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気づくための会コミュのブログより転載:分かるということ

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分かるということは、分けることができることと、言われております。
他との違いを知ることによって、その特徴を理解するという意味だと思います。

物事の名前というのも、他と区別するためにつけるものです。
名前をつけることによって、他と区別しているといってもよいでしょう。

わたしたち人間も、そのように、国籍や民族、宗教、文化の違いで分けられ、
それぞれ名前がつけられています。

しかし、そこまでの認識、
他と自分は違うんだという状態で止まってしまうと、
差別をする、差別を感じる心が生じやすくなり、
さらに、自分の価値観で、良い悪いと決めつけて、
他人を認識してしまうのではないでしょうか。
そのようなところから、争いは生まれるものです。

全体から部分を観て、全体を知るように、
それぞれの違いを理解することは大切ですが、
そのうえで、全体に視点を戻し、
同じ人間の中に、それらの人々がいることを知る必要があるように思います。

そして、人間だけでなく、もっと視点を広くして、
生きるもの全てが、等しく生命であることを理解できれば、
人はもう少し、世界に優しくなれるのではないでしょうか。

コメント(11)

鉱物のような無機物にも,微弱な(←この表現が正確かは検討の余地あり)生命が存在すると思っています。
霊魂と肉体が乖離したものではないということは当たり前としても,原子レベルで見た石ころと体躯(たとえば死体)の差も実は思ったより大きくなく,何か霊的な差で現界にスライドしているだけではないか?などと考えています。
それを突き詰めていくと,偶像崇拝やアニミズムも別の角度から理解できるのではないか?
地蔵菩薩の石仏を前に、そんなことを想観していました。
昔、インドに行った時に出会った日本の方は、
石や木が思考するかというようなことを、
真面目に考えている方でした。

思考と呼べるようなものかどうか、
わたしにはまだわかりませんが、
何かしらの波動のようなものはあるような気がいたします。
>りかさん
すいません、遅くなりました。

ほほぅ、仏教にはそのような考え方があるのですか。
わたしの感じるところでは、
この世界にあるものを、どんどん細かい粒子だとか、
電子だとかのレベルで観ようとした時、
水の中で、周りがすべて水であるように、
世界がそれらの粒で満たされているように感じるのです。

そして、それら1つ1つの振動が、集まって波を生み出し、
その波を、わたしたちが感じているのではないでしょうか。

色彩も、光が物質に当たって反射した波です。
赤色が心を高揚させたり、
青色が心を抑制させるように、
眼には見えない様々な波が、
わたしたちの心に影響を与えているのかもしれませんね。
りかさん

「神教」じゃなくて「神道」ですね。

私たちの思想背景に仏教,儒教,神道といったものの考え方からの影響があることは否定できません。

そういうのを踏まえたうえで,思索と瞑想の果てに気づいたものを積み重ねていくことが、真理への探究であると考えます。
考えないこと,じゃなくて,とらわれないこと
肉体と精神があって、世界に触れるからこそ、考えは生じます。
考えそのものを否定することは、自分を否定すること、
世界を否定することに繋がります。

原因と条件が結びついて、現象が生まれるという法則があるなら、
その法則に従って生じた現象は、
良いとされることも、悪いとされることも、
存在としては、すべて正しいといえるでしょうね。

大切なのは、一時的に生じたその現象に執着しないことです。
なぜなら、その現象は波のように変化するからです。

海を、海として観るのは楽なことだと思います。
しかし、そこに生じる1つの波だけを観ようとし、
それを繰返していれば、すぐに疲れてしまうでしょう。

苦が生じるというのは、そういうことなのだと思います。

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