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海幸彦(ウミサチヒコ)コミュの梛の木(ナギノキ)

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イチイ、またはマキ科の常緑樹。
比較的温暖な場所に自生する。雌雄異株。

高さは20m程度に達する。葉の形は楕円状被針形で、針葉樹であるが広葉樹のような葉型である。若枝は緑色で葉を十字対生につけ、それがやや歪んで2列に並んだようになる。5月頃開花し、10月頃丸く青白色の実が熟す。属名Podocarpusは「柄のある果実」の意味。

海南島や台湾、日本の本州南岸、四国九州、南西諸島などの温暖地方に分布する。しかし、紀伊半島や伊豆半島に生育する個体は古い時代に持ち込まれたものが逸出したものが起源と考えられる(史前帰化植物)。少なくとも春日大社のものは1000年以上前に植栽されたとされている。生育は関東南部が北限といわれる。ただし、化石が関西近辺でも出土する。なお、中国本土のものも植栽されたものが起源であるとされる。

風習
熊野神社及び熊野三山系の神社では神木とされ、一般的には雄雌一対が参道に植えられている。また、その名が凪に通じるとして特に船乗りに信仰されて葉を災難よけにお守り袋や鏡の裏などに入れる俗習がある。神社の中には代用木としてモチノキが植えている場合もある。

また、別の意味で迷子する好意を一部でナギとも呼ばれている。造園木としても利用される。

コメント(5)

神籬 [編集]
神籬(ひもろぎ)とは、木や枝葉の依り代のこと。古くは岩や山や森林や大木を信仰の対象とした。現在は神木と儀式用の榊をさす場合が多く、岩や山の依り代は磐座(いわくら)という傾向にある。

南木(なぎ)楠(クスノキ)のことで、南木(なぎ)と名づけ神木として祀っている神社がある。
梛(なぎ)那木・竹柏とも表記し、ナギという樹木のこと。ナギがなぎ(和ぎ)に通じることから、神籬(儀式の依り代としての枝葉の意)として使われる。
榊(なぎ)サカキのことで、「なぎ」ともよばれる。神籬として使われる。
◆梛神社


梛神社は素戔嗚尊を主祭神とし、宇賀御魂命・伊弉冉命・誉田別尊などを配祀する。

貞観11年(876年)、播磨国広峰から牛頭天王(素戔嗚尊)を勧請して鎮疫祭を行った際、牛頭天王の分霊をのせた神輿を梛の林中に置いて祀ったことに始まると伝えられる。後に牛頭天王の神霊を八坂に祀って現在の八坂神社が創建されたとき、梛の住民は、花飾りの風流傘を立て、鉾を振り、楽を奏しながら神輿を八坂に送ったといい、これが祇園会の起源であるとしている。また、このことから当社は「元祇園社」と呼ばれる。

例祭日は5月17日。

◆隼神社 (梛神社の内に祭られています)

隼神社は、建甕槌神を主祭神とし、経津主神を配祀する。ただし、国史では祭神は「隼神」と記載されている。延喜式神名帳に「京四條坐一座 隼神社」として記載される古社で、大社に列している。延喜式神名帳には京中に3座3社が記載されているが、他の2社は廃絶している。

元は蛸薬師坊城(現 中京区壬生御所ノ内町、北緯35度00分21秒東経135度44分39秒)にあった。貞観2年(860年)に従五位下の神階を贈られ、天慶16年に従四位上まで昇った。

江戸時代には隼は訛って「ハヤクサ」と読まれ、そこから瘡(くさ。皮膚病の一種)の平癒に霊験ありとされるようになった。

大正7年(1918年)、現在地の梛神社境内に遷座した。

例祭日は11月17日。



■タケミカヅチ(タケミカヅチオ)は、日本神話に登場する神。

『古事記』では建御雷之男神・建御雷神、『日本書紀』では、武甕槌、武甕雷男神などと表記される。単に建雷命と書かれることもある。別名 建布都神(タケフツ)、豊布都神(トヨフツ)。また、鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)に祀られていることから鹿島神(かしまのかみ)とも呼ばれる。

神産みにおいてイザナギがカグツチの首を切り落とした際、十束剣「天之尾羽張(あめのおはばり)」の根元についた血が岩に飛び散って生まれた三神の一柱である。
葦原中国平定においては伊都之尾羽張(いつのおはばり)の子と記述しているが、伊都之尾羽張は天之尾羽張の別名である。

葦原中国平定においてアメノトリフネとともに葦原中国(あしはらのなかつくに)の荒ぶる神々を制圧し、タケミナカタとの戦いに勝利し、葦原中国を平定した。タケミナカタとの戦いは相撲の起源とされている。

また神武東征において、混乱する葦原中国を再び平定する為に、高倉下の倉に自身の分身である佐士布都神という剣を落とした。

【解説】
名前の「ミカヅチ」はイカヅチ雷に接頭語「ミ」をつけた「ミ・イカヅチ」の縮まったものであり、雷神は剣の神でもある。また、別名のフツ神は本来は別の神で、『日本書紀』では葦原中国平定でタケミカヅチとともに降ったのはフツヌシであると記されている。フツヌシは香取神宮で祀られている神である。

元々は鹿島の土着神で、海上交通の神として信仰されていた。
ヤマト王権の東国進出の際に鹿島が重要な地になってきたこと、さらに、祭祀を司る中臣氏が鹿島を含む常総地方の出で、古くから鹿島神ことタケミカヅチを信奉していたことから、タケミカヅチがヤマト王権にとって重要な神とされることになった。平城京に春日大社(奈良県奈良市)が作られると、中臣氏は鹿島神を勧請し、一族の氏神とした。

信仰 [編集]
雷神、刀剣の神、弓術の神、武神、軍神として信仰されており、鹿島神宮、春日大社および全国の鹿島神社・春日神社で祀られている。

神木 椰の木(ナギの木)
梛の木は遠く中国の海南島や台湾等に自生するが、
太古黒潮ラインに乗り本邦南紀四国九州島の温暖な地方に定着したイチヰ科の雌雄異株の常緑の高木です。
梛の木は伊豆半島が北限であると伝えられ、
当神社の梛の故郷伊豆山神社には「此の木は他国に稀なり」と記して有り、
東京の北辺当神社で育つとは、と感激して居ります(地球温暖化のためか)。

梛の木は古代より神社の境内に植えられて居り、
奈良春日神社には平安期900年頃の巨木有り、
伊豆山神社には今を去る1,400余年の昔、
山岳信仰の道開きとも仰がれる役の行者(小角)が

   神木梛の樹上に大神の御影を拝してなぎの葉は
   千代に三千代を重ねつつ夫婦妹背の道はかはらず

と歌われた誌が有ります。

鎌倉の尼将軍と名をはせた北条政子が若き日に
伊豆山に配流されていた源頼朝と梛の木の下で愛を誓って結ばれたロマンが
良縁が結ばれる縁結びの神木とされます。
後に、1192年源頼朝鎌倉に幕府を開く。
他にも梛の木の文献が数多くありますが、
当熊野神社の本宮 紀州熊野神社那智の大社には平重盛が植えたといわれる樹齢1,000年の梛の巨木有り。

千古の昔より信仰熱く当神社にも「縁結び」の神々が坐します梛の木との関わり深く神木として大切に生育したいと思います。

  平成13年11月 熊野神社   案内板より
熱海 来宮神社のご神木となっています。

来宮=木の宮 。

http://www.randdmanagement.com/c_histor/hi_032.htm
一説によれば、海路安全の護符とされ、漁師の必携だったとか。それは、熊野神社の御神木だからか。速玉大社の木は巨木だ。(4)熊野三山では禊(みそぎ)の木として使われてきたということのようだ。
 ただ、本宮ではイチイとされているのは合点がいかぬが。(5)

 当然ながら、京都の熊野信仰の中心、新熊野神社でも、御神木である。そのため「梛の宮」とも呼ばれるという。(6)梛と八咫烏が社紋である。尚、社頭の大樟もよく知られている。

 熊野系ではないが、奈良の春日大社の伐採禁止の裏山「御蓋山」には榊や梛が繁っているそうだ。(7)鹿は馬酔木同様に嫌いなので残ったのだろうか。尚、ここにも、飛火野の大楠、若宮の大楠がある。(8)

 ただ、楠と違い、こちらは葉が祭器的に使われる。椿系の榊と用途は同じである。ただ、榊は生垣にもできる低木だし、本土の湿潤な気候には合っている。榊は梛の代替ではないか。

 楠と梛は、どう考えても、これは沖縄から黒潮に乗って人が運んできた木である。柳田國男の絶筆「海上の道」の骨子は当たっていそうだ。
 なにせ、木だけでなく、貝や赤米も渡ってきたのだから。ただそれは、朝鮮半島から先端技術が入ってくる相当前のことに違いない。古事記では、葦船と楠船の頃ということか。

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