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曽国藩コミュの心力労苦の英雄

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心力労苦の英雄

 湖南に生まれ、27歳で進士となる。1852年、母の死によって帰郷中に太平天国軍が湖南に侵攻する。彼は政府によって団連(義勇軍の徴募)を命じられ、自身の人脈を使って郷勇(義勇軍)を組織。これは湘軍と呼ばれ、当時の中国では最高の士気と錬度を誇った。この湘軍をはじめとする各地の郷勇や外国人義勇軍の活躍によって太平天国軍は次第に敗退し、1864年には湘軍によって太平天国の首都・天京(南京)が陥落した。曽国藩は北京に凱旋し、その功によって侯爵に任じられた。しかし一方で政府は曽国藩の実力を恐れ、その野心を疑った。そのため曽国藩は湘軍を解散することで自身の忠節を示した。
 また洋務運動に参加し、洋式の兵器工場の設立や留学生の派遣などを進め、同治中興の中心的存在であった。1870年には漢族ではじめて地方官最高位の直隷総督に任じられており、その幕下からは李鴻章や左宗棠など、清朝末期の重要人物を多く輩出している。文人としても一流であった。
 政治的野心の薄さが特徴で、「盛世創業垂統の英雄は襟懐闊達を以て第一義とし、末世扶危救難の英雄は心力労苦を以て第一義とする」と述懐。常に慎重保身をむねとし、やろうと思えば容易に帝位を獲得できる状況にありながらも、あくまでも清朝の一臣下として振舞った。

【統率チェックポイント】
当時の中国で最強の軍隊を作り上げ、それは李鴻章から袁世凱へと引き継がれて近代中国における軍閥の原形となった。多くの有能な部下を擁し、その人材操縦術はビジネスのハウツー本の題材にされるほど。ただ、指導者としての実力はあるにもかかわらず第一人者になることを徹底的に嫌った。

【武力チェックポイント】
湘軍の強さは軍隊組織としての強さであり、曽国藩本人の軍才によるものではない。彼はあくまでもシビリアン・サイドの人間だった。ただし湘軍がその実力を発揮するためには最高指揮官としての曽国藩の存在が不可欠である。


【知力チェックポイント】
自らが置かれた歴史上の位置を正確に認識し、政治的野心を抱かず、徹底的に保身を心掛けた。だが清朝政府に自身の誠実を証し立てるべく虎の子の湘軍を解散させながら、その中核部分はちゃっかり腹心の李鴻章に掌握させておくあたり、なかなか抜け目が無い。洋務運動への参加に見られるように、当時としては公平な対外認識も持っていた。

【政治チェックポイント】
同治中興第一の功臣とされる。

【魅力チェックポイント】
強烈なカリスマ性には無縁だが、静かに熱く彼を慕う部下が多かった。もっとも政府では彼が新王朝の樹立を画策しているという噂が絶えなかった。また有力な部下だが性格的に正反対の左宗棠とは、晩年に絶交状態となった。



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