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学習とメディア6班コミュのレポート用

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コメント(8)

とりあえず、アップしておきます。
長さ等、足りない気がしますが、とりあえず。

『まず、メディア・リテラシーについてである。
 最初に、リテラシーの定義である。 リテラシーとは、「社会的自立の基礎となる公共的な教養」の事を指す。つまり、時代背景、社会背景によって異なるものであり、万国共通のものではない。
 例えば、階級社会であった1 7世紀頃は「シェークスピアの戯曲を読んで理解出来る高い教養」を指し、19世紀の産業社会においては、「読み書き能力」であった。現代では、「批判的・反省的な思考力とコミュニケーション能力」であると言われている。これは、知識や情報の価値が変化し続ける高度情報社会において、情報を選択し、受信・発信していくために必要な能力である。
 そしてメディア・リテラシーは、欧米では「批判的思考の技能であり、マス・コミュニケーションから入ってくる情報を聴衆(オーディアンス)が解釈することができ、メディアの内容を自分自身で独自に判断出来るような力をつけていくこと」(Silverblatt.1997:48)と定義されている。また日本では、「人間がメディアに媒介された情報を、送り手によって構成されたものとして批判的に受容し、解釈すると同時に、自らの思想や意見、感じていることなどをメディアによって構成的に表現し、コミュニケーションの回路を生み出していくという、複合的な能力」(水越伸,2002,92)といわれている。
 つまり、メディア・リテラシーにおいても、「批判的思考力」と「コミュニケーション能力」の2つがキー概念となるのである。』
『日本のメディア教育は、映画教育に端を発する。20世紀に入り、わかりやすく理解できる「映像」が注目されるようになり、映画が教育目的に使用されるようになったのである。
 ただし、イギリスなどのメディア教育が「批判的思考力を養う教育」を指すのに対し、日本のメディア教育は「高度情報社会でのコミュニケーション能力を養う教育」指す。
 もともと日本では、イギリスなどにみられるような「映像についての教育」とは異なり、「映像による教育」の考え方が強い。そのため、視聴覚教育論や教育工学、コンピュータ情報論などの立場から、映画教育やe-ラーニング、新しく始まった「情報」の授業などが発展したのである。
 たとえば「情報」の目標は「情報及び情報技術を活用するための知識と技能の習得を通して,情報に関する科学的な見方や考え方を養うとともに,社会の中で情報及び情報技術が果たしている役割や影響を理解させ,情報化の進展に主体的に対応できる能力と態度を育てる」(学習指導要領)こととされている。
 つまり、日本でのメディアリテラシーとは、主に情報機器を使ったコミュニケーション能力を指すのである。また、より狭く、その操作技術を指す場合もある。

 しかし最近、納豆騒動のような捏造番組、やらせ報道や誤報道が目に付くようになってきた。そのため、マスメディアの情報は「作り手の意図で構成されたものである」ということが、日本においても意識されるようになってきた。その結果、ようやく、批判的思考力を持つこと、育てることに注目が集まってきている。メディアを主体的に読み解き、判断する力が求められてきているのである。

 だが、教育現場では依然として、コミュニケーション能力がより重視されていることに変わりはない。』
一応書きましたが、ちょっとわかりにくいところがある気がします。変だなと思う点があったら、指摘お願いします。分量足りないようでしたら、また付け足します。
 海外と日本のメディアリテラシー教育を比べるためメディアリテラシー教育先進国といわれるカナダについて調べた。カナダでは州ごとにカリキュラムが制定されている。オンタリオ州では1995年にメディアリテラシーを公教育に正規カリキュラムとして取り入れた。Grade1からGrade9まで、各学年で細かくカリキュラムが組まれている。これは、日本の学年でいうとだいたい小学1年生から中学2年生にあたる。
 オンタリオ州のメディアリテラシー教育は商業主義的なメディアのあり方を批判することが重視された。オンタリオの教育課程は、10年間隔で改訂され、メディアリテラシー教育は英語科教育課程の中に設置された。音声や映像で表現されたものを理解、表現しコミュニケーションに役立てることを定義した上で、メディアが何をどのように伝え、その伝えられたメッセージが人々にどのような影響を与えているか理解することを教育目標としている。このメディアリテラシーに関する教育目標はメディア科にも課せられている。そして、批判的主体性を獲得するために以下の4点の認識が重要とされる。
・ オーディエンスがメディアから意味を読み取る
・ メディアは商業的意味を持つ
・ メディアはイデオロギーや価値観を伴うメッセージを持つ
・ メディアは社会的、政治的意味を持つ
オンタリオ州では1987年に公教育にメディアリテラシーが導入された。授業時間や選択科目に関するガイドラインが作られ、1995年に教育書は小・中学校の「共通カリキュラム」と「言語」の文書の中でメディアリテラシーについて述べられている。 
 今回は言語教育の中のメディアリテラシーのカリキュラムについて述べたいと思う。言語教育は「書く」「読む」「オーラル・ビジュアル・コミュニケーション」の3分野に分けられ、分野ごとに各学年の目標が述べられている。特に、「オーラル・ビジュアル・コミュニケーション」の中でメディアコミュニケーションスキルとしてメディアリテラシーが取り入れられている。
 小学1年生と中学2年生のカリキュラムについて述べたいと思う。小学1年生では、メディアを利用した情報収集を円滑に行えるようにメディアを見、読み、聞く力を身につける実践として、漫画の中のメッセージを理解したり、道路標識の意味を知ると行った授業をしている。そして、現実世界とアニメーションや映画などに描かれた生活を区別するといった授業も行われている。また、ストーリーのとおりに写真を配列したり、簡単なメディアを作る授業があり、例えばストーリーを作ってテープに録音するということが行われている。
 つぎに、中学2年生になるとメディア分析を学ぶためにトークショーを取り上げ、オープニングの語り、ゲストへのインタビュー、オーディエンスとのやりとりなどカテゴリーごとにわけて分析する授業がある。また、批判的思考力を養うために、インターネットのウェブサイト、ドキュメンタリー映画、テレビやラジオのニュース番組などのさまざまな情報の効果を評価する活動もしている。メディア作りに関しては、技術的に複雑なものに挑戦するようになり、ビデオまたは音声を使ってミステリーを作るなどのとりくみをしている。
 メディアを創造する取り組みは各学年で実施されており、このカリキュラムの中で、メディアを批判的に読み解く力とコミュニケーション能力が養われるように構成されている。そして、メディアに関する教師用指導書にはマスメディアやポピュラーカルチャーを教える教師のためのガイドが載っており、授業に役立つ活動が紹介されている。授業は分析、実践、創造の3つのアプローチで組み合わされている。
 カナダのオンタリオ州はメディアリテラシー教育が発展している地域だといわれる。その理由としては、メディアリテラシーへの取り組みが民間の運動から始まって、政府がメディアリテラシー教育をカリキュラムに導入したことがあげられる。また、メディアリテラシーの知識がない教師でもメディアリテラシーを教えられるような教師用指導書が作られていることも注目すべき点だと考えられる。
いま、まとめ始めているところです。
長さは全体が集まってみてからでないとなんともいえません。
アップお願いします☆
私も長さたりないけどとりあえず。指摘お願いします。


日本のメディア・リテラシー教育の現状についてです。
日本でも次々に新しいメディアがうみだされ、経済、文化など社会のさまざまな分野にメディア社会は影響をあたえつつあります。携帯電話、メール、インターネットといった新しいメディアの出現は、個人の生活様式をも変えていきます。このような変化は学校での活動にも深く影響を与えていて、課題解決のための資料集めは情報が新しく、手軽で検索しやすいインターネットで調べる機会の増加や、調べたことを発表するにあたってもプレゼンテーションソフトが使われるというような発表形態の変化につながってきます。しかし一方で、新しいメディアがひろがっていくにつれ、問題点も多く発生します。例えば匿名性があることから無責任な行動にでやすくなったり、機会を相手にした生活に陥るため人間関係が希薄化するなどです。今後さらに新しいメディアがうみだされることが予想されるなか、メディアについての学習に取り組むことは日本でも避けられない状況にあるのです。
しかし、日本のメディア・リテラシー教育はこれまで述べてきたカナダの教育とは異なり、社会的にもメディア・リテラシーの実践は始まったばかりで十分とはいえないため教師や生徒の関心がないというのが現状です。
その理由のひとつは、メディア・リテラシーの教育上の位置づけのあいまいさです。メディア・リテラシーの育成は情報科と国語科を主とするすべての教科にかかわってきます。そのため目標の到達点が明確でなく、評価方法もあいまいで、生徒もメディア・リテラシーを学ぶ必要性を理解していません。それゆえ日本ではメディア・リテラシー育成ということが実践されようとしはじめているにもかかわらず、学習指導要領には具体的な記載はなく、またどの教科でとりいれられていくのかも明確になっていません。情報科の学習指導要領では「メディアを主体的に読み解く」ということがあげられていますが、実際に一般の高等学校の情報科教育ではコンピューターの使用法のみにとらわれているというのが現状です。このようなことから、学校教育におけるメディア・リテラシーの育成は一部の意識の高い学校か、一部の教師による実践のみでおわってしまう場合があります。
また、公立学校のゆとり教育で週5日制のなか、授業時間の不足も問題としてあがってきます。さらに近年の休みの日まで塾に通うという受験戦争のはげしさをかんがえても、メディア・リテラシーのために取れる時間の枠をつくるのは困難です。番組制作や意見を出し合い、討論するなどメディア・リテラシー教育にはかなりの時間が必要なため、実践をはかることは厳しいのです。
そして理由のもうひとつとして、社会に普及しはじめたばかりのメディア・リテラシーに関する知識を有する人手不足ということも問題としてあげられます。現状では情報科の教師の不足の問題があり、数学科や技術科の教師が兼任しているというケースもまれではありません。
このような現状のなかでメディア・リテラシーをどうとりいれていくか、ということは今後の日本の教育の大きな課題といえます。


書きました、、、かなり無理矢理です。。。長過ぎでしょうか?行間あけずにレポート一枚分ぐらいです。

まとめ

 多様化するメディアの形体に現代の日本人が追いつけず、様々な問題がそれによって誘発されている現状があった。このようなことがあって、メディアリテラシー教育への期待が高まり、その重要性もますます高まってきている。高度情報化社会を生き抜くための技術(メディアリテラシー)を身につける事は、現代を生きる我々にとって必須課題であり、それを手助けする事は教育の重要な役割である。しかし、日本の現在のメディアリテラシー教育には問題点が多々あることは先述の通りである。日本のメディアリテラシー教育は変革・改善が急務である。
 日本におけるメディアリテラシー教育を改善するには、社会的な土壌を固める必要がある。現在の日本においては、メディアリテラシー自体の認知度が低く、あまり国民に知れ渡っていない。このことがメディアリテラシーの重要性を知る事の大きな妨げとなっている。このような状態では、メディアリテラシー教育もあまり意味をなさない。まずはメディアリテラシーの認知度を上げる事が必要である。
 メディアリテラシーの認知度の向上を図るためには、小学生のうちなどの早い段階からメディアリテラシーについて興味が持てる様なきっかけを与える事が必要である。最初は些細な興味でも、年を追うごとにその重要性を理解していく。これは他教科でも同じである。それに、メディアリテラシーの存在を知る事によって、日常生活の中で自ら主体的にメディアについて考える機会が生まれる。なので教育の現場では、生徒が楽しみながらメディアについて学べる教育法を実践すべきである。具体的には先のカナダの実践例に学ぶことができる。漫画の中のメッセージを理解したり、道路標識の意味を知る、現実世界とアニメーションや映画などに描かれた生活を区別するといった授業は、生徒も楽しみながら授業に参加することができるであろう。
 しかし、現在のカリキュラムにメディアリテラシー教育をすぐに組み込む事は難しい、ということは先に述べた通りである。現状の限られた授業時間数の内でメディアリテラシーを早い段階から生徒に知ってもらうためには、授業中の関連話、授業外の課外活動などでの、教師による生徒の啓蒙が必要である。教師が一度でもメディアに関する話をする事で、生徒がメディアリテラシーに興味を持つ切っ掛けになる。既存の「総合的な学習の時間」を利用して、これらの啓蒙活動を実施し、メディアリテラシー教育の広がりを獲得していく事が出来れば、メディアリテラシーの認知度向上にもつながる。
 しかし、それは生徒、そして教師自身に委ねられることになるので、指導する側の人間がメディアリテラシーの必要性とその意義について関心を傾け、メディアリテラシーというものを理解する必要がある。そのために教師、指導者の育成が重要である。ここの部分も、カナダを始めとする世界のメディアリテラシー教育先進国を大いに参考にすることができる。カナダのオンタリオ州での教師用指導書の存在等、先例が多い。大学の教職員養成過程や、現職の教師に向けたメディアリテラシー研修などに今一度目を向け、改善の余地がないかを考え直してみる必要がある。
 民間からの協力もメディアリテラシー教育の大きな助力となる。カナダに置いても民間団体の協力が大きな助力となっていた。市民団体、メディアリテラシー教育に特化した教育団体等の協力があれば、教師も少ない負担でより効果的なメディアリテラシー教育を行う事が出来る。マスメディアの協力も社会的土壌を固める大きな力となる。啓蒙的な番組を放送すれば、メディアリテラシーの認知度向上に絶大な効果を発揮するし、教育の一環で生徒がメディア製作に関わることができれば、メディアについて考える機会もぐんと増える。
 日本におけるメディアリテラシー教育はまだまだこれからである。これからは誰もがメディアの進化に取り残されずに、自らもが情報を発信するメディアとなって、上手く多様化するメディアと付き合っていく事が出来るようにする必要がある。メディアリテラシー教育に課せられた使命は大きい。
日本でも次々に新しいメディアがうみだされ、経済、文化など社会のさまざまな分野にメディア社会は影響をあたえつつある。携帯電話、メール、インターネットといった新しいメディアの出現は、個人の生活様式をも変えている。このような変化は学校での活動にも深く影響を与えていて、課題解決のための資料集めは情報が新しく、手軽で検索しやすいインターネットで調べる機会の増加や、調べたことを発表するにあたってもプレゼンテーションソフトが使われるというような発表形態の変化につながってきている。しかし一方で、新しいメディアがひろがっていくにつれ、問題点も多く発生する。例えば匿名性があることから無責任な行動にでやすくなったり、機会を相手にした生活に陥るため人間関係が希薄化するなどである。今後さらに新しいメディアがうみだされることが予想されるなか、メディアについての学習に取り組むことは日本でも避けられない状況にある。
しかし、日本のメディア・リテラシー教育はこれまで述べてきたカナダの教育とは異なり、社会的にもメディア・リテラシーの実践は始まったばかりで十分とはいえないため教師や生徒の関心がないというのが現状だ。
その理由のひとつは、メディア・リテラシーの教育上の位置づけのあいまいさだ。メディア・リテラシーの育成は情報科と国語科を主とするすべての教科にかかわってくる。そのため目標の到達点が明確でなく、評価方法もあいまいで、生徒もメディア・リテラシーを学ぶ必要性を理解していない。それゆえ日本ではメディア・リテラシー育成ということが実践されようとしはじめているにもかかわらず、学習指導要領には具体的な記載はなく、またどの教科でとりいれられていくのかも明確になっていない。情報科の学習指導要領では「メディアを主体的に読み解く」ということがあげられているが、実際に一般の高等学校の情報科教育ではコンピューターの使用法のみにとらわれているというのが現状である。このようなことから、学校教育におけるメディア・リテラシーの育成は一部の意識の高い学校か、一部の教師による実践のみでおわってしまう場合がある。
また、公立学校のゆとり教育で週5日制のなか、授業時間の不足も問題としてあがってくる。さらに近年の休みの日まで塾に通うという受験戦争のはげしさをかんがえても、メディア・リテラシーのために取れる時間の枠をつくるのは困難である。番組制作や意見を出し合い、討論するなどメディア・リテラシー教育にはかなりの時間が必要なため、実践をはかることは厳しいのだ。
そして理由のもうひとつとして、社会に普及しはじめたばかりのメディア・リテラシーに関する知識を有する人手不足ということも問題としてあげられる。現状では情報科の教師の不足の問題があり、数学科や技術科の教師が兼任しているというケースもまれではない。
このような現状のなかでメディア・リテラシーをどうとりいれていくか、ということは今後の日本の教育の大きな課題といえる。

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