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ArtPeerコミュの“描けなくなった”脳のしくみってなんでしょうね?

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ご無沙汰しております。keroです。
ワークショップしばしさぼり気味ですみません。
アートピアも、一時期は「逃げ」でもあったのでは?と自分に問いかけたりしましたが、今後も活動続けます。
近々やりますので、またよろしくお願いします。


さて本題。私事で恐縮ですが、相談&ぼやき。
最近は自分の制作活動のリハビリが進んでいるところなのですが、
只今がくーっと落ち込んでいるところです。

artpeerに興味を持つ皆様はきっと色々多才なものを持っていると思うのですが…、才能がある程度あると思っていた人や、一時期活躍してた人が、パタッとやめる心境とか、
絵を描いてきた人が長期的に“描けなくなる”って何なのでしょうね?
“怠け”と一言で片づけられない、脳の制御を感じるのですが…。
「やる気」とか「見る目」だけは育っているのに悔しく情けない限り。

社会人になって、仕事との両立の狭間で第1段階「できない」を知り、結婚とかで家事が加わり「さらにできない」を味わいました。(アスペ故の周囲への過敏さと疲れ、ADHD傾向の優先順位付けの欠如、アトリエが整っていない、と言う理由が大きいと思います。また、なんらかトラウマ的なものが働いているなぁ〜とも。)
最近、やっと仕事だけに戻し、環境を整え、時間の配分を考えながら、毎日「描こう」と思って、数ヶ月が経ちましたが、
“とりかかれない病”がまだ蔓延しています。

そんな「描かない日々」だけでもなく、凄い集中力で描ける時もあるのですが“蓄積されてないもの”を痛感します。

一番描きたかったのは「日本画」なのですが、向き合うのが恐くなってる気がします(現在やっとトライしている最中。で落ち込んでるわけです。臭いフタを開けてしまった感じ…)。
ここ5.6年は鉛筆や木炭でのデッサンや、油絵の具で色だけで遊んだり…などは、脳が萎縮する感じもなく、できるのです。
どこの公募展に出すためでもなく、作風を決める必要もなく、場所や機会を用意すれば「すごいな自分(笑)」と思うくらい描けるし、楽しい。
鬱も気分障害もチャラになる位のエネルギーが湧きます。
自分にとっては“やること”がすべての体調のカギなのはわかってるんですよ。

こういうのを少しづつ増やして、褒めてもらえたり、自分でも手が動いてくれば、だんだん復帰して描けるようになるのかな…。

でも“一番やりたかった事”って、なんでできないんでしょうね。
“やらなきゃ”が、脳にブレーキをかける合図のよう…。


うーん…
この、コントロールのできなさに、まいってます。

(※mixi上や、見た目「やってる人」に見えるかもしれませんが、気を悪くしないでくださいね)

コメント(5)

結果的に、時間がタイトに拘束されて、
人前でやればできるのなら・・・
そこからやり続けるべきでは・・・
それ以外締め切りをもって一人でこもって何かやろうとしても
割り切りも出ずに前に進まないのでは・・・

やれるところやれるときにやればいいと思うけど。
それ以上出来ないのなら・・・
それを受け入れるべきだと思うけど・・・
ありがとう。
そうだよね、そこに向き合う場をもらえた事とか、
自分がその「臭いフタ」を開ける勇気が出た事は、
元気になる兆しなのかも。

〆切や場をわざと作ってきたことも悪くはないんでしょう。
遠回りからのリハビリもそれなりに効果あったし。

それにしても…過去にさかのぼったり、正面から向き合うのは、
大変な作業ですね。

できない事を受け入れて、頭が固まってしまわない方向を選ぶのもありかもしれない。
こうでなければって、頑固に思いこんでしまうのも
仕方ないんだけど・・・こだわりやさんな気質(アスペ)に
生まれた以上。

成り行きを結果としての「ゆらぎ」を楽しめるゆとりを
もつために、60点とれたら自分をほめてあげる・・・
陽にしないと、自責に押しつぶされるのでは・・・
出来ることからしか出来ないと思うよ。

日本画を志したのは、ある意味それ以外に興味を持てないくらい
子供だったからでないですか?
社会を知ったり、いろいろなことを経験したからこそ、
それにこだわるべきかどうか・・・
意外と日本画であるべきこと
に理由が見つからないかもしれないよ。
高校生は思いこみで進路を選ぶし・・・
それを一度開放しないと・・・
本当は、油絵だったのかもしれないし・・・
日本画にこだわる理由をちゃんと見つけないと・・・
そこには、へりくつや感情としての過去への未練が
強く働いているだけで前向きなことでないかもしれない。

映画・映像の世界でも言えるのですが、
ある意味で若いときに高評価された人ほど・・・
あとで、過去に縛られて大成しないのです・・・
過去を切り離さないとダメです。

言い過ぎかもしれないけど・・・
絵を描くことの「なぜ」「どうして」を・・・考えるべきでないでしょうか?それがないのに好きと言うことでも良いこともあると言うことでしょう・・・

本当に心から好きなことは、
理由がいらないのです。
そうでないことがらは、理由を無理矢理付けて
論理武装することで疲れてしまい継続できないで
悩みに落ちます・・・生理的な好き嫌いも含めて
やっていくべきではないですか。

最近、写真撮っているのが楽しいです。
仕事でなくてもいいし、カメラをいじっているのが楽しいです。
理由はいらないと思います。
撮りたくなったらシャッターを切ります・・・
それで良いと思うんです・・・

仕事だと違いますけど・・・

すみません、元夫婦なので
私信に近い辛いコメントになってしまいました。>kero、みなさま。
是非とも、みなさんの優しい意見をいただければ幸いです。
「描く事が、突然辛くてたまらなくなった」
…実は、私も長い間そうでした。
18歳のある日から、何とその後20年以上になるまで、描く楽しみが取り戻せなくて、苦しんで苦しんで描いてきたんです。
なぜ、描くのをやめなかったかというと、自分にはこれ位しかとりえがなかった事と、
過去、自殺したいほど辛い日々を支えてくれたのは、描く事だったから、それを捨てたら、親友を裏切る事になるような気がしてたからです。。


それが克服できたのは、これは私の体験からなのですが、
「内観法」という瞑想方法で、自分の中にある中心と繋がる瞑想をしたからなのですよ。

やり方は簡単で、まず、自分の落ち着ける場所で、自分の落ち着けるようなポーズで座り、目を閉じます。
そして、自分と、自分の魂の中心核とが、
多少の外部の刺激ではびくともしないような、しなやかだけど折れたり破れたりしない「太いパイプ」で繋がって、
エネルギーが一体化しているように思い浮かべるのです。
それが実感できるようになったなら、目を開けます。

1度で実感できなかったなら、何回か繰り返してやって下さい。
もしかしたら、ADHDの方にはなかなか大変かもしれませんが、
気持ちがそれるなら、そのつど中断して、又気持ちが落ち着きそうな頃合を見てやればいいのですよ。

これを繰り返していると、ADHDの症状も、少しずつ緩和されてくると思いますし。


因みに、突然絵が描けなくなってしまうのは、生活への不安とか、その他「人生、これでいいのか??」などの焦りなど、
何らかの理由で、自分の内奥との繋がりが途切れてしまったからだと思います。
少なくとも、私の場合はそうでした。
脳内の無駄な動きはありませんか?
ストロークの短い効率の良い働かせ方が出来ていますか?
やらなくても良いことや経なくとも良いプロセスが脳内に存在していませんか?
恐らく疲労が蓄積して余裕の無い状態なのではないかと推察いたします。
或いはやりすぎていませんか?
仕事がんばりすぎていませんか?
精神状態は安定していますか?
次回お会いできる日をお待ちしています。
定期的にいらっしゃい。

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