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Formula 1談義コミュのD.ヒルがGP2をテストドライブ

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するんだって。
へー。

ちなみにデーモン・ヒルってのは96年のワールドチャンピオン。
94年にアイルトン・セナが事故死した後、ウイリアムズのエースに昇格して頭角を現したドライバー。
94年は、破れはしたもののシューマッハとガチンコでチャンピオン争いを展開。
最終戦アデレード(オーストラリア)でシューマッハにぶつけられて両者リタイア、チャンピオンを逃しました。
翌95年はシューマッハの一人勝ち。
シューマッハがフェラーリに移籍した96年、F1デビューイヤーのチームメイト、ジャック・ビルヌーブとチャンピオンを争い、念願の戴冠。

デーモンの実父、グラハム・ヒルもワールドチャンピオンを獲得したことがある元F1ドライバーで、親子二代にわたってチャンピオンを獲得したのはヒル一家が初めて。


さらにちなみにですが。
どこのカテゴリーで走っているかは忘れてしまったけど、ネルソン・ピケの息子ネルソン・ピケJr.、ケケ・ロズベルグの息子ニコ・ロズベルグも、親子二代にわたるチャンピオン獲得が期待される逸材。
遠からぬうちにF1までステップアップしてくることでしょう。
テストではすでに乗ってるしね、F1。

コメント(1)

デーモン・ヒルについてもう少し。


94年、彼が乗っていたクルマのカーNo.は0番。
93年にチャンピオンを獲得したアラン・プロストがその年限りで引退してしまったため。
(基本的に、カーNo.は前年のチャンピオンが1番、そのチームメイトが2番、前年の2位が3番、そのチームメイトが…ってな順でつけられます。で、94年は1番が不在だった)


ヒルがチャンピオンを獲得した96年の末、ウイリアムズチームはなんとヒルを放出(一説によると、ギャラの交渉でもめた)。
一転して流浪のみとなったディフェンディング・チャンピオンがようやく落ち着いた先は、はっきり言ってひどい下位チームであった、今は亡きTWRアロウズ・ヤマハ。
で、97年の開幕戦、ディフェンディング・チャンピオンを襲ったのは「0周リタイア」という悲劇。
フォーメーションラップでエンジンが逝っちゃったんだね…
しかしまあ、同シーズン中盤には、その年から参戦したブリヂストンのトップユーザーに昇格したアロウズ、それなり活躍しました。
結果的に2位に終わったけど、ハンガリーでのトップ快走劇はしびれたな、シューマッハをいとも簡単にぶち抜いたしね。


翌98年、ジョーダン・チームのグランプリ初優勝を決めたのが誰あろうデーモン・ヒル。
優勝候補が続々とリタイアする雨中のレースで、チームメイトのラルフ・シューマッハを従えての1・2フィニッシュは感動的でさえありました。
うーむ、それはほめすぎだな。

んが、↑の優勝を境にヒルのモチベーションは明らかに低下。
途中で勝手にレースやめちゃってたもんな。
でまあ、「やめる」「いや、やめない」「やっぱりやめる」と周囲を翻弄する発言を繰り返して、99年末に引退。
以後はF1を目指す若手ドライバーのアドバイザーのようなことをやっているそうです。

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