている。これについては当時、旧訳版の翻訳者である深見弾氏も不思議に思い、あとがきの中でふれていたが、この文を読むかぎり「資料に対する覚え書き」が掲載されたのは、読者に対するお詫びとその理由をかなりぼやかして説明したものだったのだろう。

 作品が削除された理由は、旧ソビエトのブレジネフ書記長の名前が出ているところから見ると、当時の検閲にひっかかったせいか。とすると、冒頭の

「銀河系知見委員会が、私が現在作成している演算解析された「航星日記」と呼ばれるTIT(原注1)の原版をPSC・ITTDCPに渡すようにと通告してきた事実をお伝えしておく。」

 という文も12回目と24回の旅の内容が出版に不適当と考えられ、「泰平ヨン」が発禁処分の対象にされかけていたとも読めるのだが……。

 問題となった12回と24回の旅だが、なかでも24回はこんな話である。

 ヨンはロケットである惑星にやってくるのだが、その星の大陸が規則正しい幾何学的なパターン模様でおおわれているのを見てびっくりする。着陸して調べたところ、秩序だった模様を構成しているのは直径50センチほどの奇妙な錠剤型の形をした、おびただしい数の円盤だった。その後、この星の住民を求めて大都市へと向かうが、あたりにはまったく人影がない。家や巨大な高層建築物や広場はあるが、破壊や大災害の痕跡がないのに、すべては捨てられたように荒廃している。ようやく、ほっぺたにあばたを散らしたような目が十個もある人間に似た生物を見つけて、その理由をたずねる。

 もともとその星の住民はすべての者が協力して公共のために働く社会を作り、幾世紀も平安と協調と調和の中で暮らしていた。だが、労働を軽減するためいっさい人の監視がいらず、ひとりで動く機械を発明したところから、破滅がはじまる。工場にこの機械がどんどん設備されるにしたがって、おどろくほど安い商品と優れた製品が市場に出回るが、冨が一部の層に集中し、それ以外の多くの者は職を失って収入がないまま飢えてしまう。時が進むにつれ状況はより深刻になり、工場の倉庫の中には買うもののいない商品が山積みになり、住民の多くは、ばたばたと餓死してゆく。

 ヨンはここで、なぜ新しい自動機械の恩恵を社会全体に受けられるよう、工場を私有から公共の共有財産にしなかったのか、とこの星の人間に問うのだが、彼らは何人といえども、当事者が望ぞまざれば、いかなることも人に強制、強要、あるいは服従をしいることをあたわずという自由主義をもっとも貴いものと考えるものたちだった。

 状況はさらに悪化し、この星の文明は経済と社会が崩壊する深刻な危機に見舞われてゆく。指導者たちは事態を打開するために最高の秩序と完璧にして絶対的な秩序の強化維持の実現を行うことを終局目的とした「絶対秩序自由普及装置」という巨大な機械を造りあげる。そして、それに国家統治権を全面的に委譲して稼働させるのだが、事態は思わぬ方向へと進む。

 この思考能力をもつ奇怪な鉄のシリンダーの塊のような機械は、その分身ともいうべき小型の黒いオートマトンをぞくぞくと生みだし、惑星の隅々へと送りだしてゆく。オートマトンが工場に現れては、金を払って品物を買い、山積みされた在庫品を一掃してゆく一方で、本体は、大量の資材をのみこみ、煙を吐き出して、人々を招くための「虹宮」とよばれる宮殿を建設する。そして、機械はその金属製の唇を開いて、門がひらかれるとき中に入るものは誰であろうと宮殿内にあるものを自由に食べることが許されるだろう、と広場の群衆に向かって語りかけるのだった。こうして惑星中から幾百万もの人が「虹宮」めざして押しよせてくる。門がひとたび開かれるや、宮殿前の広場では人で埋めつくされ、黒いオートマトンが清涼飲料や強壮食品を配りはじめる。夜となく昼となく陽気な行進曲がながれ、人の河は絶えることなく「虹宮」の中に流れこんでゆくのだが、そこから帰ってくるものはだれひとりとしていなかった……。

 人々が気がついたのは門がひらいてから二週間以上たった夜のことだった。ある者が騒ぎだし、つめかけていた群衆は恐怖に駆られ、蜘蛛の子を散らしたようにその場から逃げだす。翌日の夜、勇気のある者たちが闇に紛れて様子を窺いに行ったとき、彼らが見たのは「虹宮」の裏の壁がひらいて、中から無数の光る円盤が転がりだし、黒いオートマトンたちがそれを原野に運んでいろんな図形や模様にならべている姿だった。

 話の終盤で、「絶対秩序自由普及装置」は、あたえられたコマンドである、絶対的秩序をつくりだすために、独自の解釈を行い、その星の住民の生物学的な生存条件を変えるところまで踏み込んだことが明かされる。秩序を重んじるばかりその星の人間の肉体的な違いや個性、行動というものさえも装置は完全否定してしまい、肉体の物質を転換し、新しい外見で何世紀も生きることができるよう生態学的に改造していたのだった。ヨンが荒野で見た整然と秩序だって並べられた無数の錠剤型の小さな円盤は、この星の人間たちのなれの果ての姿だったのである。

 仕事の量を減らすために導入された自動機械だったが、その星の社会では自由主導権を重んじるあまり資本主義の暴走を招く。そして、問題を解決しようとあせるあまり、右に大きく振れた振り子が、同じ力で反対の方向に振れるように、今度は全体主義の暴走とも受けとれるような、破滅的な事態を招いてしまう。この物語を読んだとき、資本主義と同時に全体主義体制をも批判しているように感じたのだが、やがて完全な国家を目指そうとするつよい政治の力や社会上の制度は、つねに危険を孕んでいることを暗示してるようにも思えてきた。


 ……チテールニク版「航星日記」が出される5年前の71年に「泰平ヨンの未来学会議」は発表されたが、その小説の中で描写されたのとおなじ暴動が現実に国内で起こり、問題になりかけたとレムがインタビューで語っていたのを読んだ記憶がある。70年代初頭のポーランドは、経済の不審で、食料品などの値上げをきっかけに、ストライキと暴動が起こり、軍と警察が武力介入したことから大規模な流血事件も起こった。その後、指導者が替わって、西側からの資本を呼び込んで経済成長をはかろうとするのだが、経済効率の悪い投資の導入はじきに破綻する。債務の返済ができず、自国通貨の価値が下がって国の経済はますます悪化した。おかげで70年代の半ばには反体制活動が少しずつ拡大し、やがて戒厳令が敷かれるまでに至ってしまう。作家の中には作品の中で体制批判を行ったために、作品は没収、処罰され、国外退去させられた者たちもたくさんいたという。チテールニク版「航星日記」が発行されたのは、そのような不穏な時代だった。

 この時代の社会主義国家の作家をとりまいていた厳しい状況については、ロシアのストルガツキィ兄弟のひとりボリスが、体制を風刺した長編「滅びの都」の「まえがきにかえて――日本の読者へ」の中でふれた箇所がある。

「われわれが作品の構想を練りはじめたのは一九六八年で、この小説がわれわれの存命中に発表されることがまずありえないことは最初から分かっていた。以下がわれわれの計画だった。書きあげ、三−四部タイプしてからそれをいろんな出版所と編集部に送る――出版するためではなく、人に読んでもらうためである。さらに、ああした状況下ではつねに「自己増殖」が起こるということを経験上、知っていた――コピーの数は幾何級数的に増え、読者の数が幾何級数的に増えていくと。

しかし、このささやかな計画が陽の目を見ないことは、すでに七〇年代初頭にはっきりした。この作品はわが国でたんに「通らない」ではすまないことになった。危険ということになったのである。これを手放すわけにはいかなかった。勝手に泳がせたなら、編集部に渡るのでも出版所に獲るのでもなく、以前ワシーリィ・グロスマンの小説に起きたように作品が差し押さえられる恐れがあったのだ。

そのため一九七五年に小説が完成した時、われわれはそれを三部タイプして、われわれがまったく信頼しているが、同時にわれわれ著者に何かあった場合、われわれのもっとも身近な友人には数えられていないので当局の手が及ばないと期待できる誠実な人々に「永久保存」してもらうべく配った。

 ロシアの読者も含め、現代の読者は、当時のわれわれの危惧をもはや理解できまい。今の読者は「通らない小説」が何のことかまったく分からないし、検閲が何なのかも知らない。……」

     「滅びの都」(A&B・ストルガツキィ著 佐藤祥子訳 群像社刊)

 文中に出てくるワシーリィ・グロスマンは、旧ソビエトの反体制作家。1960年の10月に雑誌編集部に原稿を提出したところ、4ヶ月後の1961年2月、KGBがいきなり家にあらわれ逮捕された。その際、書きかけの手稿、カーボンペーパー、タイピストのコピー、タイプライターのインクリボンまですべてがKGBに証拠物件として押収された。その後、グロスマンは癌にかかり3年後の64年に死去する。

 作品中でも風刺色の強い「泰平ヨン・シリーズ」だが、レムが改訂版を出し続けたのも、激しい時代の波のなかで、身の危険を感じていたことが、その理由のひとつだったのかもしれない。



コメント(15)

 えっ……(絶句)。レムは投獄されていたのですか。詳しい話を知りたいのですが。

 グダニスクの造船所で連帯がストライキを起こし、戒厳令が出たあとでしたか、翻訳家の故深見弾氏が彼と会い、心配して様子を聞いたところ、
「今、国中が混乱して大変なときなので、発表するものには注意して欲しいと、という事を、政府の役人が言いに来ただけで、何も拘束されるようなことはなかった」
 と話していたのを、当時の雑誌で読んだ記憶があります。投獄の話はその何年か前のことですね。

 76年に彼は国から勲章をもらっていたので、その話が確かだとすると拘束されたのは77年から79年の間ですね。 俄かには信じられない話です。詳しい経緯を知りたいものです。
>海外で出た版が国内に入ってきてしまい、官権に知られたようです。

 あの国では、過去出版できた本でもその後の国内情勢によっては、再販すると逮捕されることがあるのですね。彼の場合、国家騒乱罪にあたる法律にひっかかったわけか。いまのポーランドでは、どうなっているかわかりませんけれども・・・。

 以前、ある作家の先生から、タルコフスキ−が西側に亡命したとき、レムも亡命するかもしれないと思ったという話を、ちらっと聞いておどろいたことがあります。裏でそんな事情をご存じだったのかもしれません。


 投獄の話を聞いてからの「大失敗(久山宏一訳・国書刊行会)」から「訳者あとがき」の部分が気になって、あらためて読みかえしてみた。

「レムの創作歴のなかで、一九七六〜八〇年の期間はまことに謎めいている。七六年に「泰平ヨン」シリーズ(五四〜)と『宇宙飛行士ピルクス物語』(六八)の続編などの短篇を収録した『マスク』『補遺』、それに『捜査』(五九)の路線を魅続した「現代小説」『枯草熱』を刊行した後、はとんど新しい作品を発表しない四年間の沈黙に入ってしまうからである。」(412頁)

 どうやらこの間に、レムは投獄と出版物の禁止のような状況におかれていたらしい。おなじところにはポーランドの出版について書かれた部分があった。

(二)思想統制と中央計画経済のポーランド人民共和国では、あらゆる書物の奥付に、?発行部数、?組版の開始日、?印刷契約の調印日、?書店での流通に回される年度が列挙されていた。一般に「刊行年」とされるのは?であるが、筆者の記憶では、それと実際の流通が一致しはじめるのは毎年二月半ばくらいからだった。当時の読者は、これらをもとに、検閲と紙の供給をめぐる実にさまざまな憶測をめぐらせたものだった!

 ここまで厳格に国家が本の出版を管理していたとは――これほど統制が強いと社会全体に停滞や澱みをもたらしたろうに。おそらく、レムは投獄されたこともあり、当時の政治の先行きに絶望して、戒厳令が布告された82年から6年ものあいだ、西ドイツやオーストリアの首都ウィーンで家族を連れて暮らすことにしたのだろう。パリの亡命雑誌に匿名で時事評論を執筆していたところをみると、西側への亡命という考えも、時には心の中をよぎったかもしれないけど・・・。

>海外の版が入ってきて、自国の作家の作品を外国語で読んでいたというのは共産圏では普通にあった話です。ストルガツキー兄弟の「波は風を消す」などは英語版でアエリータ賞を取っていましたが(^^;;

 自国語で書かれた本を、よその国の言葉でしか読めないというのは何とも……。
 読めるのは、言葉の才能を持つほんとに限られた一部の人間だけでしかない。レムが書いた「エデン」の単行本(海外SFノヴェルズ)の250頁には、「……彼らが集団以外の誰とも共通の言語を見いだせなくなるように、機能が分割され、……」という一節があるのだが、ふと思い出した。小説に出てくる惑星エデンの、南の谷間に追いやられ、まわりから隔離され、互いを監視しあう複体生物の集団の話は、そのまま当時の社会を語っていたようにも感じる……。
 サンクト・ペテルブルグでボリスとお会いになる予定ですか。何ともうらやましい……(^^;)

 もし日本で彼に会うことができれば、兄のアルカジイの死によって断念せざるをえなかった「正午宇宙」シリーズの最後の作品、「White Ferz. (Белый Ферзь)」――直訳すると「白い女王」「Ferz」はロシア語でチェスのクイーンをさす――や、一連の作品の中に、その存在がほのめかされるだけで最後まで姿を現さなかった「遍歴者」(ボリスは「遍歴者」の文明が、?さまざまな種類の超知性体?から成る文明であり、「超人類」はその一部であると話していたそうです)、そして、最後まで謎を残して終わった「リットル・マン(こびと)」の事などを聞いてみたいですね。

「White Ferz」は、ネットで調べてみると「収容所惑星」の直接の続編で、プログレッサー(進歩官)であるマキシム・カンメラーが、「島帝国」にふたたび潜入する物語だったと解説が出ていました。

 設定では「島帝国」は三層の社会から構成されており、いちばん外側の層は軍国主義の社会を象徴し、中間の層は平和的な自由主義者の社会、そしていちばん内側の層は高度に発達した調和的社会、「真昼−−22世紀」シリーズの地球に似た社会があります。

 「島帝国」には市民を監督するための特別な社会的組織なり装置が存在し、彼らは自分たちの属する社会や個人それぞれの性格に応じて管理されます。物語ではこの残酷な社会選択が、社会的ユートピアが存在するもっとも現実的な(あるいは唯一の)方法としてしめされます。そして、それと対照するように、「真昼−−22世紀」宇宙の地球の姿が現実に存在できるものなのかどうか――物語のおしまいでマクシムが「島帝国」の核を構成する社会の指導者たちのひとりと会ったとき、その人物は、あなたの「地球」こそ虚構の世界ではないか、と彼に問いかけます。(文学で創造された世界は、はたして現実に存在できる可能性があるのか――アルカジイとボリスは、この物語で自分たちが半生をかけて描いてきた世界に、最後の審判者としての役割を果たすつもりだったようです)

 それと、もうひとつ。

 「路傍のピクニック」のことで前から疑問に思っていたのですが、あの小説の中に出てくるゾーンは、セミパラチンスク核実験場での核事故や、マヤーク核施設で、施設内のタンクに貯められていた高レベル放射性廃液が爆発し、大量の放射能が外に出た事件――ウラルの核惨事をかなりぼやかして描いたものだったのでしょうか。

 じつはウクライナのゲーム会社が出したゲーム・ソフト「S.T.A.L.K.E.R. SHADOW OF CHERNOBYL」のプロットを読んでいるうちに、あの物語が何をモチーフにしていたか、ゲームの作者たちは読みとっていたような気がしたのですが・・・。

 1957年にソ連ウラル地方チェリャビンスク州で放射性廃棄物のタンクが崩壊熱で爆発、粉塵が高度1千メートルまで舞い上がり、周辺区域の住民の一万人が避難、放射能汚染で数万人の人間が被爆し、癌で多くの人が亡くなったことは、旧ソビエト政権下では長いこと極秘でした。76年にソビエトから亡命した学者が「ニューサイエンティスト」に掲載した論文で事故の存在が示され(当局は否定)、それから十数年後のグラスノスチで、実際に大惨事が起こったことが明かされるのですが・・・。

 「路傍のピクニック」で描かれる無人のハーモントの都市の描写、「ゾーン」から病気が流行りだすといった噂や、主人公レドリック・シュハルトの娘が身体的な異常を持って生まれてくるといった設定、そして、77年に公開された惑星ソラリスのパンフレットにこの作品の映画化が紹介されたとき、「“果てしなき未来が現代に伸ばした強力な魔手”であった。」といった説明がなされていたことを考えると、どうも、核の存在が物語の中にそれとなくふれられていたようにも思います。

 この小説が書かれた72年当時、ストルガツキィは、情報管制下におかれていた核事故のことを、どの程度知っていたのか?

 もし事件が公にされていたら、ソビエト政府に対して猛烈な反感が起こり、暴動やテロが起こって、多くの人が死ぬような事態になったかもしれません。そう考えると「路傍のピクニック」は、相当危ない橋を渡って書かれたように思えるのですが……。

 旅の無事をお祈りします。
 時間があいてしまいましたけど、ボリスにはお会いすることができましたか。
 彼は現在の混沌とした世界状況をどう見ているんでしょうねえ。
 旧共産主義社会を経験した者の目に、いまの無秩序なグローバル化で混沌としてしまった世界が、どう映っているか……。
 60年代に発表された「収容所惑星」は20世紀の核戦争後の地球をイメージして書かれたようなところがありましたけど、ボリスがいまの世界になにを見て感じているかには興味があります。

 「収容所惑星」の続編「白い女王」ですが、そのひとつ前の作品「波は風を消す」では、主人公マクシム・カンメラーは89歳の老齢でした。「収容所惑星」で彼がはじめて登場したのが20歳のときでしたから、70年近くの年月がたっています。
 現実と小説の世界、両方とも橋の下をおびただしい量の水が流れていきました。
 ボリスはいまの私たちにどんな伝言をつたえようとしているのか……。
「Webで連載しているオフラインインタビューは復活しているので・・・」

 これはオンライン・インタビューのことでしょうか?
「Strugatsky Brothers - Russian SF Writers」から「Aelita's Strugatsky page」を見てみましたが、「404 File Not Found」の文字が出ていまして・・・。おっしゃっているのは、ロシア国内向けのキリル文字で書かれたサイトなのかもしれませんね。

「ボリスとしては、世界のフラット化を大歓迎しています。秘密も何も無くなり、発信した情報が消されることもなく流入・流出する社会。政府の発言よりも、一人一人の発言が抽出されるようになった社会。三十年前には考えられなかったことですからね。」

 ソビエト連邦下では、情報については、外に向かっては一種の鎖国、内に向かっては極度に管理化された状況でしたね。
 というのも、さまざまな共和国や民族が集まって出来た、寄り合い所帯の、あれだけ巨大な連邦国家でしたから、統治者の頭の中には、ひと言の言葉がきっかけになって民族紛争や政治問題に火がつき、内乱勃発、ひいては連邦の分裂へと収拾のつかなくなる事態になるかもしれないという恐れが、たえず頭の中にあったのでしょう。ソビエト崩壊の時も、ゴルバチョフが共和国間の戦争の勃発を一番心配してましたから。
 最近、ちょっと時間が取れなくなり返事が遅れてすみません。
 ルースカヤ・ファンタスチカ(rusf.ru)のサイトを見て、ボリスの書き込みを見つけました。残念ながら英語で書かれていなかったので、不明瞭な機械翻訳に頼らざるを得なかったのですが・・・。ネットではファンがキャメロンの「アバター」は、ストルガツキィ兄弟の「Noon Univers」シリーズの盗作だと騒いでいるようですね。

 ・・・しかし、ほんの十年かそこら前までは、ロシア圏の作家の情報はSFマガジンか、その他のSF雑誌を通して数カ月遅れで入ってきたものですが、今はネットでほぼリアルタイムで入ってきます。本当に凄い時代になったものです。

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