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王子小劇場コミュのお芝居の感想

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王子小劇場または王子にゆかりのある劇団や団体さん、役者さんが出演する公演のレビュー用掲示板です。ですがコミュ参加者が関わる団体へのレビューは書きづらいかと思います。ですのでちょっとしたルールを決めました。

◆観客として観たみなさんが辛口のレビューを書くときは、主観的な「感想」ではなくできるだけ客観的な「批評」として記してください。具体的にどこがどういけなかったのかとその理由、どうすればより面白くなったのか、などですね。

◆辛口に書かれてしまった団体の方はここで反論や言い訳をしてはいけません。「劇評」として真摯に受け止めましょう。少数でも多数でも、大切なお客さまの意見です。

◆レビューを読む方は逆に、書かれた意見は良いものも悪いものも多数ではなく、あくまでひとりのお客さんから発された感想・批評であることをココロに留めてください。レビューは目安にはなりますが、お芝居の価値を決めることは出来ません。

まぁかんたんに言えば「モラルを守って書きましょう」ということですね。

あ、もちろん「ここでの報告は義務ではありません」。お芝居を観て何か思うこと、感じたことを伝えたいときにお使いください。

それでは、よろしくお願いします。

コメント(4)

36000秒。
もし行かれる方は出来るだけ早く、創作中から行くことを推奨します。
朝一から行って中抜けはありかも。
後半の日程は26,27,28の3日間。
いずれもAM9:30スタート。
18時くらいから照明仕込などで1回劇場から退去することになるようです。
初めて書き込みます。支援会会員のえびはらといいます。
毎週、劇場にお邪魔していて、楽しくお芝居を見させてもらっています。そのお礼というわけでもないですが、何か私にできることないかと思いまして、簡単ですが見た芝居の感想を書こうかと思います(私自身のmixi日記からの転載ですが)。ご笑覧ください。

カムヰヤッセン『レドモン』

人間そっくりだけれど赤いシッポをつけた宇宙人、レドモン。ふらりと地球にやってきてふらりと繁殖したけれど、人間に気づかれ政治的摩擦から地球外退去を求められる。それでも地球にはレドモンが結構いて、そことかこことかあそことかにもいるみたい。レドモンを見つけたらすぐに通報しなければならない。通報されたレドモンは母星へ強制送還。でも人間との交配が続いたレドモンは母星では生きられないので、実質的な死刑宣告。レドモンを取り締まる広報活動をしている厚生省の面々が主たる登場人物だけれど、そことかこことかあそことかにレドモンが出てくる。かばったり狩ったり、家族を作ったり通報したり、仲間を守ったり逃げたり。人間とレドモンの追いかけっこは続く。

PPTで演出家がいみじくも言ったように、私たちの社会は「差異がないのだから、差別してはいけない」という道徳律があるが、これは「差異があれば、差別をして良い」へと容易に反転しうる。レドモンの赤いシッポは、一つの根拠として物語の中心にある。ところが芝居をずっと見ていくとすぐに気がつくが、このシッポの根拠は存外、適当なのだ。街中のレドモンは基本的にシッポを腹にまいて隠している。でも、家やなじみのバーではたらりと垂らしていて、それで大丈夫ならば大丈夫なのだが、気を抜いてたらりと垂らしているところを、見られてはいけない人に見つかってしまい強制送還つまりは死刑なんてことにもなったりするので、実は全然、大丈夫じゃない。それでもレドモンたちはシッポを隠すことに切迫しない。また、追いかけるほうも追いかけるほうで、ハインラインの『人形遣い』よろしく身体検査とかをやればいいのだが、そんなことはやらない。かなりいきあたりばったり。このあたりで見ているものははたと気がつく。私たちが目にしている、真っ赤にたらりと垂れたシッポは一つのメタファーなのかもしれないと。それは差別の根拠として召喚されるモノのメタファー。差別は、黒い肌でも青い目でもしゃべり方でも赤い髪の毛でも何でもいいのだが、とにかく必ず「何か」が参照されなければならない。ここにあるのは何でもいい/何かが必要という永遠のジレンマ。何でもいいなら何もないもありじゃないかと思うかもしれないがそれは無理。何でもいいがゆえに何かなければならない。そうレドモンの赤いシッポのように。あのふわふわはこのためにあるのだ。そして『レドモン』は、必要とされた何かは何でもいいがゆえに、何とでも読み直すことができるということも教えてくれる。赤いシッポを家族の絆の象徴として読んだように。何か素敵だ、何て素敵だ。
劇団柿喰う客『すこやか息子』はスポーツ演劇。この場合のスポーツとは一般的にスポーツといって連想されるような競技スポーツではなく、エアロビクスやランニングといったレクリエーション・スポーツのこと。早い話が、ビリーズ・ブート・キャンプをやりながら物語を演じようではないか、という野心的にして健康的な演劇。一人の息子の誕生、成長、結婚、別れ、そして死までをエクササイズと共に表現するのだが、彼ら彼女らの動きと表情、口調はこれ以上ないほどに平板化されている。それもそのはずで、みんながてんでばらばらの所作をしていたのではエクササイズにもブート・キャンプにもラジオ体操になりえない。これらのスポーツはそもそも身体の平板化、つまりは標準化を目的に作られたものであるからだ。そして標準化された身体を通じて展開される物語もまた極めてありふれたものであり、この日本にあればよく見かけるようなものだ。個別に取り上げてみていけば平らにならされたものかもしれないが、しかしこの芝居は全体としてみると非常に革新的なものとなっている。

エアロビクス的なものを導入したことが斬新なのではない。標準化された身体を通じ、標準的な家族形成(生成・消滅)を語ることで、どこか標準から過剰性を溢れさせることに成功した点がラディカルなのだ。すごい、としかいいようがない。物語が収束に向かうとき、役者はゆっくりと、それまでのアップテンポの動きとは異なって、ゆっくりとラジオ体操をする。ラジオ体操とは今でこそ健康体操の代名詞であるが、その出自をたどっていけば学校における体育教育、その背後にある富国強兵、国民の身体標準化(臣民化)といった近代=帝国主義イデオロギーにまでたどり着く。私たち近代的人間の身体はつねにすでに馴らされている。馴致されている。それは絶望かもしれないが希望かもしれない。徹底的に馴らすことでその向こう側へ突き抜ける可能性もまたある。ラジオ体操と一緒にゆっくりと閉じる「息子」の健やかな一生は、爽快感と共に新しい道を示しているように感じた。

できれば3時間ぐらいの大作にしてもらいたかったのだが、多分、酸欠で無理なのではないか、なんて意地悪なことを思った。

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