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競馬・ダメ予想家のダメダメ理論コミュの凱旋門賞【1】

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私が唯一、デビュー戦から引退まで追いかけた馬は、後にも先にもエルコンドルパサーしかいない。
11戦8勝2着3回、連対率100パーセント。
馬連しかなかったあの時代、1頭の馬でデビューから引退まで馬券を勝ち続けたのも、エルコンドルパサーが最初で最後だろう。

NHKマイルCを圧勝したあと、ダービーでも絶対に勝てると確信。
『明らかに距離が長い』と嘲笑する周囲の競馬仲間を見返すためにも、心からダービー出走を熱望していたが叶わず。
しかし、ダービー馬スペシャルウィーク、天皇賞馬エアグルーヴを2馬身以上突き放したジャパンカップで、エルコンドルパサーに秘められた距離不問の強さが証明された。

その翌1999年、エルコンドルパサーは日本中の夢を背に、フランスへ飛んだ。
1986年のシリウスシンボリから、実に13年ぶりの世界最高峰へのチャレンジ。
日本調教馬と日本人騎手のコンビでは、1972年のメジロムサシ(18着)以来の渡仏だった。

この挑戦の少なさが、凱旋門賞というレースの敷居の高さを如実に表していると言えよう。
それまで、二桁着順しか経験していなかった日本馬。
国内でどれほど強くても、凱旋門賞では結果を出せないというのが当時の常識だったのだ。

エルコンドルパサーは、そんな苦渋の歴史を覆して2着に健闘。
あと一歩のところで、悲願の栄光には届かなかったが、日本競馬の凱旋門賞に対する認識が大きく変わる転機になったのは間違いないだろう。
メジロムサシからシリウスシンボリまでが14年、シリウスシンボリからエルコンドルパサーまでが13年という間隔だった凱旋門賞挑戦だが、エルコンドルパサーを境にその頻度は激増した。

1999年のエルコンドルパサーから3年後の2002年にマンハッタンカフェ(13着)、その2年後にタップダンスシチー(17着)。
その2年後の2006年には、日本近代競馬の至宝ディープインパクト(失格)が渡仏し、その2年後の2008年にメイショウサムソン(10着)。
そして、2010年にナカヤマフェスタ(2着)とヴィクトワールピサ(7着)の2頭が挑戦してから、今年に至るまで日本馬は毎年凱旋門賞に出走している。
あれほど遠い場所にあった凱旋門賞が、今や毎年の恒例行事になるほど近い存在となったのである。

昨年は、ダービー馬2頭が参戦し、2着、4着。
そのオルフェーヴルはターフを去り、キズナはケガで戦線を離脱した。
しかし、今年も日本は3頭の有力馬を彼の地へ送り出す。

年を経るごとに、層が厚くなる極東からの刺客。
西洋列強の独壇場だった難攻不落の凱旋門賞が、東洋のサムライによって落城するのも時間の問題だ。
今年こそはと、期待せずにはいられない。

エルコンドルパサーの2着から15年・・・。
あと数分で、世界の歴史が動くだろう。

コメント(2)

>>[1]

馬の能力以前の問題だと思いますよ。騎手が悪いわけでもない。
やっぱり、エルコンドルパサーのときのように、長期滞在でいろいろな準備を現地でしないとダメだということを、今回改めて痛感しました。
それは、馬が向こうの馬場に慣れるという意味もあるし、騎手が乗り方を学ぶという意味もあるし、スタッフが人脈を広げるという意味もあります。
いろいろな面で、馴染んでいくことが重要なんじゃないかと感じました。

しかし、海外にスタッフを長期滞在させるには、莫大な資金が必要ですね。
聞くところによると、それらはすべて馬主が負担しなくてはいけないとか。
長期滞在せずに、ぶっつけで凱旋門賞を使うのは、そういう資金的な原因もありそうです。

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