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お城めぐりしよう!コミュの城門部

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城門部長のえどっち@松本君之助でございます。日頃は当部へのご投稿にご尽力いただきありがとうございますm(_ _)m。お陰様で城門部も第三号館を創設する運びとなりました。引き続き皆様からの城門に関するご投稿を心よりお待ち申し上げます。

城と言うくくりの中で、建造物(天守、櫓、門、御殿など)、堀、石垣、土塁などどれをとっても欠かす事の出来ないアイテムですよね。またそれがお城に魅せられる所以でもあると思います。この部では、その中の「城門(門)」にスポットを当てたいと思います。現存する門、復元された門、かつては立派な門があった跡=この辺は石垣部と重なるところがあると思いますがそこから新しい交流や情報交換など自由にしていただいて構いません(^_^)。水門、埋門、移築門、館門、藩邸の門、長屋門なども結構です。お城めぐりをされている皆様の豊富なアーカイブスの中から、城門の写真、情報、いわれなどご紹介下さい♪

写真左より、松代城北不明門(復元)、小諸城三の門(現存)、諏訪高島城三の丸御殿裏門(移築現存)

城門部(第一号館)過去ログ
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=17927280&comment_count=400&comm_id=22348
城門部(第ニ号館)過去ログ
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=34326567&comm_id=22348

コメント(255)

群馬小幡陣屋の陣屋門になります。楽山園の入場門となっています。ここの大手門跡は四脚門となっており織田家の格式が高いことが分かります。
石川県白山市・鳥越城の本丸門です。
門の虎口の桝形が復元されています。
 出羽国山形城です。
 山形城と城下町の歴史は以下を参照して下さい。
 【古代・中世篇】
 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1967996107&owner_id=250900
 【近世・近代篇】
 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1968008676&owner_id=250900

左;二の丸東大手高麗門
中;二の丸東大手門
右;本丸一文字門
 山形市の曹洞宗千歳山(チトセヤマ)萬松寺(バンショウジ)山門です。
 天正年間(1573〜92)末期に第11代羽州探題最上義光が山形城を大改築した際、従来の南大手門を寄進した物です。山門の額は米沢藩主上杉鷹山の師である儒学者細井平洲(ホソイヘイシュウ;1728〜1801)の筆とされます。
 山形県西村山郡大江町の曹洞宗鉄囲山巨海院山門〔大江町指定文化財〕です。出羽国小漆川城の城門を移築した物です。
 左沢の歴史については以下を御参照下さい。
 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1968607236&owner_id=250900
山形城大手門になります。
同じ山形市の萬松寺に移築されています。
5月1日朝、令和最初の城郭建築物訪問となりました。
 山口市の長州藩山口藩庁門〔山口県指定文化財〕です。
 山口市の城館の歴史については以下を御参照下さい。
 https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1970842785&owner_id=250900
 信越国境の復元関川関所の冠木門です。
 関川関所については以下を参照して下さい。
 https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1972859576&owner_id=250900
>>[178] 柳橋口門は、他方に移築されていた物を大垣城の本丸東側に移築されていますね。全く色々史実に忠実ではない大垣城の、貴重な現存門ですね。何故にココに移築なのかは不明ですが…。
>>[183] 廃棄するなら大垣市に寄進すれば、別材を利用して修理も出来たのに残念ですよね(´・ω・`)各務原市の野口館にあった「伝 加納城門」は実は大垣城の黒門だったと言う物で、現在各務原市に寄進されて解体修理されて展示されていますよね。何故にこういう風に出来なかったのか…( ;∀;)
>>[226]
確かにそれも1つの手でしたね。
安易に処理する前にどこか声をかけて欲しかった・・

でも壊された事を示す石碑があるのも珍しいと思います。
>>[225]
確かに。なぜ戻ってきた物をわざわざ別の場所に置いたのか、と同じ事を思っていた時期があります。

大垣城はもう少し周りが城らしければ雰囲気出るんですけどね。
岐阜県可児市の明智城の大手門です。
現在、NHK大河ドラマ『麒麟がくる』を放送中で、舞台の地のため脚光を浴びています。

大手門があった場所に冠木門が復元のつもりで建ててあります。
冠木門はラグビーのゴールポストに形が似ていて、ちょうど昨年のラグビー・ワールドカップの日本開催からラグビーのブームが続いていますが、他の登城者が大変迷惑しますので、間違っても、大手門にトライを試みたり門の上へボールを蹴らないでください。
越前国・一乗谷の朝倉氏居館の門です。
現地の居館跡には唐門が建っていますが、福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館の居館模型では、飾りの無い四脚門になっています。
一乗谷朝倉氏遺跡資料館のボランティアガイドの方から、現地には朝倉義景の菩提を弔う松雲院という寺院が建って、その門が残っているためと説明されました。
戦国時代の朝倉氏時代の建物遺構は無く、門も四脚門だったと推定されたそうです。
 肥前国佐賀城鯱の門〔重要文化財〕です。

 佐賀城に関しては以下を御覧下さい。
 https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=398257&id=93981518
 上野国前橋城の移築城門です。前橋城の歴史については以下を御覧下さい。
◎城下町前橋の歴史 古代・中世編
 https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1978761449&owner_id=250900
◎城下町前橋の歴史 近世・近代編
 https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1978772727&owner_id=250900
 群馬県前橋市の天台宗秋元山江月院光巌寺(コウガンジ)薬医門〔前橋市指定文化財〕です。総社城の城門を移築した可能性が高いと言われています。
 紀伊国新宮城です。
 詳しくは以下を御参照下さい。
 https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1980765847&owner_id=250900

左;二の丸南門
中;二の丸東門
右;冠木門
 下総国佐倉城です。
 詳しくは以下を御参照下さい。
 https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1981540748&owner_id=250900

左・中;薬医門
右;東惣曲輪にある「くらしの植物苑」冠木門
 佐倉城下の門です。

左;佐倉順天堂冠木門
中;最後の佐倉藩主堀田正倫伯爵邸冠木門
右;堀田伯爵邸庭園の門
上野国・箕輪城の郭馬出西虎口門です。
2016年(平成28年)に箕輪城跡の設備遺構で唯一建物復元されました。
この門のある郭馬出は、狭い土橋で二の丸とつながっていて、馬出の中も門⇔土橋を出入りするには直角に折れ曲がらなければならない構造で、近世城郭での枡形虎口に進化する、虎口の原型でもあるのかなと思えました。
愛知県名古屋市東区にある、主税町長屋門に久しぶりに立ち寄りました。

説明板によると江戸時代のもので、当時の位置に残る名古屋城下の武家屋敷の長屋門としては唯一のものだそうで、とても貴重ですね。
 長崎市の真言宗御室派医王山延命寺山門です。明暦3(1657)年に長崎奉行所立山役所の門を移築した物です。
 長崎歴史文化博物館として復元された長崎奉行所立山役所の門です。
 詳しくは以下を御参照下さい。
 https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1982176885&owner_id=250900
篠山城です。
あいにくの天気ですが楽しめました。
越前 吉江陣屋
福井県鯖江市吉江町
正保2年(1645年)代福井藩主松平忠昌の三男松平昌親が二万五千石を分地され吉江藩を立藩
のちに福井藩に帰属(吸収)
播磨 山崎城 家老屋敷門
兵庫県宍粟市山崎町
福島県白河市の白河小峰城の
城門からのモミジもみじです
 岐阜城の冠木門です。

左;一の門
右;二の門
大和 岡松家長屋門
奈良県五條市野原
野原代官所のお代官様のお屋敷です。
 下野国足利陣屋の大門です。民家へ移築されています。
 足利陣屋については、以下を御参照下さい。
 https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1984136870&owner_id=250900
 千葉県君津市の曹洞宗久留里山真勝寺山門です。久留里城城門を模して造られたとされています。
 上野国館林城三の丸の復元土橋門です。
静岡県浜松市北区三ケ日町にある摩訶耶寺の山門です。
浜名湖の一つである猪鼻湖畔にあった野地城の高麗門を移築したもの、とのことです。
正面からみるとお寺の門としてそれほど違和感はないのですが、裏から見ると城門ぽく見える気がします。
説明看板はあるものの、摩訶耶寺のサイト(https://makayaji.web.fc2.com/index.html)には「鎌倉初期の日本の中世庭園」「国指定文化財の不動明王(平安時代末期)と千手観音像(藤原時代初期)」「県指定文化財の阿弥陀如来像(平安時代末期)」は紹介されていますが、この山門の紹介はないようです。
時代が新しく(とはいえ戦国時代)、仏教に直接関係がなく、文化財に指定されていないようで、寺内での扱いが低いように感じられました(よく見ると扉の板がプラスの木ネジで固定されていたりして、「さびれた感じがイイ!」という人がいるかもしれませんが)。
この門を移設した当時の領主の近藤用高とその妻の墓がこの門の近くにありますが、こちらもサイトには説明はないようです。

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