ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

pdfX12+photojournalismコミュの「黙殺の視線|写真家・新拓生さん」- #1 Reminders|I was there EXHIBITION

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
これまでReminders|I was there INTERVIEWでは、取材後の写真家たちのインタビューを動画でお届けしてきましたが(自分が写真家と会わない限り更新が叶いませんが、機会があれば随時追加されていくと思います)、今回、これから写真展を控えた、或は開催中の写真家たちとやりとりをしていける場も設けてみることにしました。
その第一弾に今回イベント欄で写真展「黙殺の視線」http://mixi.jp/view_event.pl?id=36058290&comm_id=2201044を紹介してくれたシンさん(新拓生さん)をお迎えして進めて行きたいと思います。
シンさんは、昨年行った東京の見る機会http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=24112941&comm_id=2201044において「これからの活躍が更に期待される写真家のポートフォリオレビュー」という枠のなかで、今回の写真展の内容を含むポートフォリオを紹介して下さった参加者のお一人でした。

Reminders|I was thereというのは、「私はそこにいた」という意味ですが、写真家が媒体として現場に存在し、そこにいて何を目撃し、何を捉え、何を感じたのか、被写体と写真家が共有した時間、シャッターを切るに至るまでにどんなストーリーがあったのか、是非、この場を通して写真家本人に聞いていけたらと思っています。

みなさんが展示や媒体で目にする写真は撮影されたほんの一部でしかなく、費やされたエネルギーや時間、被写体の思いなども含め、私たち見る側が知ることができる機会はあまりありません。それらも含め写真を見ることが出来れば、写真家が伝えようとするメッセージへの理解も深まるのではないかと思っています。
という訳ですので、またみなさんに参加してもらいながら進めていけたらと思っています。これから写真展がはじまるので、ここで聞いてから見ても、見たあとにまたここで聞いてみてもいいかと思います。

シンさん、よろしくお願いします。

まずは、今回の写真展「黙殺の視線」について、以前書面で頂いたプロジェクトの概要があるのですが、「見る機会」に参加していない方もおられますし、ご本人から写真展の内容について、もう少し詳しく聞かせて頂けたらと思います。よろしくお願いします。

写真展についてはこちら:
新宿ニコンサロン<biz>
11/4〜10日
大阪ニコンサロン
09/3/5〜11日
詳細はこちらです。
http://www.nikon-image.com/jpn/activity/salon/index.htm
http://www.nikon-image.com/jpn/activity/salon/exhibition/2008/11_bis-1.htm

youme.

コメント(21)

こんにちは。シンです。
作品は、ビルマのシャン州におけるAIDSの現状を撮影したものです。

ビルマはアジアの中で最もHIV感染率の高い国の一つとされ、とりわけシャン州はタイ北部と国境を接しているため、非常にリスクの高い地域です。
背景として、、
撮影を開始したのは2005年です。しかし、同地域において爆発的に死亡者をだしたAIDS危機はすでに過ぎ去っていました。このことはいわゆるジャーナリズム的(時事ネタ的)な意味においては完全に周回遅れと言えるでしょう。作品制作はこのような現地の状況から始まりました。

以下、ニコンサロンHPを転載します。

シャン州東部はビルマで最も早くAIDSが蔓延した地域である。
撮影を行ったシャン州東部の中心地、チェントン地区およびタイ北部と国境を接するタチレイ地区は、一本の自動車道で結ばれる。以前から多くの人々が出稼ぎ労働者としてこの道でタイ北部に向かい、日雇い現場や性産業で働く“リスク集団”を形成している。
80年代後半から90年代にかけてのタイ北部における感染爆発は、当然彼らを直撃した。そして、チェントン・タチレイ道路は、移動する人々、物資、わずかな対価に加え、大量のウィルスを運ぶことになった。元ドライバーの男性は「90年代半ば、50人のドライバー仲間は全員死んだ」と語った。
現在、チェントンは3度目のAIDS危機にある。90年代半ばまでの感染者からパートナー、そして母子感染。より貧しく知識の無い山地に住むシャン人、山岳民族のアカ人、ラフ人などに連鎖している。また、タチレイにはシャン州のみならず、ビルマ全土からの移住、あるいはタイを目指す中継地として人々の流入は増え続けている。国境の混沌からAIDSリスクが軽減することは無い。
ビルマが論じられる時、そのほとんどが表面的で形骸化し“個”への視線は皆無である。そして“軍政下の閉鎖的な国情”を逆手にとることで考えることをやめ、想像しない私達がいる。世界が注目したタイ北部とその根を同じくしていながら、未だに触れられないこの問題は、その無関心の典型である。
本展では、それぞれの“個”と対峙することで現状を知る手掛かりとし、彼、彼女らを感受することからその困難を考える作品を展示する。
作者は、「見えなければ」あるいは「見せられなければ」想像する姿勢を私達の出発点と位置付け、黙殺を改めるプロセスにしたいと考えている。
この文章の内容は会場にも張られるものです。
この文章は本来、背景と目的に分かれます。
話が前後しますが、制作にあたっては個人を主張させるものにしたいと思いました。その理由として文章最後の部分があります(目的)。
具体的にはポートレートで構成されるため、一般的なルポルタージュのように時系列や起承転結にはなっておりません。地域の経験としての背景が写真だけでは分かりにくいため文章で示しました。前半部分(背景)となります。

サイトがなく写真をお見せできないのは残念です。


制作の動機ですが、
これまでビルマの内情はほとんど知られず、とりわけ個人の顔は見られませんでした。また関心も払われていません。
このような国情、あるいは私たちの無関心の中、AIDSという精神的・肉体的苦痛を負った現地の人々がどのような境遇で生きているのか、実際に会ってみたいという思いを持ちました。
非常に大雑把な言い方になりますが、背景そのものはAIDSの蔓延の仕方としては標準的なものです。著しく人々が移動することによって被害が広がるというものであり、シャン州にも当てはまります。各国の背景と大差はありません。こうした蔓延の仕方を含んだ‘HIV/AIDS’の写真は多くのルポルタージュによって示されています。
もちろんこのようなアプローチでシャン州の状況を解明していくことも大変意義深いですが、私は選択しませんでした。
外形(概形)より個を選んだ理由はこれまでコメントしてきたとおりです。

つづく
キャプション
-------------------------------------------------------------------------
?HIVに感染したシャン人男性(29)と、その妻
9年間のドライバー生活で、その間にSEXワーカーより感染。
感染が分かってから2年、妻はその事実を知らない。
「薬を買う金は無い。HIV感染を家族に伝えても、心配をかけるだけでどうにもならない」
1年3ヶ月後死亡。


?夫亡き後、妻はタイで働いている
-------------------------------------------------------------------------



夫の葛藤、何も知らない妻、死後の妻の行動。それぞれを想像したとき、私はただうろたえるだけです。
この構成は?から?にいたる時間を見る方に想像してもらいたいという思いがあります。キャプションは想像のための補足としてデータを示しています。
事実の時間を具体的に埋めるのではなく、想像としてのリアリティに重きを置いたのは、受動的態度から能動的態度へという意味です。伝えられる情報を受け取るだけでなく、こちらから近づきたいと思います。ただうろたえるだけであっても、私達が想像という能動的な態度を示すことによって、彼らの存在を確認したいと思うのです。
こうした態度の必要性は多くのことに当てはまりますが、ビルマという国のAIDS問題は象徴的であるためこのような手法をとりました。



5回行きました。1回の撮影で2週間から1カ月程度の滞在です。
はじめは何のコネもないので、茶店などでこっそり情報収集していました。
3回目の渡緬で事情に詳しく、地域に人望のある人と出会いました。彼がガイドとして全面的にサポートしてくれたことで一気に撮影が進みました。

撮影ほとんどがすんなりとOKしてくれました。
必要なインタビューが済めば、お茶を飲んで日常会話です。ガイドが訳してくれていました。
渡緬するたびに会う家族もいます。

5回が多いか少ないか分かりませんが・・・
作品化するには現実的な問題(撮影量、費用、時間)もありますので・・・


〜エピソードからアプローチへ〜
取材を始めた頃、撮影中、被写体の女性が私の汗を見て、扇風機を当てるよう家族に言いつけたことがあります。
私はその心配りに感激するのですが、もうひとつ興味深いのは、その配慮が当たり前で極めて日常的に見えたことです。
私達からすればAIDSは非日常ですが、彼女や身近な人にとってはそれが日常です。私がそうであるように彼女たちも喜怒哀楽の日常を生きているとその時気づきました。
しかし同時に忘れてならないのはその前提が違うということです。心身の苦痛や労苦は推し量ることができませんし、同じ日常でありながら埋まらないであろう溝があります。
私はそうした相容れない点にアプローチしてみたいと考えました。





開期中は会場におります。
ご来場された方はぜひご質問くださいませ。
個人的にお答えできることもあるかと思います。
おまちしております。

>シンさん
初めまして。武隈周防ともうします。
(実は昨年の「見る機会」の会場でシンさんのスライドショーを拝見しましたので、厳密には初めましてではないのですが。)
写真展という質問するのに絶好の機会に伺えず、この場を借りる事をお許しください。
ビルマは、国のデリケートな部分を取材しにくいというイメージがありますが、シンさんが5回の取材を行う上で、政府に目をつけられたり、取材した相手が何かのトラブルに巻き込まれたりということはありませんでしたか?
また、ビルマ国内での移動や取材をする上で困難な経験がおありでしたらお教えいただきたいと思います。


武隈さま

今のところ対象者やコーディネーターに迷惑がかかったということはありません。
おっしゃる通り街中を嗅ぎまわるだけでも大きなリスクはありますし、相手も迷惑な場合があります。
私は非常に幸運で、数回目に現地人で事情の詳しい人と知り合い、全面的にコーディネートをしてくれたので、対象へのアクセスは容易になりました。しかし怖々撮影するに変わりありません。

移動に関しては外国人が入れない地域も多いです。また陸路移動が不可で空路可という地域もあります。

基本的に取材ビザは下りないので、どのような取材でもこっそり進めることになると思います。

シンさん

ご丁寧なレスをありがとうございます。
やはり優秀なコーディデーターの存在というのは大きいですね。
差し支えのない範囲で、そのコーディネーターの方と知り合った経緯を教えて頂けると幸いです。
はじめは何のコネもないのでただ街中をふらふらしていました。
先に書いたように非常にリスクある行動のため深く突っ込むこともできません。
しかしそうした小さな関係の紡ぎ合わせで、知り合いの知り合いの知り合いというような形で巡り合いました。
コーディネーター探しという形ではなく、実際の取材過程で知り合いました。

本当に偶然で幸運でした。

シンさん

返信ありがとうございます。
デリケートな部分への質問を大変失礼致しました。
運も実力のうちというか、地道な取材活動が功を奏したのでしょう。
写真展に行けなかったのが本当に心残りですが、今後のますますのご活躍をお祈り申し上げます。
また、なにかあったら質問をすると思いますのでよろしくお願い致します。

頑張っているみたいですね、俺も頑張ります

ログインすると、残り7件のコメントが見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

pdfX12+photojournalism 更新情報

pdfX12+photojournalismのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング