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Clumsy Love (短編集)コミュの月夜(04.12.24・完) 38kバイト

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【月夜 その一】

 私の初体験なんて、他人に嬉々として話せるほどロマンチックじゃない。
 どちらかといえば、軽い感じの友達に話したあとで、
「あーぁ、やっちゃったね。でも、みんなそんなもんじゃない?」とか言われるぐらいなもの。
 それでも自分にとってみればイヤでも思い出の一部だし、好きな人に抱かれたことは後悔してなかった。
 ……昨晩までは。

「さぁ、じゃんけん負けたんだから、潔く話しなさいよねーっ」
「そうよ、しっかり話してっ!」
「ひゅーひゅー♪ 我らの委員長の過去が、いま明かされまーす♪」
「……もう。みんな、グルでしょ? 一曲唄う、とかで許し……」
『ダメーッ!』
 懐かしいというには微妙、お久しぶりというには最適な三年目の区切りで、私たち仲良し4人組はカラオケボックスに集まった。
 本当なら一年前のクラス同窓会で揃うはずだった“おしゃべりカルテット”。
 その当日、私ひとりがドタキャンしたためにお流れとなり、今日まで再会のチャンスがなかったのだ。
「グルなんて失礼なこと言わないでよねーっ。言わせてもらうなら、遅れてきたあなたの負け〜ぇ」
「そうそう! アンタが遅刻するのがいけないのっ。私たちより、彼氏でも選んだんでしょ?」
「そ、それは……」
「えー、うっそ、図星ぃ? 彼氏、居るの? ねっ、紹介してっ♪ ねっ、いい男!?」
 言い淀んだ私に対し、酔っぱらい3人組は多勢に無勢の猛攻で、ボックスのドアもしっかりと塞いでくれる。
 ――仕方ないかな、もう。
 ドタキャン・遅刻の代償は、いつかは払わなければならない。
 それなら……と私は覚悟を決め、来たばかりのビールで口を湿らせ、逃げ口上のマイクを手放す。
「わかったわ。初体験のこと話すけど、ひとつ約束。軽く聞き流して」
「うん。約束、約束♪ 酔いと一緒に流しちゃうからっ」
「安請け合いしない方がいいと思うなぁ。委員長の念押しって、裏があるよ。ねっ?」
「裏なんてないわよ。表も裏も、なーんにもないから」
 そう言って、さらにあおるビールが、あの日まで遡る力を貸してくれる。
 あれは夏休み、男女ふたりずつで遊びに行ったキャンプ地でのことだった。



【月夜 その二】

 メンバーは、中学時代のクラスメイト。
 進学先の違いから疎遠になりかかっていたため、“小さな同窓会”的な気持ちで招集がかかったのだ。
 しかし、男女3:3で計画されていたキャンプも、うち一組が抜けてしまい、一時は無期延期になりそうな気配が漂った。
『でもさ、せっかくのチャンスなんだから……ねっ?』
 進学先で何となく任されてしまったクラス委員長という立場の影響か、必死になって計画を実行に移そうとした私。
『これを逃したら、もう集まれないかもしれないでしょ?』
 ……というのは建前で。なんのことはない。
 ただ、残った男の子ふたりのうちの“ひとり”が気になり、チャンスを逃したくなかっただけのこと。
 もしも計画を抜けたのが“彼”だったら、私も行くつもりをなくしていたと思う。
『うーん、そうだな。4人になったけど……行こうか? オレとしても、中止は避けたいかな』
 その一言が彼の口から出たとき、私は思わず喜びの声をあげてしまい、残りのふたりにクスクスと笑われた記憶もある。
 そして、計画の練り直しが始まり、誰からともなく、『一泊で行こうよ』の案があがり、あれよあれよという間にスケジュールも決まったのだ。

「すっごーい♪ その彼と、キャンプ場でしちゃったのね!?」
「……こら、友子。黙って委員長の話、聞きなさいよっ」
「そうよ。いちいち確認しちゃったら、つまんないでしょ?」
「あっ、いけねっ。ごめーん♪ 続けて、続けて!」

 キャンプの初日は、一泊するということもあって昼過ぎに現地到着し、河原で少し遊んだあと、夕食のバーベキューで盛り上がった。
 夏休みだけあって、キャンプ場に来ている客は多いと思っていたが、実際には思っていたよりも少なく、夜が近づくと借りたバンガローの周囲は物音ひとつしない。
 初めのうちはそんなことに気づきもせず、それぞれの進学先での出来事などを持ち回りで話したりしていた。
 が、ふとした拍子で空いた間に、場の空気を持って行かれてしまい、沈黙が訪れる。
 ――あ、何か言わないと。
 バンガローの張りに吊された裸電球に惹かれて寄ってきた虫が、ぼやけきった影を床に落とす。
 私はあれこれ話題を考えてみたが、もう出尽くした感があり、なかなか良いモノが見つからない。
 そんな中、もうひとりの女の子が、
『……すごく静かだよね。車の音とか、全然しないし』と口を開く。
『そりゃ、こんな山の中のキャンプ場だし。このバンガローも……他のところより、少し離れてるから静かだよな』
 私の注目する“彼”がにっこりと笑い、新しい会話のリレーがふたりの間で始まる。
『夜、静かすぎると怖くない? ワタシなんて、音楽かけっぱで寝ないとダメなの』
『そうなんだ。オレも同じ』
『やっぱ、そうだよねーっ!』
 改めて盛り上がる彼・彼女ペアと、残された感のある私ともうひとりの男の子――福井くん。
 何故か口を挟めず、ただ笑顔で頷く役に徹していた私だが、ひとつ奇妙なことに気づいた。
 福井くんが向かいに座る彼女に対し、チラリ、チラリと視線を投げかけている。
 それは、ふたりの話に入るタイミングを計るというよりは……打ち切らせようとしている風に見えた。
 ――どうしたんだろう?
 私は疑問を隠せず、その横顔を観察してみる。
 かすかに開きかけた唇は、何度となくためらいに終わり、そのたび代わりのため息を漏らす。
 それがどこかおかしくて、私が思わずクスリと笑えば、福井くんがこちらに視線を移してきた。
『えっと……俺の顔、何かついてる?』
『ううん、なんにも』
 取り繕うような言葉に、私も戸惑いを返す。
 一瞬だけ交差したときに見えた福井くんの瞳には、どこか悲しげな色が宿っていた。
『あれーっ、どうしたの? さっきからふたり、ずっと黙ってるけど?』
『あ、うん。話の邪魔しちゃ悪いかなぁーと思って』
 さらに取り繕うハメになった私は、そこで自分の返事から……ひとつの仮説に辿り着く。
 ――福井くん、彼女に気があって……ふたりが楽しそうなのが面白くない?
『えーっ! せっかく4人居るんだから、もっと話そうよーっ。そのために集まったんだよぉ』
 私よりもずっとおしゃべりな彼女は、明るくふたりを招き入れてくれる。
 しかし隣の福井くんは、彼女の誘いをあからさまに断るようなキツめの視線を返すだけ。
 ――もう少し、素直になればいいのに。
 せっかく彼女が作ってくれたチャンスを潰すのはもったいない。
 そう思った瞬間、私も自分の気持ちに気がついた。
 ――あ、そっか。私も“面白くなかった”んだ。
 私がキャンプに来たのは、“彼”が居たからこそ。
 それだけが目的ではないにしろ、ずっと誰かに占有されてしまったら……やっぱり、納得がいかなくなる。
 だから自分の口からも、『邪魔しちゃ悪い』なんて言葉も出てきてしまったのだ。
 ――どうしよう?
 なにやら自分の中で、モヤモヤしたものが渦巻き始めた。
 私の隠れた本音が、どんどん彼女を悪者に変えていく。
 身勝手だと解るだけに嫌悪感が生まれ、さらに気分が沈んでしまう。
 ――イヤだなぁ、ホント。せっかく楽しい時間を過ごそうと思っていたのに、こんなちょっとしたことで……。
『なんか、顔色よくないな。どうしたの?』
『えっ?』
 彼が妙に優しい言葉をかけてくれたのに驚く私を見て、
『あ、もしかして調子悪かったの? それならそうと言ってくれればいいのにぃ』と心配する彼女。
 そして、私が気の利いた言葉を返せずに居ると、福井くんがスッと立ち上がり、
『暑いからな。……俺、なんか冷たい飲み物でも買ってきてやるよ』と言う。
『あ、そんな気にしないで。ちょっとぼんやりしちゃっただけで……』
『ほらほら、遠慮しなーい。ワタシもちょうど喉乾いたからさっ。一緒に行ってもいい?』
 私の遠慮など気にもせず、彼女も立ち上がり、福井くんの買い物に同行しようとする。
『……あっ、あぁ。それじゃ、ふたりは留守番、頼んだぞ』
『OK。……あ、ついでにオレはお茶を頼むけど……』
 そういいながら、彼が福井くんと私の間で視線を泳がせたのを見て、何を問われているかを理解した。
『じ、じゃあ……同じでいい。お茶、お願い』
『お茶ふたつねっ。りょーかい! じゃ、行こっか 福井?』
 彼女に腕を引っ張られて少しよろめいた彼は、さっきと同じ瞳を一度だけこちらに向け、何も言わずあっという間にバンガローから姿を消す。
 こうして、妙に話しづらい雰囲気のまま、私と彼の“ふたり”だけが残されたことになったのだ。

「わぁお♪ そ、それでそれで?」
「……友子」
「だってーっ! ずーっと聞いてるだけじゃ息苦しくて」
「そうよね。みんなが面白がるような話でもないし。だから、この辺でやめても……」
『ダメーッ!』
 ――そう言われると思ったわ。
 私は予想通りの答えに苦笑する。
 もちろん、やめるつもりはサラサラない。
 自分だって、ここまで話したら……最後まで聞かせたいのだ。



【月夜 その三】

『なんだか、私……悪いことしちゃったね』
『なにを?』
『うーん。ほら、なんとなく……』
 ふたりきりを自覚した瞬間から意識してしまい、うまく喋れない。
 彼は私を見て少し黙ったあとで、
『なんとなくじゃ分からないよ』などと笑ってみせた。
 ――そうは言われても……。
 意識せず、自然に話そうと思っても身体がついてこず、喉がカラカラになる。
 こんなにドキドキしている自分が信じられない。
 私はひとり落ち着くのに必死で、まともに彼の顔を見ることができなかった。
『ところでさ。キャンプ、来てみて……どう?』
『キャンプ? うん、楽しいよね。みんなで騒ぐの久しぶりだったし』
『これ、フルメンバーの6人だったら、もっと良かったと思うか?』
『そ、そうね。6人だったら……』
 ――あぁ、そうね。
 返答してから考え思いつく、計画から外れたふたり。
 いまは、このキャンプに来られなかったことを後悔している頃だろうか?
『6人なら、もっと違う時間が過ごせたかもしれないけど、俺は4人で良かったと思うよ』
『……どうして?』
『うーん、そうだなぁ。ほら! 人数少ない方が、ひとりと喋る時間も増えるだろ?』
『そうね』
 円滑になってきた会話が、私に小さな勇気をくれた。
『……そうよね。いまだって、あなたとふたり、喋ってるもの』
 そう言ったあとで、自分が意味深なことを口にしたのではないかと後悔する。
 ――あなたと、ふたり。
『だな。今日、あんまり喋ってなかったから、嫌われてるかと思ってて……』
『えっ? 誰が?』
『俺が』
『誰に?』
『…………』
 無言の視線が指す相手は、考えるまでもなく私以外ない。
『そんな。嫌ってるわけないでしょ? 嫌いなら、一緒に来たりしないもの』
『……良かった。そうだよな』
 こちらの答えに、彼はホッとした笑顔を見せてくれる。
 もちろん、私にとってもこれほど嬉しい反応はない。
 でも、人間は安心すれば欲が出るもので。
 少し危険とは思いながら、あえて踏み込んでみたくなるものだ。
『だけど、別に私とじゃなくてもいいんでしょ?』
『……なにが?』
『話す相手。さっきみたいに、ひとりとじっくり話せれば……』
『あぁ、そういうことか』
 彼はこちらの意図をすぐにくみ取ったらしく、何度か頷いながら次の言葉を探している。
 ――なんて言うかな? 私と話す方が面白いとか、タイミングを待ってたとか……。
 私は都合いい考えだとは思いつつも、自分に傾いてくれることを期待している。
『もしかして、オレと話したかった?』
『あははっ、なにそれ』
 ちょっと偉そうな物言いに、私は思わず吹いてしまった。
 まるで、自分が話しかけられるのを当然のように考えているみたいで、ちょっと腹が立つ。
 ――私の気も知らないで。
『マジメに聞いてるんだ。……オレと話したかった?』
『……それは……』
『オレは、話したかった』
 力強い言葉と共にしっかり見つめられてしまい、顔をそらすこともできない。
 どこかで見聞きしたことのあるシチュエーションでも、正直してやられたと思う。
 彼は、このタイミングを狙っていたのだ。
 ――どうしよう。
 答えは考えるまでもなく、彼と同じ……話したかったの一言しかない。
 しかし、それを言ってしまったら、何か後戻りできなくなりそうな気がして、うまく口が動かない。
 また喉がひりつき、飲み込む唾の音が彼にまで聞こえてしまう。
『悪いな、急に変な質問して』
『う、ううん。そんなことないよ』
 ――謝らないでよ。
 素直に答えられない自分が、すごくみじめになるから。
 おまけに、失ったチャンスを取り戻す方法が見つけられなくなったのも辛い。
『……なあ。今日キャンプに来なかったふたり。なんで来なかったと思う?』
 ――ふたり? あぁ、来られなかった……。
 6−4=2。
 突然話の路線を変えられてしまって戸惑ったが、すぐに外れたメンバーの顔が頭に浮かぶ。
『他に用事ができて、予定が合わなかった……とか?』
『まぁ、半分アタリかな』
『半分?』
『……あいつ等、ふたりで遊びに行ってるから』
『えっ!?』
 不参加の意思表示をされたときのことを思い返せば、確か……ふたり同時ではなかったはず。
『あのふたり、付き合ってるんだよ』
『うそっ!? ホントに?』
『本当さ。だからこそ、“ふたりで”不参加ってわけ』
『それならそうと言ってくれれば……』
 そこまで言って、私はひとつ疑問を覚える。
 彼は知っている、私は知らない。
『……ねぇ。ふたりが来ない理由って、知らないのは……私だけ?』
『黙ってて悪かったとは思うけど、その通り』
 と言うことは、福井くんも彼女も知っていた、と。
『どうして、私には教えてくれなかったの?』
『正直に話しても、怒らない?』
『怒るかどうか、聞いてみなくちゃ判らない』
『教えるとバレるかもしれないと思ったのが、ひとつ』
『なにがバレるの?』
『来なかったふたりは、俺たちとこのキャンプに行く……と言って、家を出てるんだ』
 ――それって……。
『どっちの両親も厳しいから、“ふたりで旅行”なんて言ったら絶対に無理……ってことで。初めから、こっちに参加するつもりはなかったんだ』
『私たちが“ダシ”に使われたのね。でも、だからって、なんで私に教えてくれなかったの?』
『キミ、マジメだから。そういう口裏合わせとか、苦手そうだったし。帰る間際ぐらいには教えるつもりだったんだ』
『……ふーん、そういうことか。知らないのは私だけ、ね』
 疎外感が急速に高まる。
 いや、それよりもそんな風に見られていたことの方がショックだった。
『あとは、最初に6人ぐらいで計画しないと……キミが来てくれないかも、と思って』
『……どうして?』
『4人。男女2:2(にーにー)のペアみたいな組み合わせだと、誘ってもダメかな……みたいな。これが、もうひとつの理由』
 ――そんなこと、ないのに。
『でもさ、4人に減っても行こう!……ってキミが言ってくれたとき、隠し事しなくても良かったか……って思った』
『逆に、向こうを“ダシ”に使ったのね?』
 4+2=6。計算するまでもない。
『そう……なるかな?』
『なるかな、もなにも……』
 初めから、このキャンプは4人で計画されていた。
 中止になるはずもなかった計画に、自分が必死にしがみついただけの結末。
『もう、いいや。なんか、疲れちゃった』
 ひとりで空回りしていたような気になり、私は疲れた笑いをこぼす。
『ごめんな。もっと早くに教えた方が……』
『関係ないわよ。早くても、遅くても』
 私は軽く目を閉じ、大きく溜息をついた。
 実際には、それほど問題視することでもない。
 ――知ってしまえば、それはそれで……。
 そんな風に結論づけようとしたとき、まぶた越しの光が急に弱くなる。
 ――えっ?
『……あ、電気が……』
 彼の声に導かれて目を開く。
 さっきまでは明るかったバンガローの中が、ほとんど真っ暗に。
 私は自分の前に立つ影にびっくりしたが、それは立ち上がっていた彼の姿だった。
『切れちゃったの?』
『……のかなぁ?』
 彼はゆっくりと腰を下ろしながら、
『うぉお、見えない』などと苦笑する。
 それに私もつられて笑い、そっと彼に向かって手を差し伸べる。
『ころばないでね』
『ありがとう』
 自分からとはいえ、指先が触れた瞬間にドキリとしてしまう。
 それが暗闇の中とくれば、よけいに……。
『うわぁ!?』
『きゃぁ!』
 バランスを崩した彼が、私の方へと倒れ込む。
 驚きと衝撃の予感にギュッと目を閉じるが、恐れていた重みはない。
『だ、大丈夫か?』
『……う、うん……』
 ゆっくりと目を開ければ、少しだけ慣れてきた視界に彼の姿が見える。
 それも、すぐ間近に……じっとこちらをみつめる顔が。
『……どっか、ぶつけたりしなかったか?』
『……平気……』
 開け放たれた窓から流れ込む涼しい風が、少し長めな彼の前髪を揺らす。
 それが私の鼻をくすぐり、思わず肩をすくめる。
『やっぱり、かわいいな……オマエ』
『……えっ……』
 吐息のかかる距離から、さりげなく言われてしまった言葉に心を乱される。
 私は恥ずかしさから逃げ場を探そうとしたが、それよりも先に……。
『……あ……』
 近づく唇をよけられず、そのままキスを受け入れてしまった。
『……ば、ばか。なにするの……』
 自分でも情けないぐらいに声が震える。
 キスされたことがイヤだったんじゃない。
 どうしていいか分からず、ただただ身体がすくんでしまっただけ。
『ダメだったかな?』
『……ずるいよ。不意打ちでキスしてからそんなこと言うなんて』
『怒った?』
『怒らない……っていうか、怒れない』
 思考がまとまらない自分に苛立ち、私はなかばヤケになって首を左右に何度も振る。
 彼の落とす影から逃げるのが精一杯。
 少しだけ首をひねり、さっきの仕返しをするために頭をもたげる。
 今度は、こっちから。
『……ばか』
 キスのときに目を閉じず、彼の顔をうかがうぐらいの悪戯はいいでしょ?
 私は窓から差し込む月の光を横目に、誰に習ったわけでもなく……彼に呼吸を合わせた。

 時間だけでなく、音も止まる。
 やがて自分が無理に浮かせていた上体を支えるように、彼の腕が背中へと回ってきた。
 それと同時に、覆い被さる影がゆっくりと体重を預けてくる。
 ふたりは、ともに薄着のTシャツ。
 押し重なった胸から自分の鼓動が漏れ伝わるような気がして、ちょっとだけ身を引く。
 ブラを着けているとはいえ、素肌に近い感触と体温がじわじわと浸透してきた。
『あ、苦しかった?』
『そんなことないよ』
 気を遣ってくれる彼を誤解させないように、なるべくリラックスしようと心がける。
 無駄な力が抜けてくると、自然と頭も働き出す。
 ――あっ、福井くんたちが戻ってきたら。
 私は取り返しのつかない未来を恐れ、彼にも現実を取り戻してもらおうと口を開いたが……。
『あっ、だめっ! だめだよっ!』
 いつの間にか私のTシャツがたくしあげられそうになる現実の方が先に来ていた。
『ふたりが戻ってきたら……どうするの?』
 脇に力を込め、これ以上の進行を食い止めようとする私。
 それに対して彼は一言、
『平気だよ』と答えにならない囁きを返すだけ。
『平気って……そんな』
『しばらく戻ってこないよ』
『だって、自動販売機はそんなに遠くないし……』
『そうかな?』
『……えっ?』
 彼が何を言いたいのか、全く理解できない。
 福井くんは飲み物を買いに、彼女はそれについていって……。
『オレ、まだキミに教えてないことがある』
『なっ、なに?』
『買いに行ったふたり、当分は戻ってこないはずだから』
 暗がりの中でも、はっきりと分かるぐらい自信に満ちた目は、私に妙な安心感を与えてくれる。
『……どうして、そう思うの?』
『そう……約束したから』
『だ、誰と?』
『ふたり、と』
 ――ふたり? あのふたりと?
 自分の中で復唱したフレーズに気を取られているうちに、Tシャツがさらに持ち上げられる。
『腕を少しだけ上げて』
『えっ、あ……う、うん』
 言われるがままにすれば、ちょっと無理な体勢ながらも肘が抜け、肩口も通過し、首元に布が溜まる。
 同時にブラの肩ひもがゆるんで落ち、申し訳程度に胸に貼りついている状態となった。
『ちょ、ちょっと待って。お願い』
『ん? いいけど』
『ふたりと約束した……って、どういうこと?』
『だから、しばらく戻ってこないってこと』
『いつ? どうしてそんな……』
 ――また私の知らないところで、話がまとまっている?
『んーっと。あいつらが気を利かせてくれたから』
『よく、わかんないよ』
『だからさ。もしもオレたちがふたりになったら、しばらく席を外してくれ……って』
『いつ? いつそんな約束したの?』
『旅行に来る前。……あっ、もしかして怒ってる?』
『…………怒るより、呆れた』
 自分の言葉に嘘はない。
 どちらかと言えば、考えるだけバカバカしくなってきた。
 ――それならそうと、教えてくれればいいのに。
『だけど、そんな約束で大丈夫なの? 忘れてたりして、急に戻ってきたら……』
『バンガローが見えるところまでくれば、察するだろ? だって、ほら』
 背中から外された右腕が、張りからぶら下がるだけの役立たず――裸電球を指さす。
『オレは、電気が消えてたらさすがに判ると思うけど、どう?』
『……そうね。だけど電球が切れたままじゃ、いつまでも戻ってこれないと思うけど、どう?』
 私のちょっとしたオウム返しに、彼はくすりと笑った。
『……平気。あとでつけるから』
『替えの電球、ないでしょ?』
『そんなの、必要ないって』
『朝になれば平気ってこと?』
『……いや。普通につくからさ』
 ――そっ、それって!?
 私は彼を押しのけ、急いで立ち上がる。
 そして、冷めかかった電球の横にあるスイッチを捻れば……。
『きゃっ、まぶしい!』
 間近で光を見てしまった私は、身を屈めて電球から逃れる。
『そういうことだったの!?』
『そういうこと、だね』
 ――また、だまされた!
 電球は切れたわけではなく、彼がスイッチを切っただけのことだったとは。
『もう、イヤ。さすがに怒るわよ』
『でも、そんなに口調は怒ってないよね?』
『さっき言ったでしょ。呆れたって』
『あはは。確かに言われた。……で、どうする? 電気つけっぱなしだと、戻ってくると思うし……』
『思うし?』
『キミの裸、しっかり見えちゃうけど』
『…………ばかっ!』
 片手で胸元を隠しながら、残りの腕でウソつきをパシパシと叩く。
 しかし、彼にとってはそれすらも策の中の出来事らしく。
『はいはい、ごめんね』
 そのまま抱きすくめられてしまえば、私の抵抗なんてないに等しいものだった。
『ずるいよ、そんなの』
『……そうだね。それで、どうする? 電気は』
『…………消して、とか言って欲しいの?』
 ささやかな反撃。
『いや、オレは消さないでもいいけど……』
『ここで、やめちゃうの?』
『やめない。しっかり続ける』
 …………失敗、打つ手なし。
 私は、呆れを諦めに変えて囁く。
『……消して……』
『うん。ありがとう』
 まぶしさに慣れたつもりでも、電灯の下で自分をさらけだせるほど勇気はなかった。
 それならば、少しでも隠せる夜気に身を任せた方が安心できる。
『……んんっ……』
 また、キスからやり直し。
『……綺麗だね』
『見えないくせに』
『見えるよ、うっすらと』
 言われてまぶたを開けば、窓から見える夜空の月が柔らかい光を与えてくれる。
『……でも、私にはまだよく見えないわ』
 夜は長いから、焦る必要はない。
 私は静かに彼の腰へと手を回し、ゆっくりとTシャツを持ち上げて……。

「ス、ストップ! ストップなの!」
「……友子」
「あなた、お約束が過ぎるわよ?」
「だっ、だって! ……も、もう展開分かるし……ねぇ♪ 恥ずかしいじゃん、これ以上聞くの……」
 お酒の効果以上に頬が赤い彼女を見て、私は苦笑してしまう。
「あーあぁ、なんかすっごくタイミング悪いわ。ほら、委員長だって笑い出すし……」
「でもまぁ、友子の言うとおりかも。わたしにしたら、委員長がそんなに大胆だったと分かっただけでも収穫」
「それじゃ、ここまでで許してもらえるのかな?」
「うーん、ま、いいんじゃないのぉ? 充分に楽しめたし。ねっ?」
「いいけど……友子、あとになってまた聞きたいとか言い出さないでしょうね?」
「えっ、それは……うーん。ない。約束する♪ あ、でも……」
 彼女は何度か首を縦に振りつつも、何か引っかかりに気づいたらしく、こちらを凝視する。
「なぁに?」
「そのさっ。やっぱり、それって……最後までしちゃったんだよ、ね?」
「……う、うん」
 改めて問われると恥ずかしいが、このお題目で話し出した以上は認めざるを得ない。
「それで、初めてって……どうだった? その……気持ちよかった?」
「えっ? そ、そうね。思ったほど恐くなくて、『こんなものかな?』……ってぐらい、かな?」
 さすがに当時の感覚までは、戻ってこない。
 ただ、優しくされたことが嬉しくて、多少の痛みは我慢できた……ぐらいだろうか?
「そうなんだ。……それでね」
「なに、友子。まだ聞きたいことがあるのぉ? それなら、話止めないで最後まで……」
「そうじゃなくて。……ちょっとだけ、疑問が残ったから。けど、聞いてもいいのかなぁ?」
「いいわよ」
「あのね。……その彼とは……その後、どうなったの?」
「……あぁ、彼ね。彼とは、それから二ヶ月後ぐらいに別れちゃった」
 たった数年前のはずなのに、いまでは彼の顔もぼやけている。
「そ、そうなんだ。ごめんね、よけいなこと聞いて」
「いいのよ、別に。本当なら、私が“続き”で話すことだったから」
「……続き? 最後に、じゃなくて?」
「そうよ。最後までは……もう、話さない」
「えーっ! ずるいよーっ」
「なに言ってんのよ、友子。あなたが止めたんじゃない」
「そうよ。一番いいところで切ってくれて……。もういいわ。友子! あなたが引き継ぎなさい!」
「えっ? ど、どうしてそうなるのぉ〜?」
 騒がしくなりかけたカラオケボックス内に、ブザーコールが鳴り響く。
 私はそっと受話器を手に取り、なるべくこちらの喧噪が漏れないように心がけて延長の意志を伝える。
「あっ、もう時間だって?」
「うん。でも、延長しておいたから」
「サンキュー♪ さすが委員長〜っ」
「……ばかね。これから、あなたが問い詰められるのよ?」
「えーっ! わたし、ない! そんな話、ないから」
 仲良し4人組の宴は続く。
 私が夏の思い出に登場させた4人とは、大違いなメンバー。
 あの日の自分も、いま思えば他人のように思えてくる。
「あー、助かった♪ じゃんけん負けなかったよっ!」
 運良く一抜けした友子は、ホッと胸を撫で下ろしながら私の横へと席を移り、
「ねぇ、もうひとつだけ教えて」と身を乗り出してくる。
「なにを?」
「そのさっ。えーっと、福井くんだっけ? その人は、その……彼女とはどうなったの?」

 ――あぁ、福井くんね。
 友子からの意外な質問を受け、私はぼんりやり“昨日”のやりとりを思い返してみる。
「福井くんと彼女は、あのキャンプのあと……ひと月ぐらいは付き合ってたみたいよ」
「へーっ、じゃあキャンプでWカップル誕生だったんだ♪」
「えぇ。どっちも、ほんの短い間だったけどね」
「あっ、そうか……そうだよね、うん」
 友子はバツが悪そうな顔でこちらを見るが、自分としてはそれほど気に障ることを訊かれたつもりもない。
 しかし、友子にしてみれば余計な質問をしてしまったと思っているのだろう。
「ねぇ、友子。人の気持ちって、解ったつもりでいても……なかなか“判らない”ものよね?」
「…………うん、そうね」
「解ったつもりって、すごく怖い。気づかないうちに誰かを傷つけて、あとで自分が落ち込んだり」
「うん、あるある! すっごく……あるよ」
「私もあのとき、解ったつもりになってた。自分しか見えてなかったの」
「あ、あのさっ♪ 何かあったの? 悩みとかなら話してっ。私、恋愛とか苦手だけど、話を聞くぐらいなら役立つよ」
「ありがとっ。でも、もう充分に聞いてもらったし、友子に話すと……ほら」
 私は、友子の後ろでニヤニヤしているふたりを指さし、
「おまけもついてきちゃうから」とお茶を濁しておく。
「なぁに? 私たちじゃ力不足だっていうのぉ?」
「ひどーい。私たち、仲良し4人組じゃないの」
 ――ありがとう、みんな。
 でも、みんなに聞かせられるのはここまで。
 キャンプ地での思い出は話せても、それからあとのことは……まだ話すのにためらいがある。
 特に昨日の晩、初めて知ったことは。



【月夜(その四・上)】

『……ねぇ。あなたと会ったときのこと、憶えてる?』
 ふたりで借りてきた映画も終盤にさしかかった頃、私はぼんやりとテレビを観ているパートナーに声をかけた。
『中学の入学式とか? 一年目は別のクラスだったから……』
『違う違う。言葉が足りなかったわ。ほら、一年前のこと。駅前でバッタリ』
『あぁ。あのとき会ってなきゃ……こうしていま、一緒に居ないだろ?』
『そうね。そうだけど、答えがちょっとズレでるわ』
『ん?』
『私は、憶えてる?……って訊いたの』
 なかなかこっちを向いてくれない男の二の腕を軽くつねり、こっちを向かせる。
『いてっ! 憶えてるよ、もちろん。でもなんで急にそんなこと?』
『なんとなく』
『……なんとなくって。おまえが観たいって言った映画だぞ? クライマックス、ちゃんと観ろよ』
『もうオチが分かっちゃったから、いいの。興味ないもん』
 このあと、陰からヒロインを見守っていた主人公が登場し、ハッピーエンドに向かって一直線となるのだ。
『まぁ、それならそれでいいけどさ』
『あっさり認めてくれるのね。あなた、主体性あるの?』
『それなりには』
『ふーん』
『……で、一年前がどうしたって?』
 彼はそう言いながら、リモコンで映画を一時停止し、ゆっくり私の方へと向き直ってくれた。
『わざわざ止めなくてもいいのに』
『……俺、“ひとつのことにしか集中できない”って言ったよな。観るなら観る。話すなら話す。どっちか』
『じゃ、お話』
 私は彼の肩にぴったりと寄り添い、そこへ頭を乗せて甘える。
『あの日、あなたとバッタリ会ったでしょ。どっちが先に気づいたと思う?』
『うーん、俺かな』
『だとしても、声をかけたのは私よね?』
『そうだったかな? ……うん、そうだったな』
『もーう! 憶えてないじゃない』
『いていてっ! つねるなって』
 彼がベッドの上で足をジタバタさせるので、その振動がダイレクトでふたりの身体を揺らす。
『大袈裟ね』
『ここ痛いって。なんなら味わうか?』
『いいわよ。ほら、つねっても』
『…………いいよ。ホント痛いし、跡とか残ったらイヤだろ』
『そんなにつねるつもりだったの?』
『だから、つねんないって』
 すぐムキになる彼が可愛くて、ついついからかってしまう。
 私は拗ねぎみな男の機嫌をこれ以上損ねないよう、その頬に軽くキスをしてあげた。
『な、なんだよ。急に』
『別に。ただ、したくなったからしただけ。あははっ! 顔、赤いわよ』
『……ったく。昔のおまえからは想像できないよ』
『あら、そう? 私、変わったつもりはないけど……違う?』
『あぁ、なんていうかな。昔のおまえは、こう、おとなしいイメージがあって……って、そんなのどうでもいいだろ』
『ふーん、そんな風に見てたんだ』
 こんな話、なかなか聞くチャンスもない。
『それでそれで? いまはどう見てるの?』
 私はもっと聞き出すため、わざと胸を彼の腕に押しつけてガードをおろそかにさせる作戦に出る。
『……大胆っていうか、積極的っていうか』
『……そういうの、嫌い?』
『…………嫌いじゃないけど……』
『けど?』
『不安にはなる、かな?』
『どういう風に? もしかして、他の男(ひと)にもこんなことしてるとか思うから?』
 そんなふざけた質問をすれば、彼は首を横に振って否定する。
 ……が、哀しげに曇った表情は、暗にそれを認めていることを物語っていた。
『してるわけないでしょ。私がそんなことする姿、想像できる?』
『…………できないって言ったら、嘘になるね』
 彼はこちらの瞳を覗き込み、そっと私の手を握ってくる。
『いま、こうしておまえと居るのが夢だったら……とか思うこともあるし』
『あっ、ばか……』
 どさくさに紛れて身体を重ねてくる彼から逃げようとするが、せまいベッドの上ではそれもままならず。
『ダメか?』
『……訊くだけ野暮』
 それにそれほど拒む理由もない相手であれば、なすがままも心地いい。
 ――人肌って、好き。
 私は彼の首に腕を回し、自分の服が脱がされていく時間をおしゃべりに回す。
『一年前ね、あなたと会った日。私、同窓会に行くはずだったの』
『そんなこと言ってたな』
『明日は、そのときに会うはずだった友達と会うのよ』
『……うん』
『みんな、女の子よ。……ねぇ、あなたのこと、話してもいい?』
『俺のこと? いいけど……』
 彼の苦笑が私にも移る。
『なにかまずいの?』
『いや、別に。ただ、女同士ってどんな話するのかな、って思ってさ』
『普通よ。あんまり意味のない会話とかで盛り上がったり、グチったり、彼氏の話をしたり』
『俺のこともグチりたい?』
『そうね、考えておくわ』
 ブラをずらしにかかる彼を邪魔しようと、両腕で胸を隠す仕草をする。
 ……と、彼は私の背中に腕を回し、あっさりとホックを外してくれた。
『一年前より、うまくなったわね』
『一年もあれば癖も分かるよ』
『あっ、私がワンパターンだっていいたいの?』
『違うよ。ただ、変えようにも変わらない部分ってあるだろ?』
『そうね。あなたの場合、すぐ顔に出……っんんっ……』
 おしゃべりが過ぎたのか、栓代わりの熱い唇が押し当てられてしまう。
 そして、すぐ真横にぶら下がった電灯のヒモが二度引かれ、部屋の中がオレンジ色になるはずだったのが、何故か真横からのライトアップでそうはならない。
『あっ、テレビね』
 画面いっぱいに映ったヒロインのまっすぐな瞳が、さっきからふたりを凝視していたことに気づく。
『消そうか』
『……うん』
 リモコンに伸びた指先は、私の方が少しだけ早く。
 それを上から押される形で、部屋は単色の世界に変わる。



【月夜(その四・下)】

『…………んんっ……だめ』
 言葉で拒み、身体で求める。
 身長差の都合、つながったままの体勢では少し無理のあるキスも、相手が自然と合わせてくれる。
 始まってしまえば、言葉を交わす時間も惜しいぐらいの自分。
 触れられれば触れられただけ身体は熱くなり、内側からにじみ出てくる疼きも抑えられなくなる。
『場所、変わろうか……』
『うん』
 下から上へ。
 慣れたとはいえ、彼に支えられながら自らまたがる格好をとるときの恥ずかしさだけは、ずっと消えてくれない。
『んんっ……ああっ……』
 静かに腰を落とし、内股に込めた力を解放すれば声が洩れる。
 それを聞かれないように口元を隠そうとしても、さりげなく手首を握られ遮られる。
『……いじわる……』
『だって、見えないから』
『えっ?』
『胸が』
 ふたりの思惑がずれていたことに気づき、私はクスクスと笑う。
『なんで笑うんだ?』
『……なんでもないの。あなた、胸、好きね』
 私は背をそらせながら、彼の顔の前に上体を近づける。
 そして、触れるか触れないかの位置まで運べば……あとは、彼の自由。
『あっ……も、もう……』
 片方が軽くにぎられ、もう片方は舌先が伸びる。
 優しく愛撫されるのが好き。
 たまには荒々しさも欲しい。
 でも、そんなことを口にしたらはしたない……とか思うあたり、まだまだ私にも“純情さ”が残っている?
『ねっ、ねぇ……』
『……ん?』
『ちょっとだけ……力、入れてよ』
『わかった』
 ほんの少しの勇気が、欲していた快感をくれる。
 頭の中に白いモヤが生まれ、視界もぼやけてくる。
 私はバランスを崩さないよう彼の肩に両腕を起きつつ、ベタ座りだった腰を少しだけ浮かせた。
『逃がさない』
『あん!』
 言葉通り、下から持ち上げられた格好になった私は、首を横に振って抵抗をする。
『いやなのか?』
『いやじゃ……ない、よ』
 さらに首を振り続ければ、その答え方が正しいのかどうかも判らなくなっている。
『じゃあ、これは?』
『あっ、あ……あぁ……』
 上下する静かなリズムだけでも、私は思うように返事ができない。
 ――言わなくても、判るくせに……。
 答えは、どこにでも転がっている。
 私の視線、私の呼吸。彼が引けば追いすがる腰元の動きも、それに伴う湿った音も、みんなみんな……行為の肯定なのだ。
『つけなくて、平気か?』
『もう遅いわよ』
 彼の心配はもっともだが、ここまで盛り上がってしまうと、サイドボードの奥にある小箱を取りに行く手間が惜しい。
 それに、もしもの場合がきたとしても、ふたりにはそれを受け入れる準備がある。
 私は彼をジッと見つめたまま頷き、少しずつ動きを早めていく。
『……うわぁ』
 ――かわいい。
 同い年だからほとんど上下もないが、こうして不意をつかれたときの顔を見ると、“男はいつまでたっても子ども”の意味が解るような気がする。
『……ねぇ。あなたって……初めてはいつなの?』
『えっ? なんでそんなことを』
『いいじゃない。教えてよ』
 男性が女性に訊きたがる……と噂の項目をあげ、からかってみるのも悪くない。
 私はわざと動きを止め、彼が告白するまで待つことにしたが、その答えを聞いたあとのことを考えて失敗したと思った。
『……おまえだよ』
『そうなんだ』
 ――彼女……じゃなかったのね。
 私が初めて。そう言ってくれたのは嬉しい。
 でも、それだけに辛い部分もある。
 ――じゃあ、おまえは?……って訊かれるわね。
 そんな逆質問をされたら、私は正直に答えるべきか。
 それを聞かされても、彼は堪えないタイプならいいのだが。
『おまえが初めてじゃ……ダメだったか?』
 下腹部を押し上げてくる力が弱まってしまった感じがして、私は慌ててフォローする。
『そんなことないわ。そう言ってもらえると、悪い気しないの』
『そっか』
 彼は小さく笑い、私のくびれに手を当てる。
 ただ、その手がやけに弱々しく思えたのは気のせい?
 オレンジ色が支配する暗がりの中、私は自分の初体験を思い出す。
 ――あのときは、月明かりの中だった。
『ねぇ。私の初めて……訊かないの?』
 自らそんな言葉を口にするのは、彼に対する贖罪の気持ちが半分。
 そして残り半分は――彼が“どこまで知っているか”を知りたい。
『……知ってるから、いいよ』
 ――やっぱり、そうよね。
 私がわざわざ告白して確認をとるまでもなく、彼は知っていた。
『こんな訊き方すると怒るかもしれないけど……ショックだった?』
『色々な意味で。だけど、おまえにショックっていうよりは、自分に……が一番だった』
『どうして?』
『あのとき、どうしてあんなことしたんだろう……ってな』
『あんなこと……って?』
『…………』
 何も言わず抱き寄せてくれる“パートナー”に、私は声を出さずに問いかける。
 ――教えてよ、“福井”くん。
 ……それも、あの頃の呼び方で。

「さぁ、そろそろ友子には負けてもらわないとね」
「えーっ! 話すことなんてないよーぉ」
「それでも話すのよっ!」
 冷めることを知らないカラオケボックス内の喧噪が、私を現実に引き戻す。
 あの夏の日の私は、初めての相手がずっと傍に居てくれると思っていた。
 もちろん、そんな子どもじみた幻想は二ヶ月後の別れで消えたわけだが、それでも心に残る大切な“何か”があった。
 しかし昨日の晩、『幸せが何であるか?』を改めて考えたときから、大切な思い出も色褪せていた。
 そして、こうして自らの体験をみんなに話したあとでは、余計に価値が失われていく。
 私が彼のことを好きだと気づき、身を引いてしまったあの日の福井くんが、いまの自分のパートナー。
 一年前の同窓会をすっぽかしたのが、『福井くんと再会したから』……と打ち明けたら、このメンバーたちはどんな反応を見せるだろうか?
 ――ま、いいけどね。
 大切なのは、いま。
 初めての相手が誰であろうと、その人が“いま”傍に居てくれないのなら……こだわるほどの思い出にすら値しないのだ。
 ――でも、どうだろう?
 結論づけてはみたものの、即座に否定の考えが浮かぶ。
 愛していた人を失ったとしたら、それまでの思い出は絶対に大切なモノだろう。
 ……ということは、私は夏の初体験の相手をそれほど……。
「あはははっ」
「どうしたのぉ? 急に笑い出したりして」
「いいの、気にしないで。初めから、あってなかったようなモノだと気づいただけだから」
「な、なんだか哲学っぽいけど……どうしたの? 教えてよ♪」
「ごめんね、友子。こればっかりは私の価値観だから、話しても理解してもらえないと思うな」
 グラスを手に取り、安いお酒をグッとあおる。
 天井にある電灯の光が強く目に入り、反射的に目を閉じれば……昨日の夜の“のけぞり”が恋しく思えた。

『あのとき、俺が身を引かなかったら……もっと早く、こうして……』
 さんざん焦らされてから教えてもらった答えに、私は少しがっくり。
『……ばかっ。そんな言い方したら、“これ”だけが欲しかったみたいじゃないの』
『そうだな』
 ふたりは軽く笑って互いを誤魔化す。
 でも、そこに隠された色々な想いが解る私にしてみれば、それでも満足しなければならないのだろうか?
『……ねぇ、もうひとつだけ訊かせて』
 腕を伸ばし、彼の首筋を滑らせるようにして包んでいく。
『あの日、彼女と……どこまでいったの? キャンプ後に付き合ったんだから、それなりには……でしょ?』
 自分の行為を棚に上げ、ずいぶんなことを尋ねる私。
 それに対し、下から私を見上げるパートナーは寂しそうに笑った。
『キスしたって言ったら、怒る?』
『いいえ』
 ――それぐらいなら。
『お互いの身体、触り合ったって言ったら?』
『お、怒らない』
『ふたりで慰め合った……って言ったら』
『えっ!?』
『最後まではしてないよ。だけど、途中までは……うん』
『……そう』
 いけないとは思いつつも、嫉妬してしまう自分の欲深さに疲れを覚える。
『ごめんな』
『いいの。私だって……ねぇ』
『そうだな。言い訳させてもらえるなら、おまえたちのを“覗いちゃった”せいで……引っ込みつかなくなったわけだし』
『…………そ、それって!?』
『だから、“知ってる”って言ったろ?』
 ――見られてたなんて……。
 クラっときて倒れかかる私を優しく支えてくれる彼。
 その表情は、少しスッキリしているように見える。
『ごめんな。さすがにこればっかりは、こんなときでもないと言う機会がなくて。……でも、ちょっとしか見てないから』
『うぅぅ。ちょっととか、そういう問題じゃないのよ!』
『ごめんごめん』
 してやられた感と恥ずかしさでいっぱい。
 そんな私を彼はやっぱり優しく受け入れて……。
『ち、ちょっと! う、動かさな……い……で……』
 急に戻ってきたリズムに、自分の呼吸が乱される。
『許してくれる?』
『な、なにを……?』
『見ちゃったこと』
 ――もう! こんなときに許してくれだなんて。
 いや、こんなときだからこそ許せるのか。
『……いいわ。気持ちよくさせてくれたら……忘れてあげる』
 すぐには無理でも、きっといつかは。
 下からのぼってくる快感に耐えながら、私はなんとか電灯のヒモに手を伸ばす。
『消したら見えなくなるよ』
『……見なくていいの!』
 震える指先が何とかヒモをとらえたところで、最後の光――電灯を仰ぎ見る。
 そして、抑制の利かない力で切れんばかりにヒモを引けば、部屋は一瞬でオレンジから暗闇へと変わる。
『見えないなぁ』
『ば、ばかっ。どこ……触ってるの!?』
 消える寸前、小さな電球と被ったのは、暗いバンガロー内を照らしてくれた――あの日の月明かり。
 色は違えど、役目は同じ。それを終えたなら、退場を願うだけのこと。
 ――さようなら。
 記憶が薄れ、新しい思い出に溺れ、欲深き幸せを覚える。
 これは、当然の流れ。
 いまの私を導くのは、あの日の彼ではなく、いまの“彼”なのだ。
 ――それに、光るばかりが月じゃないでしょ?
 暗闇に目が慣れる前に、私はそっとまぶたを閉じ、手探りで彼を求める。
 真っ暗な夜だって恐くない。
 私ひとりが、ここに居る見えない彼――新月を探し出せればいい。


fin

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