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雲の子ども 絵本コミュの雲を見つめる子供(中篇)

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マーク 雲を見つめる子供(中篇)
中篇0:
雲の姿は水彩画で描いた絵のようだ。空の広がりに浮かぶ雲は水の広がりに落とされた絵の具の広がりによく似て見える。絵の具を水で溶かして紙に落とすときの絵筆の動きを時間や空間を広げて想像できれば、きっとそのことが分かるに違いない。
でも、水の中では拡散して広がって薄く消えていくだけなのに、空では綿のようなかたまりとして長い間浮かび続けているのが不思議だ。
(写真 AA6)

今日は水族館からの帰り道なので兄のジェームズも一緒だ。水族館って不思議な世界だよね、ちょっと哲学的と言うのか・・・そばでジェームズが言う。そう思うけど、マークにとっては雲の世界も毎日のように不思議な世界なのかもしれない。
ひょっとするとマークのまなざしには雲は水族館で泳ぐ魚のように見えているのだろうか。時々そんな風にも思ってしまう。

コメント(6)

中篇1:
それから半年ぐらい経ったころ、真夜中の一時ごろメイから電話がかかってきた。マークが死んだと言う連絡だった。病院から連絡していると言った。チャンギ総合病院からだ。すぐマークを連れて帰るから、家の方に来て欲しいと言うことだった。
僕はすぐリン家に行った。午前二時には家に着いた。マークもメイもまだ帰っていない。ジェームズは夏休みの同じクラスの小学生とオーストラリアに行っていた。アニーの話によると昨晩からマークが激しい咳をするようになった。呼吸も速くなり止められないようになった。顔も蒼ざめていた。それで救急車を呼んでマークを病院に運んだと言うことだ。アニーはまだマークが死んだことを知らなかった。そんな話はメイからも誰からも聞いていないと言う。僕はメイから聞いたことを説明した。マークの死を聞いてアニーの顔はこわばり泣き出してしまった。リチャードは米国に出張中だった。
すぐマークの身体を運んで帰ると言っていたが結局、メイが帰ってきたのは午前三時半ごろだった。
家の前で車が停まる音が聞こえて、すぐメイが小さなマークの身体を抱えて家に入ってきた。看護婦が傍まで付いて来たが、メイはマークを抱えながら彼女に礼を言い、彼女はそのまま帰った。
「竜彦、マークを連れてきた(Mark is here)」
・・・その言葉だけはよく覚えている。

(写真 Markishere)
中篇2:
マークの部屋で・・・・
 マークの身体は上向きで彼のベッドの上に置かれていた。青色の吊りベルトの付いた半ズボンを履いている。メイが検査の
終った後で、もう一度着せたのだろう。身体の上には何も被せていない。マークの白い二つの脚がベッドの敷布を押し込んでいる。眠っている姿とさほど変わらない。足先の指の爪はマークのものだ。丸く丁寧にカットされている。マークの死因はまだはっきりとは分からない。直接的には呼吸不全、呼吸停止、応急処置が続けられたが心臓が停止すると言う過程をたどったようだ。
どうしてこんな事になったのか知りたいと思うけど、いつかはこんな日が来ると分っていたような気もする。ここまで生き延びられたのが不思議だわ、そうメイが言っていたのを思い出す。
 竜彦はベッドの前の白い壁に自分の身体を支えて彼の身体を見ているが、いつまで見ていても何も変ることはない。
メイが部屋に入って来た。
「亡くなったのは午前零時ごろでした」
 メイは沸かしたお湯が入ったたらいを手で持ったままそう言った。それからタオルでマークの身体を丁寧に拭き始めた。マークの顔から始めて、上のシャツの首からタオルを通して胸を、シャツをめくり上げながら、お腹のあたりを濡らしたタオルで撫でるように拭いた。汗かきのマークの身体を拭いているメイの姿はいつもと同じに見えた。顔を拭く時にメイは自分の耳をマークの口元に持っていった。呼吸が本当にないのかを確かめたのだと竜彦は思う。このしぐさはマークが良く眠っているかどうかを見るためにメイが元々よくやるしぐさなので、自然と出たのかもしれない。
(写真 Ryousannhetwo)

中篇3
竜彦は部屋が暗いままだった事に気が付いて、窓の傍に行きカーテンを引いた。時間が過ぎて夜が白み始めていた。太陽が地平線の向こうに姿をあらわし始めていた。濃紺の霧に閉ざされたような空の中にわずかな光が差し込んでゆく。濃紺の中からオレンジ色の細い光のしぶきを屋根に浴びた街並が現われ始めていた。空はとても静かで今から青く染まろうとしていた。木々と屋根の間を一筋の光が長い旅をしながら流れて行く。

 窓を少し開く。木の梢についている水滴が光で騒ぎ始める。蒸気の流れが日差しと共に竜彦の中に滑り込んでくる。頭は水滴でいっぱいになったように感じる。呼吸する。冷たい空気が体の中を通過する。吸い込む息と吐き出す息の間に何度も意識を失って休息したように思う。メイがシーツをさわる音が聞える。
「竜彦さん、眠くない? ソファーに横になったら」
 窓ガラスから青い光が射し込んでいる。一、二、三、四、・・・・三十二枚の白いガラスと二十四枚の青いガラス。木の机。うつろに開かれた引き出し。机の上で光がもの珍しげに戯れる。本箱の上には古ぼけた時計。メイがマークにほお擦りをしている。空気清浄器が動作する音が聞える。マークが部屋に帰ってきたのでメイがスイッチを入れたのだ。
「マークは昨日ここにいたのですか?」
「そう、私と音楽を聴いていたの。そして寝かせて・・・・竜彦、ごめんなさい・・・」
 こちらを向いて身体を寄せてきたメイの肩を竜彦は抱いた。しばらくそうして竜彦は肩を両手で押さえていた。
「メイの責任じゃないよ」
 そしてメイは食事の用意をすると言って部屋を出て行った。竜彦はベッドの傍にある椅子に座り枕元にあった人形を持った。人形の首に巻かれている紐につけられたハート型の金属製のペンダント。そこで光は反射して銀のように散らばって行く。部屋は大きく膨れ上がり呼吸するガラス球の中にいるように感じる。
腕に触れてみる。冷たい。昨日の夜の冷気がマークの中に潜んでいたように思える。この白い腕を使ってマークがベッドの上で竜彦の胸によじ登ってきた。唇をしっかり閉じて竜彦をしっかり抱きしめてきた時のことを思い出す。
中篇4

竜彦はしばらくして目を覚ました。ソファーで眠ってしまっていた。誰かが身体の上によじ登ろうとしているのを感じて目を覚ましたのだ。窓は開けられたままで、風がカーテンを揺すりながら入ってくる。カーテンは舞い上がり反対側の壁にも届くのではないかと思える。
カーテンの傍には誰も座っていない椅子が一つ置かれている。竜彦が来た時に座るために用意されたものだ。机の上には冷えたコーラが置かれている。目が覚めた竜彦が飲めるようにとのメイの配慮だろう。あまりうまくない。胃の重みのような感覚を感じていやになる。胃の表面の壁に沿って冷たい黒い液体がゆっくりと染み込むように流れている。何もお腹の中に入っていないからだろうか。
息を吸い込むと胃の表面の冷たい液が蒸発してよけい寒く感じる。心臓の鼓動がいつもより早いようだ。多少熱があるのだろうか。頭に中が騒がしい。言葉の破片がとてつもなく速く頭に中で駆け巡っていているように感じる。とても速くてつかむ事ができないし、その破片を普通の文法の上にうまくのせることができない。それらの語は頭の中から時々飛び出すので部屋中が唸っているように感じられる。しかし部屋の中で物音一つしていないのはよく分かっている。
 部屋全体が言葉の破片でざわめいているかのようだ。スタンドの光の中で白いシーツの上の竜彦の影が揺れている。マークの白い顔や脚の上を竜彦の影が蛇のように横切って行く。光、シーツ、影、揺れるなどと言う言葉が、部屋の中を吹いている僅かな風と共に飛び回り反響する。寒気がする。部屋は傾いたり膨れ上がったりしている。竜彦は寒くてたまらず、マークのベッドの傍にたたんであった、毛布を身にまとう。毛布を頭からかぶり目をつぶった。

竜彦には目をつぶる前に見た光景が頭に残った。カーテンが風で舞っていた。そのカーテンの向こうに誰かが立っていたような気がした。それはマークのような気もした。

 結局一度目覚めた竜彦はもう一度眠ることもできなかった。更に風邪をひいてしまったのも確実だった。

起き上がるとベッドの傍にマークが立っていた。
マーク、どうしたんだ?
一瞬そう思ったが、違う。ジェームズが
帰ってきていたのだ。そう言えばマークより
少し身体が大きい。
「竜彦、僕は今、帰った」

(写真 Ryousannheone)
中篇5
  しばらくして、竜彦はオートバイに乗ってリン家を後にした。ジェームズがすぐ戻って来るのかとたずねた。後で連絡すると言って竜彦は外に出た。オートバイが誰のものかは分からない。アニーの男友達のものかも知れないし、マークを時々訪れるボランティアの男のものかもしれない。エンジンは一度でかかった。竜彦はエンジンの音の中で呼吸する。唇にはさわやかな微笑みが戻ってきた。またしても出発だ。
 竜彦はまた自分の行き場を失ってしまった。自分は誰のために存在すれば良いのか。誰が自分の存在を必要としているのか。竜彦はエンジンをふかして家を出た。心臓は地面の下で鼓動している。道路も電柱も何もかもが過去へと飛んで行く。時間も、興奮も、訳の分からない言い争いも、夜も昼も、あの空っぽな夢も。
竜彦はオートバイでそのまま海辺へ出てみた。砂浜で幾つもの円を車輪で描いた。竜彦は滑ってオートバイから転げ落ちた。横倒しになったオートバイはまるで死にそこないの動物のようにぶるぶる震えている。竜彦は砂浜で横になっていた。
 海はとても静かでエンジンの音しか聞えない。ただ幾千億もの砂粒と海だけがあり、人影はまったく見えなかった。砂は冷たく気持ち良かった。その冷たさが竜彦の精神の深淵まで浸透してゆくように感じられた。海はまだ眠っているようだ。水平線の果てだけが青く染まっている。
中篇6
  竜彦には時間がどのように流れてゆくのかが分からなく思えた。未来とか現在とかは区別の付かないもののように思えた。海は広い円盤の上で海岸に沿って静かに、しかもたえず新たに砕けては散っていた。不思議な感じだ。空気が重たく、鉛が軽く感じられ空を飛ぶ鳥が魚のような気がする。このシンガポールの暑さの中で竜彦は冬を感じている。風が髪の毛を散らした。そして雲がゆっくりと流れてゆく。砂は風を受けて砂丘の間を滑るようにまわり、自分はひょっとすると、もう存在していないのではないかと思う。
もはや自分と言う不可解な核が解体してあらゆるものが直接的に自分と混ざり合っていると思われ、この静かな海が自分自身であるかのように思われる。
そしてわずかに聞える風の音や砂の動きの中で竜彦は幾多のお伽話に出会う。やさしい水の精の話。空飛ぶ馬の話。マークと言う言葉を話さない小さな雲の物語。そして竜彦と言う砂浜の中のひとつの砂粒の話。もはや竜彦が存在していることも一つのお伽話ではないだろうか。
竜彦は空を見上げた。太陽は少しもまぶしくはない。その輝きは息を吸い込むと小さくなり吐き出すと大きくなる。それは銀色の小さな円盤のようなものだ。今、彼は空と雲との間に到達している。自分と雲の間には距離が存在しない。彼は空に向かって落下してゆく。

 
 竜彦は限りなく深い、しかもゆっくりしためまいに襲われた。一瞬太陽の日差しが青く輝いた。雲が青く染まり、何も見えなくなった。彼はその暗いドームの中でもう一度声を上げた・・・・マーク・・・でも、その声はゆっくりと消えてゆき、もう誰も答えては来なかった・・・・
(写真 393877648_179)

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