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海幸彦(ウミサチヒコ)コミュの3世紀ごろの日本(魏志「東夷伝」 「倭人」の項より。いわゆる魏志倭人伝。)

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「山海に濱(そ)いて居す。草木茂盛(もせい)し、行くに前人をみず。
 好んで魚鰒(ぎょふく)を捕え、水深浅となく、皆沈没してこれを取る
(末盧国)」

山の迫った海浜沿いに暮らしている。草木が茂り、前を行く人が見えないほどである。
好んで魚やアワビを捕らえ、水の深い浅いに関係なく皆潜ってこれを取っている。

「 男子は大小となく皆黥面文身(げいめんぶんしん )す。(略)
今、倭の水人、好んで沈没して魚蛤(ぎょこう)を捕う。
 文身はまたもって大魚水禽を厭わしめしも、後に梢(いささか)もって飾りとなすなり。
 諸国の文身は各々異なり。或は左、或は右、或は大、或は小にして、尊卑あり。」

倭の男子は顔と体に大小の入れ墨をしている。
今、漁民は好んで水中に潜り魚貝を捕らえる。
入れ墨は大魚、水鳥を避ける呪術だったが、後には少々装身の飾りにもしている。
諸国の入れ墨はおのおの異なる。あるいは左、あるいは右、あるいは大、
あるいは小さいが、これは身分の差を表す。

「男子は皆露かい、木綿を以って頭に招(かか)ぐ。
 其の衣は横幅(おうふく)にて、ただ結束 して相連ね、略(ほ)ぼ縫う
こと無し。」

男子は皆結髪しており、木綿を頭に巻いている。
その衣服は横広の布で、ただ体に結びつなげ、 ほとんど縫うことをしない。

「婦人は被髪屈かいす。
 衣を作るは単被(たんぴ)の如く、其の中央を穿ち、貫頭これを衣る。」

婦人は垂れ髪か結髪にしている。
衣服は単衣(ひとえ)のように作り、中央をくり抜き頭を通して着る。

「倭地は温暖にして、冬夏生菜を食う。皆徒跣(とせん)なり。
 屋室ありて、父母兄弟、臥息(がそく)する処を異にす。
朱丹をもってその身体を塗る。中国の紛(ふん)を用いるが如くなり。
 食飲にはへん豆を用い、手食す。」

倭の土地は温暖で、冬も夏も生野菜を食べる。
皆裸足でいる。家屋内の生活では家族が同居しているが、
父母兄弟は別々の所で起居し、朱丹(赤色顔料)を身体に塗っている。
ちょうど中国で白粉、紅白粉を用いるようなものである。
飲食には竹製、木製の高坏(たかつき)を用い、手づかみで食べる。

「その死には、棺あれど槨(かく)なし。
 土を封じて冢(ちょう)を作る。
 始め死するや、喪に停ること十余日。当時肉を食せず。
喪主哭泣(こくきゅう)し、他人は就いて歌舞飲酒す。
 己にして葬すれば、家を挙げて水中に詣リ、澡浴(そうよく)するは、
以て練沐(れんぼく)の如し。」

人が死んだ時には、棺を使うが槨(棺を入れる箱)はない。
土を盛り上げて塚を作る。
人が死んだら、まず棺に納めて十余日とどめる。
この間、肉食をせず、喪主は大声で泣き叫び、その他の人々は歌い舞い酒を飲む。
埋葬を終えたら一同で川に行きみそぎを行うが、
これは中国の練沐(葬祭後十三か月目の清め)のようなものである。

「其の行来、海を渡り中国に詣(いた)るとき、恒に一人をして、
 頭を梳(くしけず)らず、きしつを去らず。
 衣服垢汚し、肉を食せず、婦人に近づかず、喪人(そうじん)の如くせしむ。 之を名づけて持衰(じさい)となす。
 若し行く者吉善(きつぜん)なれば、共にその生口と財物とを顧(こ)し、
 若し疾病あるか、暴害に遭わば、便(すなわ)ち之を殺さんと欲す。
 其れ持衰謹まずと謂うなり。」

その使者が海を渡って船で中国に往来する時、
いつも一人の頭髪を伸び放題にして、シラミも取らず、衣服をアカだらけにし、
肉を食べず、婦人に近づかず、あたかも死人のように隔離する。
彼を「持衰」(じさい)と呼ぶ。
もし一行の航海が無事成功したら共にねぎらい、奴隷と財物を与える。
もし一行の誰かが病気になったり暴風の被害に遭ったら、彼を殺そうとする。「持衰」が行いを謹まなかったからだという。

「其の俗、事を挙げ、行来に云為(うんい)する所あらば、
 すなわち骨を灼きて卜(ぼく)し、以って吉凶を占す。
先ず卜する所を告ぐ。其の辞は令の如し。
 亀法(きほう)も火たくをみて兆を占う。」

その風習は、何か事が起き決断に迫られると、すぐに(鹿の)骨を焼いて吉凶を占う。
まず占う内容を告げる。
その宣告は命令のように権威がある。
(中国の)亀甲を使う方法でも火による裂け目を見て兆候を占う。

「その会同、坐起(ざき)には、父子男女の別無し。人性酒を嗜む。
 大人(たいじん)を見るに、敬する所はただ手を博ち、以て跪拝(きはい)に当つ。
 其の人寿考(じゅこう)にして、
 或いは百年、或いは八九十年なり。」

その会合の席次には親子、男女の序列はない。
倭人の性質は酒を好む。
大人(上層階級の人)を見ると、ただ手打って敬意を表し、ひざまついて拝むことに代えている。
大人は長寿者で、あるいは百歳、あるいは八、九十歳である。

「其の俗、国の大人は、皆四五婦。下戸も或いは二三婦あり。
 婦人淫せず、忌避せず。盗せつせざれば、訴訟も少なし。
  其の法を犯すや, 軽き者はその妻子を没し、重き者は其の門戸を減し、
 宗族(そうぞく)に及ぼす。尊卑各々差序あり。 相臣服するに足る。」

またその風習では、倭国の大人には皆四、五人の妻がおり、庶民でも、二、三人の妻を持つ者もいる。
その妻たちは淫らでなく嫉妬もしない。また、盗みもしないから争いや訴えごとが少ない。
倭人の間では法を犯すと、罪の軽い者は妻子を官に没収(奴隷にする)、罪の重い者は親族、さらには一族全体にまで連帯責任が及ぶ。(加刑には)身分に応じて差がある。臣従の秩序は互いに安定 している。

「下戸、大人と道路に相逢わば、逡巡(しゅんじゅん)して草に入る。
 辞を伝え、事を説くには、或いは蹲(うずくま)り、
 或いは跪き、両手を地に拠せて、之を恭敬とす。
 対応の声には噫(ああ)と白う。おおむね然諾(だくぜん)の如し。」

   庶民が大人と道で行き会った時は、後ずさりして路傍の草地に身を隠す。大人に話したり
   説明する時は、うずくまったり、ひざまずいたりして、両手を地につけ、敬いの気持ちを示す。
   受け答えは「ああ」という。これは承知しましたというようなものである。

コメント(1)

「持衰」

「持衰」に相当すると思われる人物が描かれた絵画土器片が、奈良県の唐古鍵遺跡から見つかっている。その絵画土器片では、持衰は、左手に何かおそらく宗教的意味を持つと思われるものを手にして船尾で孤立している。年代は1世紀後半(弥生時代中期後半)と推定されるので、邪馬台国の時代より前である。

持衰と同じような船旅のスケープゴートは、東南アジアに見られる。

危険にみちた遠出、たとえば男たちが狩りや戦争や大航海に出かけるとき、居残った者が、さまざまなタブーに服することは世界的にみられるが、ことにこの地域においてさかんなのである。たとえばインドネシアのメンタウェイ諸島では、夫が首狩りに出かけると、妻は果物や肉を食べることが禁ぜられるし、スラヴェシ(セレベス)のサンダ・トラジャ族では、男たちが首狩りに出かけたあとは、女たちはほかの男たちの訪問を受けてはならないし、またふだんは日常の暇つぶしとしてさかんにやっているシラミとり合いをしてはいけない、という定めだった。

航海のとき、居残った特定の人物がきびしいタブーに服することは、マルク(モルッカ)諸島に例が多く、セラム島東部のイル地方、アンボン諸島、ケイ諸島、タネンバル諸島から報告されている。たとえばセラム島のイル地方の場合、帆船が航海に出たとき、一人の人物、ふつう一人は少女、が陸上に居残っていて、航海がうまくいくかどうかは、彼女の責任とされる。彼女は帆船とほとんど同一視され、村人たちは、彼女の様子を見て、航海がうまくいっているかどうかを判断する。

彼女は船が航海しているあいだは、働いてもいけないし、歩いてもいけない。歌ってもいけないし、陽気に騒いでもいけない。遊んでもいけないし、清涼剤の檳榔子をかんでもいけない。ことに家から外に出るのは厳禁されている。もしもこの少女が病気になると、帆船に何か悪いことがおき、もし少女が死ぬようなことでもあると、船は沈んでしまう。彼女が病気になったり、死んだりしなくても、船が不幸にであうと、これは彼女が規定のタブーを破ったからだとされて、彼女だけが責任を負うのである。

[大林太良著:東アジアにおける倭人民俗,日本の古代〈1〉倭人の登場, p.306

http://www.nagaitosiya.com/a/mikado.htmlより

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